『華麗なるギャツビー』バズ・ラーマン監督、小説の映画化の極意を明かす
映画『華麗なるギャツビー』のバズ・ラーマン監督が、小説を映画化する際の極意を明かした。同作にはF・スコット・フィッツジェラルドが書いた小説のエッセンスが見事に抽出されているのはもちろんのこと、2時間22分の長尺ながら常に物語が進んでいくので、一瞬たりとも観客を飽きさせない。
映画化にあたり、小説を始めから最後まで全て脚本にしたというラーマン監督。その厚さは30センチほどで、上映時間にすると7時間。「そこから自問自答した。『何が好きか』ではなく、『何を外せるか』『何が必須なのか』ということを」。ともすれば好きなシーンを選びがちだが、まず考えるべきは「何を外せるか」ということで、今回の場合だと「ニックがギャツビーに会う」「ギャツビーがデイジーに会う」「ギャツビーは死ぬ」などは必須の要素だったと明かす。
そして必要不可欠なものがわかれば、それらを時系列に並べ、それぞれの間を真っすぐにつないでいくという作業に入る。「お気に入りのシーンもカットしなくてはいけなかった。いくつかは脚本に書いただけだけど、いくつかは撮影もしたんだよ」と語るときの少し残念そうな表情からは、それが苦渋の決断だったことがうかがえる。しかし「でも、できるだけラインを真っすぐにする必要があった」とラーマン監督が言うように、「真っすぐ」という点がポイントで、ゆえに本作はいっときもスクリーンから目を離せない作品に仕上がった。
また、基本的には原作に忠実な本作だが、物語の語り部であるニック(トビー・マグワイア)が「華麗なるギャツビー」というタイトルの本を書いているのは、療養所でのセラピーの一環、という原作にはない設定も使われている。原作には、ニックが何のために、そして誰のためにこの本を書いているのかは記されていない。
これについてラーマン監督は「興味深かったのは、本作のリサーチ中に見つけたフィッツジェラルドの未完の小説『ラスト・タイクーン』のノートに“物語の語り部が療養所で本を書いている”というアイデアがあったこと。僕たちはこのアイデアが『華麗なるギャツビー』で本を書いているニックに当てはまると考えた」と変更点一つを取ってもリサーチ結果に基づいていることを明かした。徹底したリサーチによる原作への理解と、好きなものでなく必須のものを選び、それを真っすぐにつなぐこと。この2点こそ、ラーマン監督流“小説の映画化”の極意だ。(編集部・市川遥)
映画『華麗なるギャツビー』は公開中