フランシス・フォード・コッポラ監督を直撃!新作モノクロ映画について語る
アメリカ映画界の重鎮フランシス・フォード・コッポラ監督が、新作映画『Tetro(テトロ)』(原題)について語ってくれた。
本作は、イタリア系移民の青年ベニー(オールデン・エーレンライク)が、何年も前に家族を捨てた兄テトロ(ヴィンセント・ギャロ)に会いにアルゼンチンのブエノスアイレスを訪れるストーリー。家族のきずなを美しい映像で描いた秀作だ。自らの財差をつぎ込んで製作した本作は、映画『カンバセーション…盗聴…』『ランブルフィッシュ』などと同じアプローチを感じさせる物語である。
ギャロと同じくらいの出演時間を与えられた、新人俳優オールデンについて「わたしは、キャラクターの年齢と実年齢を重視するんだ。26歳の俳優が18歳を演じるようなのは嫌いでね。というわけで映画『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンが高校生という設定は、信じ難いものさ(笑)。だから実際に高校の演劇部などで活動している学生を探したんだ。それでオールデンに出会ったわけさ。それまで演劇やテレビなどに出演した経験はあったが、映画は初めて。それも新鮮でね。そして彼に陰の部分も見つけて、オールデンになら青年時代に陸軍士官学校を抜け出したわたしのエピソードも演じることができるだろうと思ったんだ」と語ってくれた。コッポラ監督が語るとおり、オールデンの演技は素晴らしく、10代のレオナルド・ディカプリオをほうふつとさせるものがある。
劇中には、即興ではないかと思われる部分が数多く見受けられる。脚本のプロセスについて「わたしは、リハーサルを2週間くらいで終わらせてしまうんだ。そこからは、俳優たちに自分のキャラクターがどういうものなのか、シーンを通して理解してもらうことになる。そのとき俳優たちは自分自身の過去の記憶をたどり、それぞれの経験を含めた即興的なことをやっていると思うんだ。そうすることによって、俳優たちはカメラの前に立つことを恐がらなくなる。そういうプロセスがあるからこそ、扱いが難しいと思われているギャロみたいな俳優を使うことができる。わたしにとって、脚本はあるようでないようなものなんだ」と意外なエピソードを教えてくれた。
時代設定は違えど、劇中の映像は1940年代のフィルムノワールを思い起こさせるモノクロ映像になっている。「どんなスタイルでも、一番ストーリーに適したものを選択しているよ。だが最近は、テレビ会社のお偉い方が幅を利かせていてね。彼らは『白黒映画にはカラー映画の半分の放映権しか払わない』とか言ってね。モノクロで映画を作ると、必然的に観客や視聴者が観にくい状況下に置かれてしまうというわけなんだ。しかし優れた作品の多くは、モノクロで製作されたものだとわたしは思うし、今回は過去に観てきた秀作に敬意を表する形で、モノクロで制作するスタンスにしたんだよ」とのこと。
主人公テトロは作曲家を父に持つ設定。コッポラの父であるカーマイン・コッポラも作曲家だが、コッポラの家族に対する思いを聞いてみた。「観客は、いつも映画に感情的なものを要求していると思う。そんな中、わたし自身が感情的になれるものといったら、唯一家族だと思うんだ。家族との誤解や悲嘆などは、家族を愛するが故に生まれるもので、そこら辺にいる人物に罵声(ばせい)を浴びせることとは違い、心に響くものだろう? 今回の制作では、これまでわたしが気付かなかった家族への質問を提起して、撮影を終えて、ようやくその答えを得た感じだね」と語る。
・映画『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』について
映画『ゴッドファーザー』で成功を収めたにも関わらず、映画『地獄の黙示録』では、ほとんどのプロデューサーが率先して製作にかかわるようなことはなかった。結局、『ゴッドファーザー』の成功で得たナパヴァレーの土地を担保に『地獄の黙示録』を作ったんだよ。妻のエレノアは辛抱強い女だが、撮影中にシビレを切らして帰ってしまわないように16ミリカメラを渡し、わたしを撮るように進めたんだよ。それがドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』なんだ。
・若き映画制作者へのアドバイス
ほとんどのフィルムメーカーは、カメラを使ってショートフィルムなどを撮っていると思うから、ほかにわたしが与えてあげるアドバイスがあるとしたら……それは一幕だけの演劇を友人とともに、知り合いの前でやってみたらいいと思うんだ。演技やセリフが生きた形で観客の前でできるから、単に映画を制作し、その反応を見ずにいるよりは、ずっと効果的だよ。(取材・文:細木信宏 / Nobuhiro Hosoki)