蜷川幸雄さん一周忌法要に松本潤ら参列 連ドラ出演中の藤原竜也の姿はなく…
15日、日本を代表する演出家の故・蜷川幸雄さんの一周忌法要が、蜷川さんが生前に芸術監督を務めていた「彩の国さいたま芸術劇場」で営まれ、生前に蜷川さんと親交があった松本潤らが出席した。
この日、鈴木杏、勝地涼、白石加代子、大和田伸也、田山涼成ら著名人が参列。だが蜷川さんの代表作の一つ「身毒丸」の主役オーディションでグランプリに輝いて以降、数多くの蜷川さんの作品に出演してきた藤原竜也は姿を見せず。藤原は現在連続ドラマ「リバース」に出演し、主演映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』の公開も控えていることもあり、今回は出席がかなわなかったことが推測される。
法要に伴い、蜷川さんの「メモリアルプレート」もお披露目。プレートは香山壽夫建築研究所によりデザインされたもので、長女で写真家の蜷川実花によって撮影された写真、蜷川さんが愛用していた文房具やメガネ、手書きの原稿、そして蜷川さんの著書から引用された「最後まで、枯れずに、過剰で、想像する仕事に冒険的に挑む、疾走するジジイであり続けたい」という言葉も添えられていた。
1935年10月15日に埼玉県の川口に生まれた蜷川さんは、高校卒業後に「劇団青俳」に入団し、俳優としての活動を開始。その後、1968年に現代人劇場を立ち上げ、1969年9月には清水邦夫作の「真情あふるる軽薄さ」で演出家としてデビュー。1974年5月には日生劇場の「ロミオとジュリエット」で初めて商業演劇を演出し、以降「世界のニナガワ」として、シェイクスピア作品を中心に活躍。2001年に紫綬褒章を受章。2002年には大英帝国三等勲功章 CBEを受章し、2004年には文化功労者に選出された。2010年には文化勲章も受章している。しかし、肺炎による多臓器不全のため、2016年の5月12日に80歳で亡くなった。(取材・文:岸豊)