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ジョン・F・ケネディもご執心だったアメリカのヌードショーをロバート・ゼメキスの妻レスリー・ゼメキスが描く

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レスリー・ゼメキス
レスリー・ゼメキス - Photo:Nobuhiro Hosoki

 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや『フォレスト・ガンプ/一期一会』で知られる監督ロバート・ゼメキスの妻レスリー・ゼメキスが、1930年代に大盛況だったバーレスクショー(ヌード、コント、コーラスライン、歌などを含めたをショーのこと)を描いたドキュメンタリー映画『Behind the Burly Q』(原題)について語ってくれた。同作は、実際にバーレスクショーで活躍したダンサー、コメディアン、歌手などに直接インタビューをして、当時を振り返りながら、ショーがもたらした文化的な影響が語られていく作品。ロバート・ゼメキスも、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。

 ゼメキス監督はバーレスクショーが盛況だった時代について、「まず、コーラスラインのダンサーが15~20人くらい登場して踊り、その横で歌手が歌って始まる。その後、2、3人のコメディアンがコントをして、さらにマジシャンやボクサーなどのスポーツ選手がパフォーマンスをし、最後に見せ物のヌードショーをやる所が多かったみたい。もちろん、バーレスクショーは決して、一般の人たちに主流のものとは言い難いけれど、当時の多くの人たちはこれを見て育ったの」と説明してくれた。

 さらに当時のバーレスクショーのヌードダンサーについては「世界恐慌(1929年)で、食べることさえ苦しかった時代だったため、その貧困から抜け出すためにダンサーになる人、あるいは女優志望だけれど活躍場所がなく食べていけない人、さらに家族から虐待を受けていた人が、このバーレスクショーのダンサーになってしまったケースが非常に多かったの。それに、舞台などを観るお金がない人たちは、このバーレスクショーを代わりに見ていたの」と時代背景もバーレスクショーに影響していたことを教えてくれた。

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 大人気TVシリーズ「M*A*S*H」でおなじみのアラン・アルダの父は、このバーレスクショーのオープニングを歌う歌手として活動していたらしく、「アランも含め、当時のほとんどの子どもたちは、自分の親がやっていることを嫌っていたのよ。それは、バーレスクショーの公演は一か所だけでなく、ほかの州での巡業もしていたから、なかなか親に会えなくて、子どもたちには良い思い出がなかったからなの。それと、こういう職業だから離婚しているダンサーが多く、地方に回っているときに子どもを放っておけないから、公演場所に子どもを連れて行き、実際に子どもの前でヌードショーをしているダンサーも結構いたの。それは、子どもにとって結構衝撃的かもしれないわ! ただ、アランの場合は後に父親が、自分の将来(俳優)に大きな影響をもたらしたと言っているわ」と教えてくれた。

 さらにバーレスクショーの多くは、マフィアによって経営されていたらしく「ほとんどの会場は、マフィアがかかわっていたらしいわ。ただダンサーたちは、そのことに関して、特に気にしていなかったみたいよ。ある意味、逆に彼らに守られていると思っていたのかもしれない。マフィアも、ビジネスの一環としてやっているわけだから、表立って騒ぐようなことはなかったみたいね。それに、彼らが客として来ても、客とダンサーが行動を共にすると、ダンサーはクビになるルールがあるから、大きな騒動にはならないのよ」と裏社会の知識も教えてくれた。

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 そんな、バーレスクショーにはジョン・F・ケネディも、側近を連れてよく通っていたらしく「なぜか彼は、こういう世界にも深くかかわっているのよね!(笑)実際に、彼がデートしたダンサーは結構いて、中でもテンペスト・ストームとの話は世間でも知られているわ」と語った。

 この映画のアーカイブの映像は、会場の経営者やパフォーマーたちから得たものが多いそうだ。実際、3人の子どもがいる監督のレスリーは、撮影中夫のロバートに子どもの面倒を見てもらって撮影していたそうだ。バーレスクショーは、あまり語られていないアメリカの文化と言えるのかもしれない。(取材・文:細木信宏 Nobuhiro Hosoki)

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