第12回『ピクニック』(1936年)
名画プレイバック
巨匠、ジャン・ルノワールの中編『ピクニック』。撮影が中断され、第2次世界大戦を挟んで完成にこぎつけたドラマチックな経緯や、ルキノ・ヴィスコンティや写真家のアンリ・カルティエ・ブレッソンなどそうそうたる顔ぶれの助監督陣のおかげで、神話扱いされている本作。でも、一度観れば、そうした部分はむしろお飾りに過ぎず、単純に映画そのものの美しさにノックアウトされるはずだ。(冨永由紀)
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19世紀印象派の画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールを父に持つジャン・ルノワールが1936年に撮影した『ピクニック』は、ギィ・ド・モーパッサンの短編小説「野あそび」を映画化した40分の中編だ。
晴れた夏の日曜日、とある田舎にパリの商人一家が馬車でピクニックにやって来る。川では少年が魚釣りをし、木々や草原の緑と新鮮な空気にひたり、せわしない日常から解放されてはしゃぐ家族を、レストラン「プーラン亭」から遠巻きに見ている若者2人がいる。都会からやって来る女たちとひとときの恋を楽しみたいロドルフと、男の責任について言及する慎重なアンリ。だが、結局は積極的なロドルフが主導権を握り、二人は一家に近づき、妙齢の娘・アンリエットとその母親を舟遊びに誘い出す。
映画史上に残る名シーンの一つとして、アンリエットがブランコに乗る場面が登場する。天空を見上げて楽しそうな笑顔のアンリエットの背景も、彼女と一緒に大きく揺れる。自然の生命力に触発されて高揚し、彼女は感情の高ぶりを隠そうともせず無邪気に母親に語りかける。結婚を控えて、少女と大人の間で揺らぐ危うさをシルヴィア・バタイユはてらいなく演じる。そこには無意識の魔性が漂い、官能的だ。娘の問い掛けをかわす母の何げない言葉が妙に心に残る。
田舎の休日はのどかに過ぎていく。のんびりとくつろぎながら、草上の昼食を楽しみ、合間に他愛ないやりとりをする一家。母と娘のどちらを相手にするか策略を練り、ナンパを成功させるタイミングを見計らう青年と気乗りしない仲間。2組を代わる代わる登場させながら、物語は緩やかに進み、時折差し込まれる空と同様に少しずつ違う表情が見え始め、突然がらりと様子を変える。ほんの一瞬で、劇的なメロドラマに変貌するのだ。わずか40分でこの豊かさ。最近の映画は2時間も3時間もかけて何をやっているんだろうと思わずにいられない。
ヒロイン役のバタイユは、哲学者・作家のジョルジュ・バタイユの最初の妻で、後に哲学者のジャック・ラカンと再婚したことでも有名。絶世の美女ではないが、男性をとりこにする魅力の持ち主であることは、そのたたずまいから伝わってくる。1930年代のルノワール作品で助監督も務めたジョルジュ・サン=サーンス、同じく1930年代のルノワール作品に数多く出演したジャック・B・ブリュニウスといったキャストよりも、今となっては端役の方に有名どころがそろっている。プーラン亭の主人を監督自ら演じ、主演女優の当時の夫(ジョルジュ・バタイユ)や、セリフ協力でクレジットされている詩人のジャック・プレヴェールがエキストラで参加している。
「日傘をさすリーズ」(1867)、「散歩道」(1870)、「恋人たち」(1875)、「ぶらんこ」(1876)……ピエール=オーギュストの作品の数々を想起させる映像から、監督が父にオマージュをささげているのが見て取れる。さらにモーパッサンの短編の描写と父の作品を重ね合わせ、生き生きと躍動感ある“動く印象派”とでも呼びたい現象が起きている。
前述の通り、1936年の撮影は悪天候が続いたためにスケジュールに問題が生じ、中止となった。やがて戦争が始まると、最初の完成版プリントがナチスドイツに破棄され、ユダヤ人だった本作のプロデューサーのピエール・ブロンベルジェは強制収容所に送られた。戦後、ブロンベルジェが生還し、シネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワがひそかに保存していたネガプリントから完成させたのが現存する『ピクニック』だ。戦争末期にアメリカに亡命したルノワール本人の承諾を得て、補足説明の字幕が挿入されている。
戦禍をくぐり抜けた奇跡的な作品は、撮影から10年後の1946年に初めてパリで公開。2014年にはデジタルリマスター版がフランスで公開され、日本でも先ごろ公開されたばかり。映像も音声も鮮やかによみがえり、ルノワールの描いた愛の歓びと無常の悲しみは80年近い年月をひとまたぎにして迫ってくる。それはなぜか。「ルノワールの作品の中で、わたしたちはいつも美しいわけではなかったけれど、いつも本物だった」というシルヴィア・バタイユの遺した言葉が全てを物語っている。