『おだやかな日常』がトライベッカ映画祭で上映!杉野希妃が明かす震災後の思いとは?
日本だけでなく海外にも視野を向ける女優兼プロデューサーの杉野希妃が、現在開催されているトライベッカ映画祭(Tribeca Film Festival 2013)に出品されている日本映画『おだやかな日常』について語った。
同作は、2011年3月11日に起きた東日本大震災による福島第一原発の事故が未曾有の被害をもたらし、政府が「放射能の影響はない」と発表するものの、インターネットやテレビでは様々な情報が交錯し、被災地から離れた東京で暮らす主婦サエコとユカコも懸念しながら、それぞれ生き抜くための選択に迫られていくというドラマ作品。監督は、映画『ふゆの獣』の内田伸輝がメガホンを取っている。
まず、杉野は震災後、寛容な心を持てない日本社会に視点を置いていた。「震災後に、日本人が内面にため込んでいたフラストレーションがかなり露呈した気がします。日本人の間では面と向かって言わずに、ツイッターなどで罵倒し合っている状況で、実際には『あの人がそんなこと言っているの?』と思うような人が言っていることもあるんです。特に3.11以降にそれが感じられました」と語った。
映画内でもう一つ浮き彫りにされたのは、大人のイジメだ。「単純に子どもたちは、自分とは違うあの子を標的にする、というような傾向がイジメの中にあるけれど、大人の場合はどうしても、他の人たちに合わせていかなければいけない社会で、自分とは違うことをする人たちへ反発する同調圧力みたいなものがあって、村八分にしてしまう傾向がありますね。そこで、日本独特の大人のイジメみたいなものを、この映画で描きたかったんです」と明かした。ちなみにトライベッカ映画祭の上映後も、この大人のイジメ問題が話題になっていた。
震災後と対比したタイトル『おだやかな日常』が、まるで震災後の日本の在り方を疑問視しているようにも聞こえる。「内田さんからあらすじを渡されたときに、このタイトルがすでに付けられていました。わたしは、このタイトルを見て衝撃を受けたんです。そこには、鑑賞後、観客がタイトルについて考えさせられるようにという意図もありました。ここアメリカでもタイトルを『Odayaka』にしたのは、“おだやか”の的確な言葉が見つからなくて、“わび・さび”じゃないですけれど、日本の言葉をそのまま海外に受け止めてもらうことにしました」と語る通り、ここトライベッカ映画祭でも、そのタイトルの意味を聞かれることが多かったそうだ。
日本では震災後原発問題が話題になり、俳優では山本太郎が原発廃止運動をしていたが、杉野自身の意見は「日本のような地震大国に原発があるのはいかがなものかとは思います。わたしもデモに参加する人を知りたくて行ったことはありますけれど、日本の問題点は山本太郎さんみたいな政治的発言したり、人としての在り方について発言する人がバッシングされてしまうのは、すごくおかしい世の中だと思います。表現者が圧力を感じて、発言する選択も与えられないことはあってはなりません」と自身の考えを述べた。
今後も普遍的な映画作品を製作したいそうで「日本だけで通用する作品は、あまりわたしには意味合いが感じられません。海外の人に鑑賞してもらって、またその反応を受けていかないと、製作する作品が良くなっていかないと思うんです。そのためには、海外でも評価される普遍的な作品を手掛けていきたいですね」と語った。
海外の映画祭で驚いたことは「ロッテルダム国際映画祭で、映画内でわたしが義母に土下座して娘を返してほしいと頼む感傷的なシーンがあるのですが、そこで笑いがどっと起こったんです。欧米では、土下座の習慣はなく、彼らにはそこが面白く見えたようです。さらにこのシーンは、ユカコがサエコに同行して土下座しているので、一人では何もできない日本人に映っていたみたいですね。そこで、笑いが起きたのは結構新鮮でした」と様々な解釈が、彼女には心地良かったようだ。
そして最後に、「9.11直後にニューヨークの復興を目指して立ち上げられたこのトライベッカ映画祭で、観客の中には、東日本大震災を9.11とリンクさせて鑑賞して下さる方たちがいらして、わたしにとって本当に意義深い映画祭となりました」と語った。世界を股に掛けた女優兼プロデューサーの杉野希妃は、確かな足跡をアメリカにも残していった。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)