第20回:『ブリキの太鼓』(1979年)
名画プレイバック
カンヌ国際映画祭で『地獄の黙示録』と共に最高賞パルムドールを分け合い、アカデミー賞外国語映画賞も受賞という輝かしい受賞歴を誇る『ブリキの太鼓』(1979)。後にノーベル賞作家となったドイツの作家、ギュンター・グラスの小説をフォルカー・シュレンドルフ監督が映画化、3歳で自ら成長を止めた少年オスカルの目を通して描く、1920~40年代のポーランドのダンツィヒ(現グダニスク)の物語だ。(冨永由紀)
第一次世界大戦後、それまでドイツ領だったダンツィヒは国際連盟管轄の下、ポーランド人とドイツ人を中心にさまざまな民族が暮らす自由都市になった。主人公のオスカルは1924年、この街でドイツ人の夫と少数民族カシュバイ人の妻の息子として誕生する。胎内から出た瞬間から、この世に失望したが、「3歳になったら、ブリキの太鼓を買ってあげる」という母の言葉をよすがに3年間待ち続け、約束通り太鼓を手にすると同時に、これ以上は成長しないと心に決める。その決意と実行にもっともらしい説明をつけるため、地下室への転落事故を偽装したオスカルには、太鼓を叩いて絶叫すると周囲のガラスや鏡が粉々に割れてしまうという不思議な能力まで備わった。
10代になっても、20歳を過ぎても外見は3歳児のままで、老獪な精神といかにも子供らしい無邪気な残酷さを併せ持ち、大人たちの醜悪な実像に純粋で厳しい目を向けるオスカルは、耳障りな太鼓の音を響かせながらダンツィヒの街を練り歩く。太鼓を取り上げようとすると、奇声を発してあらゆるものを粉砕する手に負えない駄々っ子だが、破壊力はモンスター級のオスカルに周囲の大人たちは腫れ物にさわるように接する。時代は第二次世界大戦前夜。ナチスが台頭し、食料品店を営むオスカルの父は「時代に乗り遅れるな」とばかりにヒトラーに入れあげるが、母はもちろん、同居する母の従兄も複雑な表情だ。実はこの2人は密通していて、薄々感づいている夫の目も気にせず、大胆に逢い引きを繰り返している。彼らは誰にも気付かれていないつもりだが、オスカルは教会の鐘楼に昇り、その痴態を見据えている。この男が自分の本当の父親かもしれないと考えながら。
そんなある日、両親に連れられてサーカスを見に行ったオスカルは、自分と同じように体は小さいが、容貌は年老いたリリパット団のベブラ団長と出会う。「僕はむしろ観客でいたいのです」と言うオスカルに「我々に観客席はない。我々は芸を見せ演技する。でないと、舞台を奪われる。彼らがやって来ると、祭りの舞台を占領して、たいまつ行列をする。演壇をつくる。人を集めて我々のようなものを滅ぼそうとするんだよ」と説く団長の言葉は、当時破竹の勢いで広まっていたナチズムへの警鐘だ。
オスカルと同じく10歳で成長を止めたベブラ団長やブリキの太鼓を売るユダヤ人の玩具店主のような虐げられし者たちの静かな気高さに対して、両親たちの三角関係は、どぎつい性描写や馬の頭を使うウナギ漁など、ことさらグロテスクな形で表現される。こうしたエピソードの数々はダンツィヒという都市の持つ数奇な歴史、醜悪なナチズムの暗喩なのだ。オスカルに自らを重ねた原作者グラスのドイツ語の筆致はこの比ではない凄まじさだという。脚色するにあたって、シュレンドルフ監督はフランス人の脚本家、ジャン=クロード・カリエールにフランス語での執筆を依頼し、それを自らドイツ語に翻訳するという行程を踏んだ。
日を追って、ダンツィヒを取り巻く状況は次第にきな臭くなっていく。『ベルリン・天使の詩』で天使カシエルを演じたオットー・ザンダーが近所のトランペット奏者役で登場するが、彼が奏でる曲の変遷にも、社会状勢の変化と付和雷同する小市民感覚が反映されている。
そして、オスカルの目の前で大人たちは次々と命を落としていく。夫と従兄のどちらが父親か判然としない子供を宿した母親は自殺する。あれだけ無防備に振る舞っておいて罪の意識というわけでもないだろう。言いようのない満たされなさで、勝手に煩悶して死んでいく。1939年9月1日のドイツ軍侵攻に巻き込まれた母の従兄も、愚鈍でお人好しな父も。彼らの死の遠因になっているのはオスカルだ。演じたダーヴィット・ベネントは撮影当時11歳。子供らしからぬ醒めた目つき。なのに利かん坊の小僧そのものの振る舞いで、3歳児にも老人にも化ける怪演だ。フランソワ・トリュフォー監督の『終電車』などに出演している俳優のハインツ・ベネント(本作にも八百屋のグレフ役で出演)の息子だが、演じるのはこれが初めてだったという。
それでいて、母亡き後にやって来た16歳(役の上では同い年という設定)の家政婦を誘惑したり、再会したベブラ団長率いるドイツ軍慰問団の同僚・ロスヴィーダとの恋も見事に演じてみせた。2015年の今、同じことをやろうとすれば、児童ポルノと指弾されてしまうだろう。だが、これがなければ、嫌悪感を凌駕する作品そのものの力は半減する。普段は至って紳士的なシュレンドルフ監督の芸術家としてぶれない強さと、それに応えたベネントの才能には驚嘆するばかりだ。ちなみにベネントはその後、舞台中心に活動し、ピーター・ブルック演出の公演で来日もしている。映画ではシュレンドルフ監督の『Ulzhan(原題)』(2007)やマッツ・ミケルセン主演の『バトル・オブ・ライジング コールハースの戦い』(2013・日本未公開)への出演が記憶に新しい。
それにしても説明のつかないことだらけ。理不尽というか無茶苦茶の連続で物語は進む。この不合理性が生々しすぎる寓話のキーワードだ。意味の通らない事態がまかり通った挙げ句に待ち構える恐ろしさが他人事には思えない。