いまやスキャンダル王チャーリー・シーンの壮絶人生とは
あの人は今
去年11月はじめ、オーストラリアでとあるハリウッドスターが、チケット代金が1枚1,500ドル(約16万円)という高額なトークショーを行い話題を呼びました。その人の名前は、チャーリー・シーン。80年代から90年代にかけて大活躍し、石橋貴明と共演した『メジャーリーグ』(1989)は大ヒット。当時は、誰もがチャーリーのことが大好きでした。それから30年あまり……栄光と転落というハリウッドの現実を体現するような人生を送るチャーリーの半生を振り返ってみました。(森田真帆)
超有名俳優の芸能一家!
ハリウッドのスターであるマーティン・シーンの息子として生まれたチャーリーは、9歳の頃から演技に目覚め、父親の映画に出演していました。高校卒業後に初めて出演したのは、映画『若き勇者たち』。アメリカの高校生が、突然始まった戦争に戸惑いながらも戦いに挑む姿を描いた本作は、パトリック・スウェイジ、C・トーマス・ハウエルなどのスターが多数出演した異色の戦争映画でした。このまま青春路線に進むかと思いきや、兄のエミリオ・エステヴェスが1986年に公開された『ブレックファスト・クラブ』(1989)で大ブレイク。チャーリーは、青春映画に数本出演するも目立つことはなく、1986年オリバー・ストーン監督の『プラトーン』(1986)という硬派な作品でその演技力を高く評価されることとなります。チャーリーはその後もオリバー監督の『ウォール街』(1987)に出演。当時、ハリウッド青春映画スターの総称ブラット・パックと呼ばれたエミリオとは対照的に、若手演技派俳優として頭角を現したのです。
コメディの才能を発揮するも、成功に溺れてしまう結果に
チャーリーの演技に大きな影響を与えたオリバー監督でしたが、当時チャーリーが主演で打診されていた映画『7月4日に生まれて』(1989)が、トム・クルーズ主演に決定。この一件がきっかけとなり、オリバー監督とチャーリーのコラボレーションは決別してしまいます。とはいえ1988年には兄のエミリオと共演した映画『ヤングガン』が大ヒット。翌年の映画『メジャーリーグ』では、高校時代にショートとピッチャーとして活躍していた野球の腕前を存分に発揮した上、コメディ演技の才能も見せつけました。でも絶好調なスター生活を送りながらも、チャーリーはドラッグにハマり、ついにはリハビリ施設に送り込まれることに。リハビリ明けにに主演した『ホット・ショット』(1991)は大当たりしますが、タブロイド紙に追いかけ回されるようになり、次第に身も心もボロボロになっていくのです。
映画界に見放されるも、テレビドラマで返り咲き!
1995年以降のチャーリーは、映画に出ても全く振るわず、ボックスオフィスを賑わすこともない不遇の時代を送りました。彼の名前を聞くのは、タブロイド紙で、巨乳の女性と一緒の写真か、またはドラッグの問題の話題しかなく、誰もが「チャーリー・シーンは終わった」と思っていたはず。ところが、2000年、人気ドラマ「スピン・シティ」に主演していたマイケル・J・フォックスが病気により降板となり、チャーリーが主役を引き継ぐこととなったのです。チャーリーの役柄は、女好きという私生活とも重なるキャラだったために視聴者に大ウケ! この自虐っぷりが功を奏し、本作が終わると、すぐさま「チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ」がスタート。シットコム氷河期と言われていた2000年代で、本作は大人気となりなんと12シーズンも続く長寿番組になりました。(チャーリーのコメディセンスが爆発した本作は、アマゾンプライムで全シーズン鑑賞できます)
HIVの公表がとんでもない事態に
大人気だったドラマも結局は、チャーリーの問題発言により12シーズン目で打ち切りに。インタビューでも様子がおかしすぎてドラッグの疑惑が絶えないチャーリーが抱えていた問題は、「女性問題」。1995年にはセレブ専門コールガールの元締めだったハイディ・フライスの公判に証人として呼ばれ、27人もの娼婦たちに5万2,000ドルもの大金を使っていたことを証言して話題となりました。その後も、5,000人以上の女性と関係を持ったことを明かしていたチャーリーでしたが、2015年11月にテレビ番組でHIVに感染していることを公表。チャーリー自身がHIVであることを知っていたにも関わらず、コンドームもつけずに関係を持たされたとする売春婦たちから、怒りの告発を受け多額の賠償金を支払うことに。チャーリーは、バツ3で4人の子供もいるので、慰謝料、養育費に加えて、訴訟での賠償金の支払いと、経済状況も最悪の状態となってしまいます。かつてはハリウッドで稼ぎまくっていたチャーリーも今や文無し状態になってしまいました。