「極悪女王」で話題!ダンプ松本の仰天トリビア
Netflixシリーズ「極悪女王」(世界独占配信中)で、ゆりやんレトリィバァが演じる稀代の悪役レスラー、ダンプ松本。本作の舞台となっている1980年代は、コンプラや●●ハラなどがほとんどない時代。当時アイドル的人気を博していたクラッシュ・ギャルズ(長与千種、ライオネス飛鳥)の敵役だったダンプ松本は日本中に憎まれる存在となり、今では考えられない壮絶な生活をリング外でも送っていた。その仰天エピソードを紹介します(※写真はすべて「極悪女王」より)。(石川友里恵)
ダンプ松本
短刀をリングに持ち込む
本物のドス(短刀)をリング上に持ち込み、テレビ中継関係者に「銃刀法違反で捕まります」と泣きつかれた。
敗者髪切りデスマッチで番組打ち切りに
1985年8月28日、大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチで長与千種が大流血し、丸刈りにされ、ダンプの凶器攻撃で陰惨なシーンが連続。関西で中継番組をレギュラー放送していた関西テレビ(現・カンテレ)に苦情が殺到して、急遽放送を打ち切り。月1の深夜枠から週1昼のレギュラー枠に昇格した直後だった。
24歳でマックス年収6,000万円、月給580万円
ファイトマネーに加えてバラエティ番組やドラマ、CM、雑誌、レコードのほか、有名芸能人として多忙を極めた24歳のとき、年収は6,000万円に達した。最高月収は580万円。ダンプが勝利した敗者髪切りデスマッチ(1985年8月28日、大阪城ホール)。1試合のギャラは300万円だった。
サイン会に3,000人が殺到して中止に
引退表明をしたあと、極悪同盟初のサイン会をデパートの屋上で行うことになったが、およそ3,000人が殺到。会場に入りきれなくなり、急きょ中止になるほどだった。
ストーカーに狙われる
東京・下目黒の道場付近で、若い男性が電信柱の陰などに隠れながら極悪同盟のメンバーをストーキングしていた。その異常性を察知してメンバー自らが捕獲。容疑者は警察に連行された。容疑者は「隙があれば殺そうと思った」と自白した。
カミソリ入りの手紙が毎日届く
毎日のように届けられたのは、カミソリ入りの手紙。どこから開封しても手をケガするように、四方にカミソリが仕込まれているほど緻密に設計されていた。
600人のファンが大型バスを揺らす
1985年8月28日、大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチを終えたあと、興奮したおよそ600人のファンが移動用の大型バスを囲み、揺らし始めた。全日本女子プロレス興業のスタッフは、極悪同盟の宿泊先を急きょ変更し、ビジネスホテルからアップグレード。メンバーは、結果的に得をしたと喜んでいた。
タクシー乗車拒否に遭う
ダンプ松本がリング外で一般人から受けていた嫌がらせは数しれず。現金盗難、新車への傷つけ、タイヤに釘を刺されるなど。タクシー乗車拒否もあった。
オーディションで一度不合格に
ダンプ松本は、1977年4月、全日本女子プロレス興業のオーディションに一度不合格となり、1979年1月に合格している。
全日本女子プロレス興業の営業部で働いたことがある
1979年末、長い練習生の末、営業部に転属。宣伝カーのドライバーをしていた。
その他
グッズの売り上げ1,000万円
地方では、グッズ売り上げだけで1大会1,000万円に達したこともあった。しかし、極悪同盟のグッズではなく、大半がクラッシュ・ギャルズだった。
フジテレビ系の女子プロレス中継が月に8度
1977年、ビューティ・ペアによる女子プロレスブーム到来し、ゴールデンタイムにレギュラー番組「女子プロレス・真赤な青春」がスタート、このブームをきっかけに地方局も追随するも、ビューティ・ペア解散により 1979年ゴールデンタイムから撤退。以降、日曜午後に月2回の中継を継続。1980年代にクラッシュ・ギャルズが再び女子プロブームに火をつけ、1984年に「全日本女子プロレス中継」が5年ぶりにゴールデンタイムで復活した。視聴率は20%を超えることも。
絶頂期の1985年、首都圏では月曜夜のレギュラー放送に加え、土曜日と日曜日の夕方にも隔週オンエア。月に8度もフジテレビで放送された。1985年8月22日の日本武道館決戦は、特番でゴールデンタイムに放映されて、15.1%の高視聴率をマーク。同年10月に「女子プロレスを1000倍過激に楽しむ方法」、翌1986年正月に「女子プロレス お正月だって過激だよ!」の特番も、ゴールデンで90分にわたって放送された。
80年代はプロレスブーム
1984年5月、女子プロレスを題材にしたTBS系連続ドラマ「輝きたいの」が放映された。1985年1月にはクラッシュ・ギャルズが本人役でレギュラー出演したTBS系連続ドラマ「毎度おさわがせします」が放映開始。挿入歌は、クラッシュ2枚目のシングル「嵐の伝説」。極悪同盟が、1985年8月に「夏・体験物語」(TBS系)に、1985年12月TBS系連ドラ「毎度おさわがせします」の第2シーズンにレギュラー出演。
髪切りデスマッチは2回行われた
作品でも描かれている1985年8月大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチに加え、1986年11月大阪城ホールで敗者髪切りデスマッチの再戦が行われた。この時、ダンプ松本は長与千種に大敗して、丸刈りになった。
松永高司の焼きそばは実際に名物だった
このシーンで松永社長はプロレスの道を諦めようとする香に「結局は好きなように生きたヤツが勝ちなんだよ。こうと思った道に自信を持って進めばいいよ」と背中を押す。
年間300試合
当時全女の女子プロレスラーたちは年間300日くらい試合があり、バスの中で洗濯物を干していた。