略歴: 東京の出版社にて、月刊女性誌の映画担当編集者を務めた後、渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスターのインタビュー、撮影現場レポート、ハリウッド業界コラムなどを、日本の雑誌、新聞、ウェブサイトに寄稿する映画ジャーナリスト。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。
原作の出版は1992年、ランティモスが権利を買ったのは2011年。時代の先を行くこの話が、「#MeToo」「#TimesUp」で女性の権利への認識が高まった今映画化されたのは完璧。体は大人だが脳は胎児という主人公を通して世の中を見つめていくというストーリー上、大胆な性描写は重要。かっこよくもきれいにも見えない状況にも常に堂々と飛び込むエマ・ストーンだが、今回ここまでやったのにはあらためて感心する。ベラの成長の過程は衣装でも細かく表現されるし、最初はモノクロだったロンドンも最後に戻ってくる時はカラーというのも効果的。シュールリアルさのあるプロダクションデザインもぴったりでどこを見ても完成度高し。
近年の中でウディ・アレン本人が最も詰まった作品。ひと昔前だったらアレン自身が主人公モートを演じていたはず。ヨーロッパの巨匠のクラシック映画を愛し、ハリウッドを嫌い、車がパンクしても何もできず、死ぬことを異常に恐れる“歩く神経症”のモートは、アレンそのもの。モートの口から出てくる言葉はそのままアレンの言葉だ。一方で、モートが気に食わない気取ったフィリップにも、映画祭でちやほやされる監督で、ジャズの演奏もするなど、アレンの要素がある。「#MeToo」で古い疑惑が蒸し返され、キャンセルされた今、かつてのような豪華キャスト揃いではないが、十分素敵。ウィットが効いた、彼ならではの映画だ。
移民、難民の多くは「もっと良さそうだから」ではなく、生き延びるための唯一の手段として来る。それはしばしば言われてきたことだが、ここに出てくる人たちはまさにそう。脱北はとても危険で、何の保証もなく、途中で捕まったり、事故で命を落としたりするかもしれない。イタリア映画「Io Capitano」にも通じるものがあるが、この映画はリアルな映像なので(よく撮ったものだ、)より驚愕。彼らのためにリスクを重ねるキム牧師の勇気とヒューマニティに脱帽。なんとなく知っているつもりの北朝鮮の歴史と現状についても改めて唖然とさせられ、21世紀の今、こんなことが許されて良いのかと心が重くなる。必見のドキュメンタリー。
設定から想像する、よくあるタイプの映画とはまるで違う。両親の揃った家に暮らし、普通に学校にも通うコットは、誰からも愛されていない。そんな彼女を、少しの間身を寄せることになった先の叔母は、しっかりとかまってくれる。叔父はそっけないのだが、なんということのない日常が続いていく中で、悲しみの方が大きかったコットの生活は少しずつ変わっていくのだ。子供にとって、いや、大人にとっても、愛はいかに大切なのか。しかし、決してハリウッド的なハッピーエンドにも、説教くさくもしないこの映画は、感動で泣かせるラストにも、一抹のリアリティを入れてくることを忘れない。静かで奥深く、ニュアンスに満ちた傑作。
初めて監督、脚本、主演を兼任するこの映画で、コメディで知られてきたダニエル・レヴィは、シリアスな演技力を見せる機会を自分自身に与えた。そこはとても良いのだが、監督、脚本の部分が浅い。愛する人を突然失い、悲しみに暮れる主人公が、友達に支えられ、新たな出会いも経て次に進んでいくというテーマは、誰もが共感できるものだけに、もっとパーソナルなことをさらけ出して欲しかった。主人公に変化が起きるのが外国の素敵な街(この映画の場合はパリ)だとか、友達との大事な会話が観覧車で行われるとか、真夜中にふたりきりで閉館中の美術館に入るとか、いかにも映画っぽい。結末も予想通り。だが彼は応援したいので次に期待。