西田敏行『釣りバカ日誌』撮影当時を振り返り「しあわせだった」
「第7回したまちコメディ映画祭in台東」でコメディ栄誉賞を受賞した俳優の西田敏行が14日、鶯谷の東京キネマ倶楽部で行われた『釣りバカ日誌』上映会に来場、同作の思い出を語った。
映画の上映後、観客からの万雷の拍手で迎えられた西田は「今日はこの『釣りバカ日誌』を選んでいただいて、本当にうれしく思います。相棒のスーさん(三國連太郎さん)は鬼籍に入られましたが、今日は最初に出会った頃の思いが胸によみがえってきました」と晴れ晴れとした顔であいさつ。
当初は渥美清さん主演の国民的人気シリーズ『男はつらいよ』の併映作品としてスタートした『釣りバカ日誌』。司会を務めた娯楽映画研究家・佐藤利明の「毎回、スーさんのメイクや衣装が変わっていた」という指摘に、西田は「もっともひどかったのが『利休』(1989)をおやりになった時。突然、釣りバカの社長がどこで達観したんだろうというくらいにわびさびの世界になった。手には数珠をお持ちになってるし、原作のキャラと違うじゃんと思った」と笑う。
さらに「『男はつらいよ』には永遠に変わらないものがあった。寅さんが流浪するなら、『釣りバカ』は定住者。むしろ『釣りバカ』の方が変わっちゃいけないのに、家は毎回変わるし、嫁さんも変わってしまった」とジョークを交えて述懐。そんな西田の映画デビュー作は三國連太郎主演の『襤褸の旗』。そして、テレビドラマデビュー作は「渥美清の泣いてたまるか 」という、2人の名優との不思議な縁を語る西田は、「渥美さんは僕の大好きな先輩だった。渥美さんを見かけたら、トイレにでも金魚のふんのようについていった」と付け加えた。
「奔放なハマちゃんになれる瞬間がしあわせだったし、みち子さんやスーさん、大好きな課長とも会えるのがうれしかった」という西田は、「ふすまを開けたらハワイになったりとか、イージス艦の上で釣りをするとか、どうしたら面白くなるのかと寝ずに考えていた。思えば『釣りバカ日誌』というタイトルでしたが、みんな映画バカでしたね」と懐かしそうな顔を見せると、「これからも命ある限り一生懸命、映画作りを楽しみたい」と語り、会場からの拍手を浴びていた。(取材・文:壬生智裕)