2日間のタイムリミット、肌の露出、後ろ姿…予定調和を嫌うダルデンヌ兄弟が明かす演出術
『ロゼッタ』『ある子供』で2度のカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟が来日し、マリオン・コティヤールを主演に迎えた最新作『サンドラの週末』について語った。
一人の女性の「雇用」をめぐるサスペンスフルな2日間の物語
主人公サンドラは心の病を抱え、休職中に勤務先から解雇を宣告されてしまった女性。サンドラが生活の糧である仕事を維持するには、16人の同僚のうち過半数がボーナスを諦め、彼女の雇用継続に賛成する必要がある。日本の労働法制下ではあり得ない設定だが、「これはアジアとの競争にさらされ、経営状況が悪い小さな太陽光パネル製造会社の話です。大企業なら労働組合との争議になるでしょうが、ヨーロッパでは従業員50人以下の企業なら労組を組織する必要がなく、経営者には従業員の首を切る権利があるのです」(リュック・ダルデンヌ、以下R・D)という。
興味深いのは、サンドラが賛成票を得るため同僚たちの自宅を訪問していくストーリーが、週末の2日間限定で繰り広げられることだ。「確かにそのような時間的な短さがこの映画の骨格を成し、緊張感を生み出しています。サンドラにギロチンが下される月曜日に向けて、週末に全ての出来事が集中する構成を考えました」(ジャン=ピエール・ダルデンヌ、以下J=P・D)。さらに、いつものようにシナリオの流れに沿って順撮りをしたが、「これまで以上に編集段階でシークエンスを入れ替える余地がありませんでした。サンドラと同僚とのやりとりの順序や、サンドラの夫が定期的に評決の情勢を報告するシーンが物語の骨格になっているので」(J=P・D)と過去の作品とは異なるサスペンス調の構造について語った。
サンドラの衣装や歩き方からうかがえる細部への繊細なこだわり
『少年と自転車』のセシル・ドゥ・フランスに続き、マリオン・コティヤールというスター女優と組んだことに関しては、「アマチュア俳優もスター俳優も皆、自分のイメージにとらわれている部分があるので、リハーサルでそのイメージの監獄から解放するアプローチをとるようにしています」(R・D)と演技指導の基本は変わらないことを説明。そしてコティヤールに対しては「有名なだけでなく偉大でもある彼女は大変な努力家で、作品や他の共演者に多くのものをもたらしてくれました。よりよい演技のために提案を行い、自己批判さえできる人なのです」(R・D)と賛辞を惜しまない。
サンドラの衣装や歩き方などは、リハーサル段階でさまざまな試行錯誤を行った。例えば、彼女が緑やピンク色のタンクトップを着ている点については「夏だからそのような服を着ていることは明らかですが、わたしたちはサンドラの肌を露出させることで彼女のもろさを表現しようとしました。それに彼女は自分に全く自信がないのに、明るく楽しげな色の服を着ている。いわば、精神状態に逆行する闘いに身を投じていくのです」(J=P・D)という。
また、サンドラがタイムリミットに追われながらも、転ぶのを恐れているかのようにゆっくりと進む歩き方については「そのように意識はしませんでしたが、“転ぶのを恐れているよう”というのは面白い指摘です。実際、サンドラは家の中で転んだり、倒れたりしますからね」(同)と説明。こうした一つ一つの何げないディテールの積み重ねが、兄弟の映画をより豊かなものにしていることを改めて認識させられる。
ちなみに本作は『少年と自転車』に続く夏の映画である。それ以前の映画はどれも寒々しい時期を背景にしていたが、映画のルック(※映像の印象)にかかわる季節という要素についてはどのような意識を持っているのだろうか。「『少年と自転車』の場合は、主役の男の子の夏休みを利用して撮るという現実的な理由がありましたが、太陽がきらめく映像を撮れたことは幸運でした。ベルギーの夏は、天気がいいとは限りませんからね。『サンドラの週末』は冬でも成立する話ですが、夏でよかったのはサンドラが腕を見せながら街を歩き、同僚を訪ねる姿を撮れたことですね。それとサンドラが同僚の家の中、すなわちプライベートな空間に立ち入らず、玄関先や中庭で会話をすることも重要でした。冬ではそうはいかなかったでしょう」(J=R・D)。
予定調和の描写を避け、後ろ姿で表現されるヒロインの感情
ダルデンヌ兄弟は予定調和的な演出を避けることでも知られる。例えば劇中、サンドラが車の助手席で落ち込むシーンは後頭部から撮られ、その表情はうかがえない。逆に言えば、だからこそ観客はサンドラの悲しみの深さを想像することになる。「決まりごとのように正面から顔のクローズアップを撮るより、横や後ろから撮った方が、観客が登場人物に自分自身を投影させ、感動するのではないかと思うからです。ただ注意すべきは、システマチックにそのような絵を撮ってはいけないということですね」(J=P・D)。
同じ質問についてリュックが付け加える。「もちろんわたしたちは、ある人物が目から涙を流している顔を見て苦しみを感じることもありますが、それは表象的な問題です。人物を正面から撮った苦しみの映像が過剰にあふれてしまい、ある時点から後ろから撮ったほうが孤独をより深く表現できるようになった。これは映像と表象の歴史にかかわる問題ですね」。再びジャン=リュックは「キス・シーンだってそうですよ。わたしたちは映画で初めてキスを観たときに強烈な愛を感じますが、それを1,000回も観るとありふれたものになってしまう。こうなるとキス以外の別のやり方で、愛を強く表現する手法を探さなくてはならない」と語る。
キスと言えば、ジャン=ピエールは来日7度目の今回、初めて日本人の「路チュー」を目の当たりにしたという。「日本人はヨーロッパ人と違って、初対面の人に対して儀式的にお辞儀や握手はするけど、それ以上は体を接触することなく、最初から相手にインティマシー(親密さ)を与えませんよね。それなのにわたしは昨夜、公衆の面前でキスをしている人たちを目撃しました! 家の中だけだった日本人のインティマシーが少し変わりつつあるのかな、なんて思ったのです(笑)」。そう、興味深い日本人観を語る兄弟。最新作『サンドラの週末』は、今や世界的な巨匠として地位を揺るぎないものにした彼らの集大成となる一作となっている。(取材・文:高橋諭治)
映画『サンドラの週末』は5月23日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開