天才ジャズ・シンガー、アニタ・オデイ壮絶人生に迫る映画が完成!
「わたしはシンガーではなく、ソング・スタイリストなの」という名言を残した天才白人ジャズ・シンガー、アニタ・オデイの人生を描いた映画『アニタ・オデイ:ザ・ライフ・オブ・ア・ジャズ・シンガー』(原題)の監督、ロビー・キャヴォリーナとイアン・マックルーデンに話を聞いた。
‐本作製作のきっかけを教えてください。
(ロビー・キャヴォリーナ)過去に一度読んだアニタの伝記『ハイ・タイムズ、ハード・タイムズ』を再読した際に、アニタについてリサーチがしたいと思ったんだ。それと同じ時期に、わたしの友人がアニタが転倒して大けがを負ったことを教えてくれてね。そこで思い切って彼女に会いに行き、入院中の彼女に話を聞くことができた。腕の骨を折ってはいたが、順調に回復に向かっていて、気さくにいろいろなことを聞かせてくれたんだよ(笑)。それ以来仲良くなって、本作を製作するに至ったんだ。わたしのことを晩年のマネージャーと書いている雑誌もあるようだが、そうではなくって、アニタの芸能活動の報酬がちゃんと彼女に渡されるようにしていただけさ。そもそも晩年の彼女にはマネージャーなんかいなかったんだから。
‐彼女は1964年から1969年まで、活動の記録がないようですが?
(ロビー・キャヴォリーナ)頼りにしていたエージェントが亡くなってしまったということも理由の一つだが、その当時アニタが所属していたレコード会社がMGMに吸収されてしまってね。それに音楽業界もビートルズのような音楽が流行となっていき、アニタの歌う音楽は契約しずらい状況になっていたんだ。アルバムなどを出してはいなかったけれど、アニタ自身はクラブなどで歌っていたんだよ。
‐アニタがジーン・クルーパ楽団に在籍していた際に、トランペットの黒人ロイ・エルドリッジと組んで出した曲「レット・ミー・オフ・アップタウン」が大ヒットしましたが、人種差別が色濃く残っていた時代に、このコンビはどのように扱われていたのでしょう?
(イアン・マックルーデン)それが人種差別的な記事は一つもなかったんだ。もちろん世間やミュージシャンの間では、この二人のコンビは話題になった。しかしジャズという音楽はそういった人種差別の壁を乗り越えた最初のアートであったし、ジーン・クルーパ楽団は黒人中心だったジャズ界の中で、白人としての先駆け的存在でもあったわけだから、驚くべきことではないのかもしれないね。
晩年の彼女は日本をたびたび訪れ、ツアーだけでなく、レコーデイングもするほどの親日家。劇中でも存分に堪能することができるが、深みのあるその声質とアドリブ調の歌声は、誰にもまねすることのできないすてきな響きで、心に染み込んでくる。(取材・文:細木信宏 / Nobuhiro Hosoki)