片岡千之助「光る君へ」薄幸のプリンス・敦康親王に自身を重ねる 御簾越えのシーンは「会いたい」一心で
吉高由里子が紫式部(まひろ)役で主演を務める大河ドラマ「光る君へ」(NHK総合・日曜午後8時~ほか)で、一条天皇(塩野瑛久)と定子(高畑充希)の第一皇子・敦康親王を演じる歌舞伎俳優の片岡千之助(24)。劇中、平安貴族社会の最高権力者である左大臣・藤原道長(柄本佑)の思惑によって東宮の座を奪われ、悲劇的な運命をたどる“薄幸なプリンス”として描かれた。片岡が大河ドラマ初出演作となった本作の撮影、権力争いに翻弄された敦康親王の生涯を振り返った。
片岡演じる敦康親王は、幼いころから道長の長女・彰子(見上愛)のもとで養育され、母代わりの彰子を強く慕うようになる。次の東宮候補だったが、彰子にも皇子(敦成親王)が生まれたことで運命が変わっていく。
片岡演じる敦康親王が登場したのは第39回(10月13日放送)から。このとき、敦康親王は13歳で、元服前の角髪(みずら)姿だった。元服後、彰子の元を離れてからも彰子を思い続けるが、道長はそんな敦康親王を警戒する。片岡にとってかねてから大河ドラマ出演の憧れは強く、役柄を含め念願かなっての出演になったという。
「20歳を超えたぐらいからいつか大河ドラマに出演させていただきたいと願っていました。今回お話をいただいたときはまだどんな内容になるのか想定できていなかったものの、歌舞伎でも扱われる『源氏物語』に対する意識が僕の中に強くあって。いつか歌舞伎で光源氏をやらせていただきたいなと思っていたんです。そうしたら、義理の母との関係を含め、まさしく光源氏を思わせるお役だったのでびっくりしました」
父・片岡孝太郎は「太平記」(1991)、祖父の片岡仁左衛門は「太閤記」(1965)、「春の坂道」(1971)、「新・平家物語」(1972)、「元禄太平記」(1975)、「太平記」(1991)と大河ドラマへの出演歴があり、「光る君へ」への出演を報告すると「“とにかく大河ドラマ出演は本当に貴重な経験だから頑張ってほしい”ということは言われました」といい、3代にわたっての出演に喜びもひとしおだったようだ。
劇中、敦康親王は東宮になることを周囲に期待されながらも叶わず、姉の脩子内親王(海津雪乃)やききょう(清少納言/ファーストサマーウイカ)が嘆く中、「父上を見ておったら、帝というお立場のつらさがよくわかった。穏やかに生きていくのも悪くない」と静かに運命を受け入れる。片岡自身、家業を継ぐ立場にあり、敦康親王の重圧や失望は理解できたと語る。
「僕も周りの期待を背負う立場なので、東宮になれなかった敦康親王の心境は少なからず理解できたように思います。家系図的に“彼がこの家をしょっていくんだな”といったことは言われますし、そういった部分を重く受け止めて生活しているわけではないものの“家を継がなければ、継承しなければ”という思いはずっと頭の裏側にあって、生きていく上での一つの指針になっています。敦康親王は実際には継げなかったわけですけど、今の時代、いつ何が起きてもおかしくないので、“こういうこともあるんだな”と自然に思いました。ですから、そうした気持ちの持っていき方というか、心の整理の仕方は意外とスムーズだったかもしれません。彼は“穏やかに生きていくのも悪くない”とは言っているけれども、きっと“天皇って何なんだろう、何が大変なんだろう”と常に意識して生きてきたはずなので、継げなかった悔しさはあると思います。自分がもしそうなったらと思うと、やるせない気持ちになります」
物語の舞台である平安時代といえば、片岡は歌舞伎の舞台「菅原伝授手習鑑」に出演。大宰府へ流された菅丞相(菅原道真)の養女・苅屋姫を演じ、そのときに感じた時代の空気は「光る君へ」でも生かされたようだ。
「“おぉ……”と感じ入ることがあって。自分が苅屋姫を演じていたときのことなども思い出しますし、平安時代の匂いというか雰囲気は、歌舞伎で得たものです。その心持というのはどこかしらあるのではないかと思います。『光る君へ』の藤壺のセットにいると僕自身なぜか落ち着くんです。ここでお昼寝したら気持ちいいだろうなって(笑)」
敦康親王についてはとりわけ彰子との関係が注目を浴びている。道長は、まひろに「敦康さまはお前の物語にかぶれすぎておられる」「光る君のまねなぞされては一大事である」と言い、敦康親王と彰子が不義密通に至るのではないかと危ぶむが、片岡自身はどう捉えているのか。
「彰子への気持ちを言葉にするのは難しい。彰子は彰子なんですよね。母のようでもあり、姉のようでもあり……難しいですね。きっと、男性が女性に求める甘える部分というのは母(定子)がいないからこそ、彰子に向けていたんじゃないかと思います」
とりわけ、敦康親王が御簾を越えて彰子の顔を見るという大胆な行為が反響を呼んだが、片岡は敦康親王の心境をこう解釈する。
「僕自身も台本を読んだときにびっくりしました。ご覧になった方の中には『源氏物語』を重ねる方もいると思いますし、あの場にいたまひろや行成(渡辺大知)も“え!”と驚いていましたが、敦康親王からすれば“ただお顔が見たかっただけなんです”と、その一心だったと思います。ずっと一緒に生きてきて、誰よりも信頼していて、愛している人に御簾越しに会わなければいけない現実を突きつけられたら哀しいですよね。元服して離れてしまったことの辛さもあったと思いますし。友達、異性であろうが、大事な人の顔を見たいっていう気持ち。顔を見て、ようやくホッとする。本当に純粋な気持ちだったと思いますし、僕は大石(静)先生が書かれたセリフをストレートにやらせていただこうと思っていました」
その敦康親王が、24日放送・第45回「はばたき」で、21歳の若さでこの世を去る。短い生涯だったが、片岡は3歳の娘の成長を見守ることの出来ない悔しさはありながらも、見違えるようにたくましく成長し国母となった彰子の姿を見て「いいタイミングで逝ったのではないか」とも。そんな敦康親王の想いに、片岡は亡き祖母の姿が重なったという。
「今年の2月に母方の祖母を亡くしまして。ずっと元気だったのですが、亡くなる1週間前に僕が初めて映画の主演をやらせていただいた『橋ものがたり「約束」』の完成披露を観にきてくれて。終わって家族で食事をしているときに“正博、とにかく安心した”と言ってくれたのですが、その4日後に亡くなってしまったんです。母には“正博の晴れ姿を見て安堵したのかも……”と言われて、僕としてはそんな気持ちに通ずる部分があったんですよね。僕には娘もいないですし、敦康がどのようにして亡くなったのかというのは分からないですけど、この作品で描かれた、ほっとして亡くなるという気持ちに実際にあったことと重なる部分がありました」
大学生として、歌舞伎俳優として、多忙な日々を送る片岡は「仕事が入ると私生活はきれいにはまとまらないんですよね。意識がそっちに行っていますから、逆に仕事をしているときの方が落ち着くというか」と仕事にのめり込むタイプのようで、「不器用なんですかね……」と24歳の素顔を覗かせた。(編集部・石井百合子)