『トップガン』はなぜトム・クルーズをトップスターに導き、社会現象となったのか
5月27日に待望の公開を迎える『トップガン マーヴェリック』。じつに36年ぶりとなる異例の続編だが、前作『トップガン』は、トム・クルーズを大スターの地位に押し上げ、今もなお多くの人の心に刻み込まれた伝説的な作品として知られている。あらためてその偉大さと魅力を振り返ってみたい。
『トップガン』は日本では1986年12月6日、お正月映画として公開された。すでに全米では5月に公開され、1986年のナンバーワンとなるヒットを記録。かつてない空中アクションが展開されると大評判を呼んでいた。その直前に『アイアン・イーグル』という、やはり戦闘機を使った作品が公開されていたが、『トップガン』はアメリカ海軍の全面協力を得て、本物の空母や戦闘機を撮影に使用。CGが一般的ではなかった時代に、信じがたいほどリアルな映像がスクリーンで観られるという期待が高まり、その期待を上回る体験がもたらされたことで、お正月映画でダントツのヒット。そのまま日本でも1987年度の1位となった。前年の1位である『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の数字も上回ったのである。(日本映画製作者連盟調べ)
主人公マーヴェリックを演じたトム・クルーズは『トップガン』公開前は、大スター“予備軍”という立ち位置だった。『卒業白書』(日本で1984年公開)で初の主演を務めて注目度はアップしていたが、2本目の主演作『レジェンド/光と闇の伝説』は、まだ日本で公開されていなかった(全米では1986年4月、日本は1987年8月の公開)。しかしこの『トップガン』のインパクトは絶大で、エリートパイロットを目指す野心と、トムの俳優業への挑戦が完全にシンクロ。マーヴェリックのあらゆる感情に、トムのまっすぐな演技によって、観客は有無を言わさず共感してしまう。まさに「スターが生まれた瞬間」をスクリーンにやきつけた作品となった。日本では『トップガン』の翌週(12月13日)に、トムがポール・ニューマンと共演した『ハスラー2』も劇場公開。1986年の年末は“トム祭り”だったのである。
そして『トップガン』が時代を超えて愛されている大きな理由は、音楽である。1980年代はMTV全盛の時代で、『フラッシュダンス』(1983)、『フットルース』(1984)など明らかにMTVを意識した演出の映画が大人気。サウンドトラックのアルバムも映画とともに大ヒットを記録していた。『フラッシュダンス』のプロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーが『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)に続いてサントラと映画の最高のコラボを実現させたのが『トップガン』だった。マーヴェリックと教官チャーリーのラブストーリーのバックに使われた、ベルリンの「愛は吐息のように」はアカデミー賞で主題歌賞を受賞。要所で何度か流れるケニー・ロギンスの「デンジャー・ゾーン」は、あまりに映画のイメージとぴったりで、特に冒頭の空母から戦闘機が飛び立つシーンに重なると、まるでロックのビートが戦闘機の燃料になっているかのような錯覚すらおぼえる。映画史でもこれほど映像と曲がマッチした瞬間は稀なケースだ。
“トムキャット”と呼ばれるF-14戦闘機のドッグファイトを、並行して飛ぶ機からとらえた映像や、パイロットたちがコールサインで呼び合う世界(マーヴェリックの本名はピート・ミッチェル)は、他の作品とは明らかに違うレベルのカッコよさを提供。『トップガン』公開後は、アメリカで海軍の志願者が急増し、日本でもこの映画を観てパイロットを目指した人が多数出たといわれている。マーヴェリックの愛車であるカワサキのバイク「Ninja」や、彼が身につけるレイバンのアビエーターサングラスは注目アイテムとなり、パイロットたちのジャケットへの憧れが、実際には劇中で使われていないMA-1の流行にもつながった。『トップガン』は映画の世界を越えて、社会現象を起こした作品になった。
マーヴェリックのパイロットとしての成長を軸に、教官との恋、ライバルとの確執、熱い友情、衝撃の悲劇による親友の死、父と息子の複雑な過去……と、エンターテインメントとして映画が求める要素がバランスよく配分されたことで、性別や世代を選ばずにアピールしたことも『トップガン』の特徴。アカデミー賞作品賞に絡んだり、批評家が激賞したりするタイプの作品ではなかったが、そのインパクトは観た人の心に長くとどまることになった。そんな『トップガン』のスピリットが完璧に受け継がれたのが『トップガン マーヴェリック』。亡き親友グースの息子、ルースターがマーヴェリックの教え子となり、わずかに言及された過去の恋人が登場したりする。そして音楽やアイテムがあの興奮を呼び覚ますので、可能であれば『トップガン』を観直してから、劇場に足を運ぶといいだろう。(斉藤博昭)