大島渚監督が死去 享年80歳、肺炎のため 『戦場のメリークリスマス』『愛のコリーダ』など
映画監督の大島渚さんが15日、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で亡くなった。80歳だった。
大島渚プロダクションのオフィシャルサイトによると、大島監督は1月15日の午後3時25分に息を引き取ったとのこと。告別式などの詳細は、決定次第発表される。
1932年3月31日生まれで京都出身の大島監督は、1954年に京都大学法学部を卒業後、松竹大船撮影所に入社。1959年の監督作品『愛と希望の街』以降、ヌーベルバーグの旗手と称されるが、安保闘争や学生運動を描いた『日本の夜と霧』が上映中止となったことに抗議し松竹を退社。以後、主宰する独立プロ創造社で、『白昼の通り魔』『日本春歌考』『絞死刑』などを発表した。
1975年に大島渚プロダクションを創立。1978年の『愛の亡霊』でカンヌ国際映画祭の最優秀監督賞を受賞したほか、『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』などの代表作で知られた。1996年に脳出血のため倒れながらも、1999年『御法度』を発表。2000年には文部大臣芸術選奨、紫綬褒章を受章している。妻は女優の小山明子。(編集部・入倉功一)