映画監督はカメラを通じて女優に恋をする…ヒッチコックのブロンド偏愛ぶりを大林宣彦監督が解説
サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の生きざまを通じて見えてくる「映画監督」と「女優」との関係について、映画作家の大林宣彦が大いに語った。
「映画というものはボーイ・ミーツ・ガール。監督がボーイなら、女優はガールですよ」と切り出した大林監督は、「ヒッチコックがハンサムでモテる男だったら、映画なんて作っていない」と断言する。まさに「男の子の根底にはモテたい、相思相愛の恋をしたいという思いがあるが、その夢がかなわないのが映画少年」とのことで、そういう意味では、太っちょな風貌の内にコンプレックスを秘めた人物として知られるヒッチコックはその典型なのだとか。
事実、ヒッチコックがブロンド美女を偏愛していたことはよく知られている。大林監督も「映画を通じて、監督は美女とラブロマンスができる。恋愛映画は、たとえ疑似だとわかっていても、やはり監督と女優が恋愛をしないと。男優と女優が恋愛しているようじゃ駄目ですよ」とヒッチコックの心情を代弁。それはすなわち男優が監督の身代わりになることにもつながるそうで、「ヒッチコックも男優に『君たちは立っているだけでいい。中身は俺だから。君たちは俺の代わりの姿にすぎないんだ』とはっきり言っていますよ」と解説した。
名作『サイコ』の製作から成功に至るまでの道のりを描いたアンソニー・ホプキンス主演の映画『ヒッチコック』は、公私共にヒッチコックを支えた妻アルマ・レヴィルとの愛情模様が描かれる。その関係は、大林作品のプロデューサーを務める恭子夫人と大林監督との共闘関係になぞらえることもできそうだが、大林監督は「うちらとは違う」ときっぱり。
「アルマは自らの女を殺して生きてきた人。彼女はブロンド美女の陰に隠れて、脚本を書いたり、映画を編集したりしていた。はっきり言えば、彼らは男と女ではなく、夫婦ではないという認識をわれわれの世代は持っていたし、彼女に関して語るのはタブーだった」という大林監督は、「それがアルマとの夫婦愛にフォーカスを合わせるとは、時代の流れを感じたね」と、当時を知る監督だからこそ意外だった様子だ。だが、だからこそ「若い人にはぜひ、この映画を入門編にヒッチコックに興味を持ってもらって、そこから映画そのものを好きになってくれたらうれしいね。最終的には(コンプレックスの塊である)彼のダークサイドまで見てもらえると、より一層映画を楽しめると思う」と期待を寄せていた。(取材・文:壬生智裕)
映画『ヒッチコック』は4月5日よりTOHOシネマズシャンテほかにて全国公開