宮崎駿監督の職人魂…「僕は町工場のオヤジ」
現在公開中の映画『風立ちぬ』を最後に長編からの引退を表明した宮崎駿監督が6日、都内で開かれた記者会見に出席し、自身を「町工場のオヤジ」と評するなど、その職人魂を受け答えの端々からうかがわせた。だがこの日の会見では、そうした職人としてのこだわりが結果として監督生命を縮めることになったこともうかがわせた。
「町工場のオヤジ」という言葉が宮崎監督の口から出てきたのは、会見の最中、「今後は別の形で何かを発信していくつもりはあるのか?」という質問が投げかけられたときだった。それに対して「文化人になりたくないんです」と言い切った宮崎監督は、続けて「僕は町工場のおやじでして、それは貫きたいと思っています。だから発信しようとかそういうことを考えない」ときっぱり。
もともとアニメーターだった宮崎監督は、監督を務めるようになってからも自らの手で絵を描くことにこだわり続けてきたことで知られる、根っからの職人肌。実際、宮崎監督は「打ち合わせとかは僕にとっては仕事ではないんですよ。机に向かって描くのが仕事で、その時間を何時間取れるかです」と口にするなど、常に現場にいることを自らに課してきた。若い頃は12~14時間、現在でも7時間は机に向かって絵を描き続けているという。
だが結果的には、宮崎監督のそうした職人としてのこだわりが今回の引退につながった。年を取って作業時間が減り、長編映画の制作ペースが落ちたことで、宮崎監督は他の仕事を圧迫する長編映画からの引退を決意。もしも宮崎監督が自分の仕事を他のスタッフに割り振ることができれば、引退時期がもう少し先に延びた可能性はある。この日の会見ではそうした忠告があったことも示唆した宮崎監督だったが、「それは僕の仕事のやり方を理解できない人の言い方ですから、聞いても仕方ないですよね。それができるなら、とっくの昔にやっています」と一顧だにしなかったことを明かした。
世界を代表するアニメーション監督となってからも「僕は描かないと表現できないんです」とアニメーターであることを自任していた宮崎監督。そのこだわりが数々の名作を生み出したことは疑いのない事実であるが、その一方では監督生命を縮める結果にもなってしまった。それでも宮崎監督は「監督になってよかったと思ったことは一度もありませんが、アニメーターになってよかったと思ったことは何度かあります」と断言する。
「アニメーターというのは、本当に何でもないカットが描けたとか、うまく風が描けたとか、うまく水の処理ができたとか、光の処理がうまくできたとかそういうことで2~3日は満足できるんですよ。僕は最後まで自分がアニメーターだったと思っていますが、アニメーターという職業は自分に合っている良い職業だと思っています」。
監督であり、またアニメーターであり続けた宮崎駿監督。早すぎる引退を惜しむ声は多いが、宮崎監督は自身が職人であるが故に、誰よりも引き際を心得ていたのかもしれない。(編集部・福田麗)