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ディズニーはなぜ世界的成功を収めたのか?一時は事務所がプレハブ小屋になったどん底も!

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ドン・ハーン監督(手前)とプロデューサーのピーター・シュナイダー
ドン・ハーン監督(手前)とプロデューサーのピーター・シュナイダー - Photo:Nobuhiro Hosoki

 ディズニーがなぜ世界的成功を収めたのかがわかるドキュメンタリー映画『Waking Sleeping Beauty』(原題)について、ドン・ハーン監督とプロデューサーのピーター・シュナイダーに話を聞いた。

 ウォルト・ディズニーの下、輝かしい栄光を築き上げてきたウォルト・ディズニー・ピクチャーズ。しかし1980年代前半にはアニメのヒットに恵まれず、製作スタジオが駐車場のプレハブ小屋に移されるなど困難も。そんなどん底からディズニーを救ったのは、社長交代劇だった。

 「ウォルトの長女の夫、ロナルド・W・ミラーが代表取締役を続けていたら、とっくの昔にディズニーは終わっていただろう。1984年にパラマウント・ピクチャーズで働いていたマイケル・アイズナーを会長兼CEOに、そしてワーナー・ブラザーズのフランク・ウェルズを社長兼COOに大抜てきしたことですべてが変わった」と2001年までディズニーで働いていたピーターが語る。トップが身内から外部の人間に代わったことから、それまでなかなか通らなかった発案が簡単に採用されるなど、風通しがかなりよくなったという。 

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 さらに東京ディズニーランドを含めたテーマパークを世界中に増やしたことや、キャラクターの商品化、そして若手の育成などが復活に拍車を掛けた。「ディズニー映画が素晴らしいのは、映画からキャラクターが抜け出して、新たな様相を見せてくれること。テーマパークに行けば乗り物やパレードにもなっているよね」とピーター。

 1980年代は、アニメーションよりも映画『いまを生きる』などの実写映画が成功を収めていた。ドン監督は「そのとき、多くの上層部がアニメーション部門をなくそうと考えていただろう。だがウォルトのおいがディズニーにアニメがいかに必要かを説いた。それがなければ、どうなっていだろう?」とにわかに信じがたい裏話を明かす。世界中で知られるキャラクターを生み出したディズニーだが、困難な時代があったことはあまり知られていない。本作は真のディズニー・ファンにとっては必見のドキュメンタリーだ。(取材・文:細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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