杉良太郎、福島第一原発より20キロ地点に夫人と共に防護服を着用せず訪問 南相馬市の方々と同じ思いで…何時間も村民と対話
東日本大震災の被災地慰問を続け、今年の4月に福島県を訪れた俳優の杉良太郎が、原発問題に苦しむ福島県の南相馬市、飯館村の人々への切なる想いを語った。
「被災地の人々はもちろん、原発の現場、最前線で働いている方々をねぎらいたくて……」、福島を訪れた経緯を聞くと、杉からこんな答えが返ってきた。杉は、法的に立ち入りを制限する警戒区域に認定される前の4月19日、福島県の南相馬市と飯館村を訪れた。福島県訪問を決めたのは、先の言葉通り、原発を訪れるためだったという。「原発の中で、命を懸けて働いている皆さんの苦労は計り知れませんから、ただ一言、ありがとう、と言って労いたかった。この方々は、文字通り決死隊なのです」。しかし、防護服を入手することが困難な上、福島県第一原発のみならず、20キロ圏内も立入禁止。杉は、原発から一番近いところで不安な日々を送っていた南相馬市、飯館村を訪れ、ラーメン5,000食を届けた。
同じころに福島県を訪れた、その役職にある政治家たちは、フル装備の防護服で南相馬市を訪れていた。放射線物質対応の防塵マスクをつけ、避難所に立ち寄ることもなく、数分で帰った彼らとは対照的に、杉と妻の伍代夏子は、マスクもつけず、何時間もかけて村民の話に耳を傾けた。伍代とともに自衛隊が検問をしている20キロ地点まで行った杉には、ある思いがあったという。「あの場所に、装備もマスクもせずに行ったのは、福島の、南相馬市の方々と同じ立場になる必要がある、という気持ちからです。あんなに線量の多いところで暮らしている皆さんがどんな想いをしているか……。少しでも皆さんと同じ立場に立とう、と僕はあの場で深呼吸をしたんです」
ラーメンを届けるために訪れた飯館村は、美しい村だった。「本当にきれいで、のどかな場所でした。こういうところが日本にあったのか……、というほど、ほっとするような村だったんです。“こんなところに住みたいね”と伍代と言っていたくらいです。地震の爪あともなく、風景は美しいままなのに住めない。どうして、なんで、という地元の方々の気持ちが痛いほどわかりました。土もとてもいいから、作物もとても豊富なんです。あれだけいい土を育てるのに、たくさんの時間がかかったはず。でも、もうなにも育てられない。本当に残念だと思いました」。
「なぜこんなことに……」、村の現状をその目で見てきたからこそ、無念の思いは人一倍強い。原発は、“想定外”の事故により、福島の人々から美しいふるさとを奪った。杉が訪れた飯館村にも南相馬市にも、多くのお年寄りが身を寄せ合って暮らしていた。避難生活は3か月を超え、先月下旬には、南相馬市に住む93歳の女性が、「原発のことで生きたここちがしません。私はお墓にひなんします」と書き遺し、自ら命を絶ったニュースも伝えられた。美しい村で家族に囲まれて、93歳まで生きた女性の人生は、“自殺”という悲しすぎる最後を選んで、人生に幕を下ろした。東日本大震災に追い打ちをかけるように、原発が引き起こした悲劇は、まだ、続いている。「南相馬市も、飯館村も、原発に近ければ近い被災地ほど、見捨てられたような存在になっています。いま、救いの手を差し伸べなくては、誰が彼らを助けられるのでしょう? 故郷を失い、過酷な避難所生活をしている方々が、自分たちだけの力で生きるのは、あまりに酷すぎる。だからこそ、わたしたちが立ち上がるべきなんです」。今年、67歳の杉は、きっぱりと言い切った。(編集部:森田真帆)