東日本大震災から1年、映画に何ができたのか…映画の絆と力を振り返る
2011年3月11日から今日で1年、東日本大震災は多くの人々の生活や考え方を一変させたが、映画に携わる人たちにとってもそれは例外ではなく、「映画とは何か?」という本質的な疑問を改めて自らに問いかけた。震災発生直後は、被害の甚大さと電力不足などの問題により、 「こんな時に映画なんて」という思いを持つ人も多く、 時が経つにつれ「自分にできることをやろう」 「こんな時だからこそ映画にできることがある」 との思いから、多くの人がさまざまな活動を展開し、 震災に関係した映画も数多く制作された。改めて映画の歩んだこの1年を振り返った。
東日本大震災後、計画停電の影響や映画館整備のために多くのシネコンが営業を自粛。大津波のシーンが冒頭にあるクリント・イーストウッド監督の映画『ヒア アフター』は上映中止に、マグニチュード7.8の唐山大地震によって心に傷を負った少女と罪悪感を背負い生きる母親の32年間を描いた映画『唐山大地震-想い続けた32年-』が公開延期となるなど、「津波」や「地震」を人々に連想させる新作映画は、被災した人々の気持ちを考慮した上で決断を下すこととなった。
多くのイベントが中止となっていた震災直後の3月、賛否両論の中で開催に踏み切ったのが、毎年、吉本興業が主催している「第3回沖縄国際映画祭」が開催。海外からもたくさんのゲストが来日した第24回東京国際映画祭では、募金活動に加え、映画祭出品作4作品を、被災地で無料上映する「『TIFF in 仙台』特別上映会」、被災地をテーマに作られた作品を上映する特別上映「震災を越えて」などが新たに加わった。沖縄国際映画祭を皮切りに、2011年、国内で行われた映画祭は、そのほとんどが希望や夢を与え続ける「映画」の力で、被災地と人々のきずなを築くイベントとなっていったと言ってもいい。
東日本大震災が引き起こしたもう一つの悲劇……それは地震直後に発生した福島第一原発でのメルトダウン事故。海外で報道されるニュースと食い違う東電の発表、放射能への不安は日々募っていき、真実を求める人々は原発の恐ろしさを描いたドキュメンタリー映画へと足を向けた。鎌仲ひとみ監督の自然エネルギーシフトへの希望を描いたドキュメンタリー作品『ミツバチの羽音と地球の回転』、映画『チェルノブイリ・ハート』など、チェルノブイリの現実を見つめた作品も数多く公開され、「15年後、日本はどうなるのか」という深刻な問題を突きつけた。
多くの人が、大切な家族や友人を亡くし、心に深い傷を負った東日本大震災。映画は、震災で傷ついた日本人の「心の癒やし」としての役割を果たした。震災直後は、多くの避難所でボランティアによる無料上映会が行われ、日本中の配給会社から新旧問わず、たくさんの映画作品が提供された。各地で上映された作品 は、アニメ作品や往年の名作などそれぞれ。避難所で暮らす子どもたちやお年寄りからは、大きな歓声が上がったという。
2011年の映画興行成績を振り返ると、洋画では『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉』『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』、邦画では『コクリコ坂から』な ど、被災地でリクエストの高かった作品と同じく、子どもから大人までが楽しめるハートフルなファミリー映画が圧倒的な人気を誇った。映画界にとっても厳しく辛い2011年だったが、悲しいとき、つらいとき、映画は明るい希望や、笑い、元気……不思議なパワーを届ける手助けをしてくれた。(シネマトゥデイ編集部)