中江監督、映像づくりのマニュアルにダメだし!子どもに悪しきプロのノウハウを押しつけてはいけない!
プロの映画監督から映画作りを学ぶ「こども映画教室」を主催している金沢コミュニティシネマが、教育と映画をテーマにしたシンポジウム「こどもが映画をつくるとき」を13、14日の2日間に渡って金沢21世紀美術館で開催した。ディスカッションには同教室で歴代講師を務めた、『ナビィの恋』の中江裕司監督、『神童』の萩生田宏治監督、『ユキとニナ』の諏訪敦彦監督らが参加し、白熱した議論が展開された。
最近は子どもの情操教育はもちろん、集団でのモノ作りを通して協調性を学ぶ機会として全国で同様の取り組みが数多く行われている。2006年にスタートした「こども映画教室」も4年目を迎え、これまでの成果を振り返ると同時に子どもと教育の未来に映画が何が出来るのか考える場を設けようと企画された。14日に行われたシンポジウムでは実戦レポートとして、仙台で私塾「アトリエ自遊楽校」を開校している新田新一郎さんと、小学校の授業で映画・映像教育を取り入れるべく奔走した川崎市の市民・こども局市民文化室の広岡真生さんの例が紹介された。
前者の「アトリエ自遊楽校」では2歳児~12歳の子どもを対象に月謝8,500円で、絵画やミュージカルなどアート全般を自由な発想のもとで創作する活動する場を設けており、その延長で映画製作にも挑戦している。一方後者は、それまでの労働者や公害の街といったイメージから脱却を図るべく、「映像のまち・かわさき」を掲げて文化・芸術の振興に力を入れている神奈川県川崎市が、その一環として2008年から小学校で映画製作の授業をスタート。
パナソニック財団や同市にある日本映画学校、地域のシニアボランティアの協力を受けながら、初年度は市立川中島小学校1校のみだった取り組みも本年度は10校にまで拡大。先の事業刷新会議で文化・芸術への助成金への削減が問題視されている今、公教育で実践されている画期的な試みだ。ところが教師用に「映像制作マニュアル」が存在し、そこに企画立案→絵コンテ→役割分担→撮影→編集とお手本のような流れを推進しているような内容に中江監督たちが噛み付いた。
中江監督は「子どもと映画のファーストコンタクトが大事なのに、悪しきプロのノウハウを押しつけてはいけない。このマニュアルは、映画のある一面を示しているのに過ぎない。なぜ絵コンテや音を付けることが必要なのか? ルールを押してるのではなく、カメラを回して何を撮りたいのかが大事なのではないか?」と苦言を呈せば、萩生田監督も「映画製作には、引きこもり気味だった子が映画作りで前に出るようになったり、一緒に作ることで日常とはまた違う人間の見方が出来るなど副産物が多々ある。しかし何を作りたいか? の前に作り方から入ると、欠け落ちてしまうモノがあるのでは?」と続いた。
しかし、新しい試みを始めるために教育機関などさまざまな壁にぶち当たって来たであろう広岡さんも負けてはいない。「逆に映像にかかわっている人たちに言いたい。映画教育を始めるにあたり、どういう事例があるのか手がかりが欲しくて日本映画学校に『テキストを見せて欲しい』と依頼にいったが『そんなものはない』と言われ、教育としての映画と映画制作の現場にはまだまだギャップがあると思った。10校で実戦するにあたり『マニュアルが欲しい』との要望があって、必要とする人がいるならば届けようと思って作成したが、教師にとってはマニュアルを活用している人もいるし、自分たちで自由にカリキュラムを組み立てている人たちもいます」と反論。
さらに、同じ芸術とはいえ絵画や音楽と比べて映画は、フランスのリュミエール兄弟が1895年に発明してから125年と歴史が浅い事が公教育になかなか受け入れられない難しさに繋がっていることや、現状の授業に組み込むためには国語か? 社会か? など枠を決める必要がある事が説明された(※フランスでは美術、英国では国語の教育として行われているという)。
これには東京造形大学学長でもある諏訪監督も「確かに、映像学科を設ける大学が増えるなど映画教育の場は増えたが、では実際どういう教育をしているのか我々も情報を共有していないのが実情。何を教えるべきか? どういう教育効果があるのか? など、話し合われていない事が問題なのでは」。日本映画学校で指導している萩生田監督も「監督コースで何を教えるかと言えば一人一人と話し合って指導するしかない。
映画を教えるというのは、非常に時間の掛かることなんです」と現場の苦悩を明かし、広岡さんの意見に一部理解を示した。約1時間半に及んだディスカッションは平行線のまま時間切れとなり、情報交換とさらなる議論の必要性を参加者に突きつけた。金沢コミュニティシネマや「映像のまち・かわさき」推進フォーラムでは、全国で子どもの映画教育に携わっている人たちに呼び掛け、今度も同様のシンポジウムを開催していきたいという。(取材・文:中山治美)