『室町無頼』大泉洋のアンチヒーローは黒澤映画やマカロニウエスタンをイメージ 入江悠監督が舞台裏明かす
日本史上、室町時代に初めて武士階級で一揆を起こしたという記録を歴史に残した男・蓮田兵衛(はすだ・ひょうえ)。己の腕と才覚のみで混沌の世を豪快かつ軽やかに渡る兵衛の姿を描いた映画『室町無頼』が公開中だ。兵衛を演じるのは、数々のドラマや映画で主演を務める大泉洋。無頼=アウトローであり腕っぷし自慢ながら、どこか飄々としていて、つかみどころのない奥行きのある人物を“大泉ならでは”の味付けで魅力的に演じているが、どのようにして唯一無二のヒーローを形作っていったのか……? 撮影の裏側を、メガホンをとった入江悠監督が語った。
歴史の教科書にも登場する、室町時代最大の戦・応仁の乱(1467年~1477年)前夜の京。垣根涼介の同名小説に基づく本作では、大飢饉と疫病により農民たちが疲弊するなか、お構いなしに年貢を搾り取る役人たちに、武士階級である蓮田兵衛と彼の元に集結した無頼たちが一揆を企てるさまを活写する。
監督を務めるのは、『SR サイタマノラッパー』シリーズや『AI崩壊』『あんのこと』など規模の大小問わず幅広い作品に挑む入江悠監督だ。本企画は2016年にスタートし、撮影が終了するまでの歳月は足掛け8年に渡る。入江監督は「最初に原作小説を読ませていただいたとき、室町時代を舞台にした時代劇というのはほとんど記憶になかった。もともと子供のころから時代劇が好きだったのですが、室町時代をどうやって撮るのか」というのが一番の興味だったという。
企画はスタートしたものの、原作を忠実に描くとなると10万人以上のエキストラを要するなど現実的ではない部分をどうやって映像として表現していくかなど、難題が山積みだった。さらにコロナ禍に突入し、進行は困難を極めた。
それでも企画が生き残ったのは、兵衛役の大泉、そして兵衛のライバルであり幕府の警護役の首領・骨皮道賢(ほねかわ・どうけん)役の堤真一の作品に対する思いが強かったからだという。入江監督は「企画が走り出したときにまず脚本を書いたんです。そのホンに大泉さんが乗ってくださった。そして道賢役の堤さんも面白いと賛同してくれました。正直何度か映画化がピンチに見舞われたのですが、ずっと大泉さんと堤さんが“やりましょう”と言ってくださっていました。そのおかげでとん挫せずに生き残ったんです」と大泉、堤の熱意に感謝を述べる。
大泉洋の持ち味も反映したキャラクターづくり
劇中の兵衛は、農民たちのピンチを救うヒーローでありつつ、どこか飄々としており、無用と思えば関所などへの火つけも、人を斬り倒すことも辞さないダークな一面も持つ一筋縄ではいかない人物だ。
「最初に脚本を書き、大泉さんに正式に演じていただけるということになったことで、少しずつ大泉さんに寄せて書き直していきました。原作では兵衛が一揆の頭としてみなを束ねていくヒロイックな主人公なのですが、大泉さんが演じることで、どこかひょうきんと言うか、人懐っこさを前に出していきたいなという思いはありました」
その意図について、入江監督は「原作だと兵衛以外のキャラクターも結構笑える描写があるのですが、この映画では、そういう部分をすべて大泉さんに集約させたんです」と明かすと「兵衛の衣装に関しても、室町時代ということであまり選択肢はなかったのですが、裾の長さなど細かいところまで大泉さんと相談して仕立てていきました。一揆の話なので、後半はどうしても群衆のなかに紛れてしまう。その中でどう目立たせるかというのは、すごく考えました」と語る。
荒廃した世界観は『マッドマックス』や『北斗の拳』がヒントに
入江監督は、応仁の乱前の荒廃した雰囲気を出すために「『マッドマックス』シリーズ的な、荒廃した近未来みたいなイメージを持ち込んだんです」といい「大泉さんからは『“北斗の拳”のキャラクターみたいな感じはどうかな?』という提案をいただきました。お互いこれまで見てきた“荒廃した世界”みたいなものを持ち寄って共有していきました」とヒントとしてイメージした作品を挙げる。
昨年12月に行われたジャパンプレミアでは、殺陣で満身創痍となったエピソードを披露していた大泉。それほどハードなアクションシーンが作品の大きな見どころになっているが、入江監督は「大泉さんが『映像の殺陣はあまり経験がない』と話していたので、こちらが思い描くところまでたどり着けるのか……」という不安があった。しかし大泉は「秘密の特訓をしてくる」と言い残し、次に現れたときは「格段に良くなっていた」と入江監督も驚いたという。
昭和の時代劇やマカロニウエスタンも参考に
“荒廃した世界”として『マッドマックス』や『北斗の拳』という作品を挙げていたが、兵衛自身のイメージは、昭和の時代劇を参考にしたという。
「最近の時代劇で描かれる武士階級の人って、折り目正しい人が多い印象があるのですが、昭和の時代劇って結構いい加減な主人公が多かった。分かりやすい例でいうと、黒澤明監督の『用心棒』(1961年)では、三船敏郎さん演じる浪人の桑畑三十郎は、利害関係だけで世を渡っていく。あとはいわゆる“股旅物”(※侠客や博徒などの主人公が各地を流れ歩く義理人情の世界を描いた映画)と呼ばれる作品がありましたが、根無し草的な主人公は兵衛のイメージに近いのかなと思いました」
弱きを救う熱きヒーローでありながら、ドライな部分も持ち合わせる兵衛。その部分については「クリント・イーストウッドが演じていた“マカロニウエスタン”的な感じは、どこかで意識していました。大義名分があるわけではなく、たまたま流れ着いて、悲惨な状況を見て“しかたないから行くか”みたいな。だからこそ、あまりグッと肩入れしないドライさがある」とイメージを伝える。
「非常に多面的な人物像」と定義した兵衛。これまで大泉があまり演じてこなかった“無頼漢”“ドライさ”に、大泉の持ち味であるニクめない人間像をうまくブレンドできたら、という思惑を持って撮影に挑んでいたという。こうした人物像も、室町時代というあまり視聴者にもあまりなじみのない時代だからこそ「兵衛はどう歩いても、どんな見え方でもいい。彼が見つめていた未来を映画で描けばいい」とさまざまなチャレンジができた撮影だったことを振り返っていた。(取材・文:磯部正和)