「大奥」正弘役・瀧内公美、実はアドリブだったと告白
NHKドラマ10「大奥 Season2」(毎週火曜午後10時)に、老中・阿部正弘を演じた瀧内公美が、幕末編・第17回(11/14放送)で描かれた家定との感動的なシーンの裏側を明かした。さらに、自身が演じたキャラクターや家定を演じた愛希れいかへの思いも語った。
よしながふみの漫画「大奥」が原作となる本シリーズは、3代将軍・家光の時代から幕末・大政奉還にいたるまで、男女が逆転した江戸パラレルワールドを描く。シーズン2では吉宗の遺志を継いだ若き医師たちが赤面疱瘡の撲滅に向けて立ち上がる医療編と、幕府の人々が“江戸城無血開城”のために奔走する幕末編が描かれる。
第17回では、家定のもとに、胤篤(福士蒼汰)が正室として輿入れし、2人が次第に距離を縮めていく様子が描かれた。一方、正弘は開国派と攘夷派に分かれ意見がまとまらない老中に挟まれながらも、家定から託された役目を果たそうと奔走する。
第17話の台本を読んだ際、涙が止まらなかったという瀧内は「最後に自分の気持ちを伝えられるシーンがあって、幸せだなと思いました」と正弘の思いに、感情移入したという。
さらに、馬に乗った家定と対面したシーンについて「悔しいし悲しいしつらいけど、でも今日までやって来られて良かったなという気持ちに自然となれた気がしました。台本には書かれていなかったのですが、頭を下げたあと、無意識で『ありがとうございました』と言っていて。あぁ、正弘はそういう気持ちだったんだなと思いました」と、実はアドリブだったという裏話も披露した。(今井優)
コメント全文は以下の通り。
Q:阿部正弘をどのような人物と捉えて演じられましたか。
原作では、とてもおっとりしていて、甘いものが好きで、いつ走り回っていて 、 周囲の人の力を借りて政を動かしていく人物として描かれていて。機転も利きますし頭 もきれる、なによりも人から嫌われないキャラクターだなと思いました。演じる上では、原作 で 描かれていた 正弘の柔らかさを取り入れつつも、若くして亡くなる人物でもあるので、物語の始めの方はすごくファニーに演じました。キョロキョロしながらあっち行ったりこっち行ったり、その瞬間を一生懸命生きているという感覚を大切に演じました。
Q:正弘にとって、家定はどのような存在だったと思われますか。
家定との場面で特に印象に残っているシーンやセリフはございますか。16話の家定様の「そなたが自在に宙を飛ぶためにここに座っておるのだ、私は」というセリフが印象に残っています。正弘が生きた時代はいろいろなことが起こりすぎて、政をどう動かしていけば良いか、さまざまな意見の狭間にゆれながら日々決断を下していたんだと思うんです。そして、結果的に正弘は、政に関してやりたい様にやらせてもらえたと思うんです。それは家定様がいたからこそ、家定様からの信頼があったからこそできたことで、セリフでもありましたが、家定様に正弘は生かしてもらっていたのだなと思います。
Q:家定役・愛希れいかさんとご一緒されていかがでしたか。
愛希さんはとっても明るくて、柔らかくて。そこに居るだけで光を放っているような、現場が明るくなる方でした。いざお芝居が始まると、目から伝わってくる意志がすごく強くて。セリフだけではなく、それ以上にもらえる情報が多くて、言葉の奥にあるものが伝わってきて。私もすごくお芝居がしやすかったですし、意思疎通がしやすかったです。
Q:17話の台本を初めて読まれたときの印象はいかがでしたか。
上様に、最後に自分の気持ちを伝えられるシーンがあって幸せだなと思いましたし、初めて台本を読んだ時は、自分のシーンであまりにも感情移入しすぎて涙が止まらなくなってしまって。セリフが一番覚えられなかったです。正弘もここで終わりたくなかっただろうなと思うけれども、ここで終えるという覚悟が自分の中にできて、思いをちゃんと伝えられたことは幸せだっただろうなと。演じ終えた今も、そう思います。
Q:17話で、馬に乗るはつらつとした家定と会い、言葉を交わすシーンはいかがでしたか。
一緒にお芝居する方がどう演じられるかを受けて演じたいと常々思っているので、今回も現場に行ってみないとどうなるか分からないなと思っていましたが、実際現場に立ってみたら、家定様が馬に乗っているのを見た瞬間から涙が止まらなくなりました。その時、あぁ、正弘はほっとしたんだなと思いました。
病弱であまりご飯も食べられなくて、ずっと城の中にいた家定様が、馬に乗って外に出ている。家定様を見た瞬間に「あ、もう私がいなくても大丈夫だ」と安心できたでしょうし、自分がいなくても胤篤も瀧山もいるし、自分が上様にお仕えしなければ、という使命感を持つこと自体がおこがましくも感じるというか。「上様を支えなければ」と思っていたけれど、もうそうじゃないんだと感じました。
会うまでは、体調が悪化して衰えていく姿見せることに不安もあったり、久しぶりにお会いできたときなんて言おうと悩んだり。正弘なりのけじめとして「自分を今日まで生かしてくれたのは上様のおかげです」「でももう自分には できません」ということを伝えたいと思って行ったし、身体的に限界なことも理解しているはずなのに、いざ家定様に会ってみたら、もっと上様のそばで頑張りたいと思ってしまったり。人間なので、そういう複雑な気持ちもあったと思います。
でも、家定様に会った瞬間に、すごくほっとして。悔しいし悲しいしつらいけど、でも今日までやって来られて良かったなという気持ちに自然となれた気がしました。台本には書かれていなかったのですが、頭を下げたあと、無意識で「ありがとうございました」と言っていて。普段、セリフにないことを言うタイプではないので不思議な気持ちになりましたが、あぁ、正弘はそういう気持ちだったんだなと思いました。
演出の大原さんからも、あのシーンは特別演出があるという訳ではなかったのですが「つらくて苦しいかもしれないけど、そういう姿を見せまいと頑張ってみて。多分それがすごく、伝わると思うから」という演出はいただきました。その場でちゃんと芝居を受けて、感じて、言葉にしてくれたら大丈夫、という感じで、任せてくださいました。
Q:大奥の撮影を振り返って、特に印象深いシーンがあれば教えてください。
まずは、大奥の廊下を走ったシーン。とにかく走り回って駆け抜けて。少しでも早く上様のお部屋に駆けつけようと一生懸命で。走り方もめちゃくちゃで大丈夫かなと思っていましたが、でもこれが正弘だったんだなと。体感して初めて、正弘の気持ちが分かったような気がしました。着物を着て走り回ることも当時は当たり前だったと思いますが、私にとっては掛けをさばきながら走り回るのがすごく難しくて。最初の頃は大変で、所作指導の先生に助けてもらいながら撮影していました 。
ほかには、やはり17話で上様が馬に乗っているシーンは思い出深いのと、上様とお菓子作りをしたシーンも心に残っています。中でも、上様と一緒にお豆を洗うシーンがありまして。それまでは所作を強く意識していたのですが、そこは初めて、所作を考えずにやることができて、豆洗いながら“生きている”という感じがして(笑)。家事をする自分の私生活とリンクしたのかもしれませんが、正弘の日常を感じることが出来て、印象に残っています。しかも今回は、上様と一緒に豆を洗うという。時代劇でも、上様と一緒に豆を洗うなんて、なかなかないと思います。なので 、すごく貴重な時間なんだろうなぁと思いながら演じていました。