実在の殺人鬼が照射する現代の病とは?ファティ・アキンが妥協なしで挑んだ衝撃作
映画『ソウル・キッチン』『女は二度決断する』などのファティ・アキン監督による最新作『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』が14日に公開。アキン監督が過去に実在した連続殺人鬼を描いた本作での挑戦について語った。
舞台は、敗戦が尾を引く1970年代ドイツのハンブルク。1970年から1975年にわたって連続殺人を繰り返したフリッツ・ホンカを主人公に、4人の娼婦を殺害しながら過ごす日常が描かれる。安アパートの屋根裏部屋に住み、夜な夜な寂しい男女が集るバーで酒をあおるホンカ。カウンターの女性に声を掛けても、顔をしかめられるだけ。一見、無害そうに見える彼の狂気に気づく者は誰一人いなかった……。
アキン監督が脚本とプロデューサーも手掛けた本作は、その衝撃的な内容ゆえにコンペティション部門に出品された第69回ベルリン国際映画祭で賛否両論を巻き起こした。殺人を衝動的に繰り返す男の行動にはスプラッター映画のような様相もあるが、印象に残るのは貧困と寂しさの中で大人になった彼の悲哀な姿だ。最近話題をさらった『ジョーカー』のように、社会的に救済の対象とならない孤独な男性を描いた作品として、切実な問題を突きつけてくる。
「本物のシリアルキラーというのは、いわゆるフィクションに描かれる連続殺人鬼とは異なるんです。興味があるのは実在の殺人鬼のリアリティーのある姿で、彼がどのように存在するのか? どんなふうに振る舞うのか? ということ。もちろんフィクションであればカリスマ性を持たせるでしょうが、僕としては新しいストーリーテリングを受け入れる余地を持つものを描きたかったんです」
殺人は淡々と赤裸々に描かれ、ホンカに幻想を抱かせる要素は皆無だ。監督は劇中のホンカを「科学者のように作り上げた」と語るが、なぜ彼に光を当てようと思い立ったのだろうか?
「僕は常に自分の世界や社会、住んでいる場所に映画の素材を探しています。ハンブルク出身の僕が子どもだった80年代、たとえば遊び場にいると『遠くまでいくとホンカが来るよ』と言われるような民話的な存在でした。ある種カルト的で、精神科病院から退院したときも新聞で危険ではないかと書かれたり、一方で彼は自由であるべきだと主張する落書きが壁に書かれたり、物議を醸しました」。そして、2016年に本作の原作となるホンカについての小説が出版されてベストセラーとなり、監督の目に留まった。
「過去の出来事をもとにした連続殺人鬼の映画はたくさんあります。では、なぜ今? と考えると、この作品が何よりも孤独についての映画であり、愛を求める必死の声を描く映画であるからだ、といえるでしょう」
ホンカが足しげく通うバーのゴールデン・グローブ(映画の英題でもある)について、監督はこう分析する。「バーの世界はSNSのようなもの。つまり、ここではお酒を飲めて、酔っぱらうこともできる。そうすると違う空間へ行って、地に足を付けていたはずの現実から離れてしまう。まさにSNSと同じですよね。SNSの成功の理由は“孤独”です。あまりに多くの人が孤独を感じているので成功してしまった。SNSでは他人と触れ合うことができますが、それはリアルでなく幻想で、物理的な繋がりではない。怖いことだと思います」。では、もしもホンカが現代に生きていたら──?
「彼はSNS依存症で、おそらくポルノなどもジャンキーのように漁っていたと思います。もしかすると、そのことで被害者になるはずの女性たちが救われたかもしれません。ただ、別のドラッグを手にしただけの彼自身は救われなかっただろうと思いますが」
監督は「この映画は昨日が舞台であっても、今日起きるかもしれない話」と語るが、なぜホンカが殺人を犯したのか、なぜ殺された女性たちは誰にも探されなかったのか、ということは明確にされない。「彼の行動も子どもの頃に強制収容所で父親と一緒にいたとか、レイプされた経験があるとか、神経科学的には繋がりを説明できるかもしれない。今回もそういう場面を実際に撮影はしましたが、使用しませんでした。それは説明できないということを示さないといけないと思ったからなんです」
そんな監督にとって本作は、自身を監督(director)であると感じることができた特別な作品になったという。「いわゆるフィルムメーカー(filmmaker)は脚本を書いて、お金を集めて映画を撮る。しかし、小説を読んだときに殺人の場面の嫌悪感や臭い、環境などが感じられて、これを映画化できるのかどうか、果たして自分が映画作家としてのスキルを持っているのか? と感じたんです」
「正直、今までは妥協してしまっていたんです。もちろん映画を観客の好みに迎合するという意味ではなくて、誰かを傷つけないためだったり、役者の都合であったり、金銭的なことだったり、という意味で。この映画を完成させるためには妥協せず、難しい解決法を選んだんです。たくさんのことを学ぶことができましたし、これからの先の映画づくりは自分のビジョンをぶらさず、今回と同じように作っていきたいと思っています」(編集部・大内啓輔)