「どうする家康」石川数正が家康から離れた理由は?演出統括・加藤拓が語る
大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜、NHK総合夜8時~ほか)で、側近として主人公・徳川家康(松本潤)を支えてきた古参の家臣・石川数正(松重豊)。8月27日放送の第33回のラストでは数正が秀吉(ムロツヨシ)のもとに出奔する大事件が発生し、9月3日放送の第34回「豊臣の花嫁」では家康らがショックにうちのめされる展開となった。なぜ、数正は家康から離れたのか? 第32回・33回の演出を務めた演出統括の加藤拓が、その理由の解釈や、松重演じる数正の魅力を語った(※ネタバレあり。第34回までの詳細に触れています)。
第32回「小牧長久手の激闘」で描かれた、織田信長の息子・信雄(浜野謙太)を擁する家康と、秀吉が激突する「小牧長久手の戦い」では、軍の数でははるかに劣っていた家康が形勢逆転で勝利。家康の家臣・本多忠勝(山田裕貴)や榊原康政(杉野遥亮)らは勝利に酔いしれていたが、一人だけ浮かぬ顔をしていたのが数正。「秀吉には勝てぬと存じまする。一つ戦(いくさ)を制しただけのこと。秀吉は我らの弱みにつけ、そこにつけこんでくると存じまする」と今後を案じた。
「小牧長久手の戦い」での徳川の勝利を静観していた数正の心情を、加藤監督はこう分析する。「“これは本当の勝利ではない”という現実を三河では彼だけがみていた。そして、秀吉もそう思っている。野球に例えるなら1回目で一点取られただけと思っている秀吉と、完勝でゲーム終了と思っている三河家臣団。そういう構造だと思うんですよね」
第33回「裏切り者」では信雄が独断で秀吉と和睦を結んでしまい、秀吉は家康に「徳川の子息を我が養子に」との条件を突き付けた。そこで数正が交渉のため家康の代わりに秀吉のもとへ向かうも、数正は秀吉からさらに厳しい条件を言い渡されたうえに秀吉の家臣になるよう誘われる。数正は葛藤の末、「生涯裏切り者のそしりを受ける」覚悟で出奔した。家康の忠臣だった数正が、なぜ出奔を決めたのか……?
「負けですよ、いったん負けを認めましょうっていうことだと思うんですよ。ここで秀吉に抗い続けることが、家康が理想に掲げてきた皆が幸せな社会と結びつかないという判断だったのではないか。では、なぜ数正は秀吉に勝てないと思ったのかというと、一つは数正が大坂城の内部を見たことだったんじゃないかと。怪物=秀吉の腹の中に入ってしまったという。今回のお話では三河の人々の中で大坂城に入ったのが数正だけだった設定になっている。大坂城を見てきた彼だけが秀吉の恐ろしさ、底知れなさを感じ取り、一度負けを認めないと本当に秀吉に叩き潰されてしまうと悟る。なんだけど、それを若い家臣たちにどうしたってわかってもらえない。いわば都会を見てきた人と見ていない人の格差のような意識のズレがあって、その哀しみを松重さんが体現されています」
そんな数正を演じる松重を「全てにおいてストイックであり、強い柱のような人」だと評する加藤監督。家康が「どうする?」と決断を迫られる場面では常に冷静に意見を述べ、家臣団の柱として活躍していただけに、彼が出奔したのちの家康の喪失感は計り知れないものがある。
「数正はいわば家臣団の屋台骨だったので、おそらく松重さんも一切余計なことはせず、そういう存在たろうとされていたと思います。だからこそ、数正が出奔した理由に説得力を与えることのハードルが高かった。当然、数正は私利私欲で動くような人ではない。でも歴史上、彼が家康の元を離れて秀吉のところに去ってしまう厳然とした事実としてあるわけで。時にのみ込まなければならないこともあるという年輪を表現せねばならないので難しかったと思います。あとは『どうする家康』はエンターテインメントとして戦国を幅広い層の方に楽しんでいただきたい思いがあるので、史実をご存じない方々が“なんで数正は行っちゃうの?”と引っかかることなく、納得していただけるように描かなければならない。ですが松重さんのおかげで“数正がそういう判断をするなら殿ものみ込まなきゃいけないよね”と納得できるようなかたちになっていると思います」
第34回では家康の家臣たちの言葉や、数正の“置き土産”を通し、数正が苦渋の決断を下した背景が徐々に浮かび上がっていった。憎まれ口をたたき強がっていても寂しさを隠せない家康と同様、しばし“数正ロス”に陥る視聴者が続出しそうだ。(編集部・石井百合子)