第3回-薬物中毒患者、元受刑者、HIV患者らを受け入れられる社会へ
映画で何ができるのか
人を動かす映画
良作には、心ばかりではなく、人を動かす力もある。ドキュメンタリー映画『トークバック 沈黙を破る女たち』の上映活動を見ていると、そんな映画の持つ力を信じたくなる。【取材・文:中山 治美】
本作は、映像作家・坂上香さんが、元受刑者やHIV感染者らが自身の体験を芝居にする、米国のアマチュア劇団「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場」の活動を実に8年も追った記録だ。登場するのは、小さい頃から薬物と窃盗に手を染めてきたフィーフィー、虐待から生き延びるために薬物と売春を行ったアンジー、エイズで姉を亡くし自身もエイズ脳症と診断されたデボラなど、壮絶な人生を送ってきた人たちだ。坂上監督は粘り強い取材で、劇団員たちが過去をさらけ出すことで心を解放し、新たな一歩を踏み出していく軌跡を捉えている。犯罪からの更生の観点からも、貴重な映像資料だ。
この映画の評判を聞き付けた広島・福山の市民サポーターは、「ぜひ上映してほしい」と福山駅前シネマモードに直談判した。採算が取れないと、当初は上映予定がなかったそうだが、熱意を買われて8月23日から29日までの1週間、1日1回の上映枠を獲得した。ただし、同劇場のディレクター岩本一貴さんから条件が出された。「150人集客すること」。サポーターたちは手分けして前売券を手売りし、連日トークゲストを招くなどして宣伝活動にいそしんだ。結果、上映期間中173人を動員。サポーターの一人で、前売券24枚を販売した主婦が言う。「自分がこの街で、それだけの人間関係を築いてきたのかと思ったらうれしかった」。
監督が集団暴行を受けた経験から
そもそも本作は、製作途中から市民を巻き込んできた経緯がある。中学時代に集団暴行を受けたことのある坂上監督は、「どうすれば人が暴力的になるのを緩和できるのか? どうすれば暴力を受けた人が新たな境地に立てるのか?」を問い続け、前作『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』(2004)を製作。米国・カリフォルニアの元男性受刑者たちが更生に力を注ぐ姿を追った。
そして2006年から、今度は元女性受刑者たちを主人公にした『トークバック 沈黙を破る女たち』の製作をスタートさせた。だが劇団員との信頼関係を築くことに時間がかかった上に家庭の事情も重なり、撮影が延びて、資金が底を突いた。頼ったのがクラウドファンディング。10万円寄付してくれたコレクターを「市民プロデューサー」と名付け、編集途中段階の試写に参加して意見を言える「ワーク・イン・プログレス」という特典を付けた。日本では異例の試みだが、しかしこの挑戦が、結果的に多くの人に作品が支持されるようになった要因ではないかと坂上監督は振り返る。
「(資金調達の)苦肉の策でもあったのですが(苦笑)、編集は孤独な作業で行き詰まってしまい、この映画を世に出す意味はあるのか? とまで考えるようになってしまった。そんな時に思い付いたのが、以前、米国の友人が行っているのを見学して衝撃を受けたワーク・イン・プログレスのアイデアだった。呼び掛けたところ、以前から取材で付き合いのあったダルク(薬物依存症リハビリ施設)の女性たちも、『映画に口を出したいから』と自分たちで10万円を集めて市民プロデューサーになってくれたんです。ところが彼女たちに映画を観せたら大反発。ソニアという女性の『セックス』という詩の中に、『一夜限りのセックスは、セックスとは呼ばない』という一文があって、これが納得いかないと。『ソニアを(映画から)消せ!』という発言まで出た。なぜ彼女たちが受け入れられないのか? を考え、ソニアがああいう詩を書いた理由がわかるように、ソニアがデートレイプに遭ってHIVに感染したことなどをより丁寧にわかるように編集し直しました。またHIVの団体に観賞してもらった時は、『これはヤク中の人の映画ですよね』と言われて、ガーンとショックを受けたことも。結果、日米計10回のワーク・イン・プログレスを実施して相当、編集し直しました。当事者といわれる人に関わってほしかったし、彼らが反応を示す映画にしたかった」。
反応したのは、当事者たちだけではない。
観客も心を解放していく
一般の観客も、本音をさらけ出す劇団員に誘発されるように、自身の心を解放していく。それが、上映後の恒例となった、坂上監督やゲストを招いてのトークバック・セッション(質疑応答)。これは、「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場」の公演に倣ってのイベントだが、副題通り、沈黙を破って語りだす女性たちが続出して会場が熱くなるという。東京での公開時には話が止まらず、坂上監督は観客とランチを食べながら、2時間も「延長戦」を行ったこともあったという。
「そんな熱い現場を体験したい!」 そう思い、筆者は東京から夜行バスに乗って、上映をしていた広島・福山へ向かった。実はかくいう筆者も、この作品に惹(ひ)かれて行動を起こしてしまった一人なのである。
HIV陽性者は地方自治体の援助で支えられている
この日のトークバック・セッションのゲストは、NPO法人りょうちゃんずと日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラスのしげさん。しげさんは2005年、体調を崩して病院へ行ったところHIVに感染していたことが発覚。その告知を、家族と一緒にいる時に医師から平然といわれ、家族がうろたえてしまったという苦い体験があるという。早速、手を挙げて、しげさんに質問した。
「しげさんがこうして、公の場で自身のことを語ろうと思ったきっかけは?」しげさんが答えた。
「HIV陽性者は身体障害者認定を受けているので、治療は、地方自治体の援助で支えられています。それを何とか(世間の皆様に)お返しをしたい。それと、今はもう、死なない病気になったけど、治る病気ではないので生涯この病と付き合わなければならない。皆さんには、このような病気になってほしくない。なので、僕の経験を語ることから始めました」。
恥ずかしながら、知らなかった。身体障害者でもあるということを。さらにこの日は坂上監督から、劇中に登場するHIV感染者のマルレネがその後結婚し、ちょうど前日、待望の男児を出産したことが報告された。坂上監督が説明する。
「昔はHIVは遺伝するといわれていたけど、遺伝じゃない。出産時の血が要因で、それに気を付ければ母子感染は防げるのです」。 それも知らなかった。ことごとく、自分の無知さ加減にあきれると同時に、やはり自分の中にもHIV感染者に対する偏見があったことを気付かされた。さらにしげさんが、胸の内を明かす。
「HIV感染者はプライバシーが配慮されるために患者同士が知り合う機会がなく、悩みを共有できる人がいなくてずっと孤独だった。ソーシャルワーカーの前で泣いたこともあります。その時に紹介していただいたのが日本エイズ学会で、当事者も関与していた。そこで初めてHIV感染者と出会って友達ができた。思いを共有できる人がいるのは心のよりどころになるし、こうして人前で話すことで(気持ちが)整理されます」。
すると会場から、核心を突く質問が飛んだ。「逆に、言葉を発したことで、マイナスになったことはないのでしょうか?」。
しげさんが答えた。「今日、僕の写真撮影をご遠慮願ったのは、(それが公表されることで)親の生活を脅かしたくないからです。それがいつも、ゲストスピーカーを引き受ける上での条件です」。 坂上監督によると、劇中に登場する女性の中にも、公の場に出たことで家族を傷つけてしまった人がいるという。劇団が高校生向けに上演した時、息子の同級生がたまたま見に来ていた。その子が、「あいつのお母さんがあの劇団にいたぞ」と学校で広めたという。坂上監督が付け加える。
「劇団員の中には、HIV感染者であることを、まだ両親に告げていない人もいます。相手との関係性が近くなればなるほど、カミングアウトがしづらい状況があります」。
本人が声を上げたくとも、それを受け入れる社会の準備ができていないことを痛感した。映画は、自分が知らなかった世界を教えてくれる新たな窓でもある。福山までの旅は、無駄ではなかった。
隠れて生きなくてもいい
こうした上映活動を行う理由について、坂上監督が語る。
「薬物依存者や精神障がい者に、HIV陽性者、そして受刑者などは社会からアンタッチャブルな存在に見られ、触れる時は、センセーショナルに扱われがちです。でも、こうして目の前で話を聞けば、至って普通の人たちなんです。特に、この映画に登場する女性たちを見ていると、『社会の恥ずかしい存在だと思っていた自分も、ああやって映画に出て堂々と語っていいんだ! 隠れて生きなくてもいいんだ!』と思う人が多いようです」。
坂上監督はすでに、新たなプロジェクトに取り掛かっている。三たび、受刑者を取り上げることで、さらに世間の偏見をなくし、社会や、人をつなげていきたいという思いがあるという。「わたしたちだって、いつ加害者になるかわからないじゃないですか。もう少し、寛容な社会にしたいな」。 そして坂上監督のこの情熱と行動力が、多くの人を引き付け、明日への一歩を踏み出す勇気を与えているのだと思った。
《第4回予告》
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