第13回『脱出』(1944年)
名画プレイバック
いつの時代にも、スクリーンを彩るスターのカップルは永遠の憧れ。実生活でも、おしどり夫婦として知られたハンフリー・ボガートとローレン・バコールが恋に落ちた作品が『脱出』(1944)だ。ノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイが1937年に発表した小説「To Have and Have Not(持つと持たぬと)」を、ハワード・ホークス監督が映画化。脚本を手掛けたのは、こちらもノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーという、今振り返ると贅沢なメンツだが、何と言ってもボガート&バコールの共演が最大の魅力と言える娯楽大作に仕上がっている。(今祥枝)
※以下の文章には一部ネタバレと思われる箇所が含まれています。
第2次世界大戦中、1940年夏。ナチス・ドイツの傀儡(かいらい)であるヴィシー政権下にあるフランス領マルティニク島で、アメリカ人のハリー”スティーヴ”・モーガン(ハンフリー・ホガート)は、政治など無縁といった風で釣り船の船長として気ままに暮らしていた。ある日、ハリーが住居にしているホテルのオーナーで、ヴィシー政権に対抗するド・ゴール派のフレンチーからレジスタンス、ポール・ビュルサックの密航に協力するよう頼まれる。最初は政治に関わるのはいやだと断るが、ホテルで出会った謎めいた美女マリー”スリム”・ブラウニング(ローレン・バコール)のため、またヴィシー政府の手先である警察の汚いやり方を目の当たりにし、ハリーは陽気な酒飲みのエディー(ウォルター・ブレナン)とともにレジスタンスの逃亡に加担することに。
ドンパチもありつつ、密航のくだりからは巡視船と一戦を交えるなどキナくささが一気に加速。ハリーはフレンチーがホテルにかくまった、負傷したポールの傷口から銃弾を取り出したり、横暴なルナール警部らを相手に大立ち回りをするなど八面六臂の大活躍。ぶっきらぼうで強面だが、人のいいエディーや弱きに優しく、風来坊のようでありながらも一本筋が通っている。口ぶりやふるまいはクールだが、その実、正義感ある熱い男ハリーは、タフな男くささ全開。セックスアピールも十二分で、女スリで流れ者、後にホテルのクラブ歌手になるマリーとは一目で引かれ合い、ポールの美人妻エレーヌ(ドロレス・モラン)までもが、やや唐突にハリーによろめくというモテ男ぶり。これもまた、ボギーが作り上げたハードボイルド調のボガート・スタイルと言えるだろう(第4回『マルタの鷹』参照)。
タフガイと謎めいた美女のロマンスに、アクション満載の冒険活劇。そしてメロドラマ調に脚色というよりは大改変された本作を観て、おそらく原作を読んだ人は、これのどこがヘミングウェイなのかと思うはず。強いていえば、ハワード・ホークス監督作品の男性的な荒々しさという持ち味と、ヘミングウェイ文学の特徴であるマチズモ(男性優位主義)が、共通項だろうか? ちなみに、ヘミングウェイほか文学者との交流もあったホークス。長年ヘミングウェイ文学の映画化を望んでおり、「彼の一番の駄作でも映画にできる」と豪語して選んだのが「To Have and Have Not」だったという。映画は文句なしに面白いが、当時の政治に配慮して設定などの変更を余儀なくされた部分も含めて原作とは全くの別物である。
この原作との乖離は、ハリーとマリーのラブストーリーに重きを置いている点に最も顕著だ。自らを職業監督と称したホークスらしい徹底した観客好みの娯楽性とともに、言うまでもなく、『脱出』はワーナー・ブラザースが『カサブランカ』(1942)アゲインを狙った企画の一つであろう。しばしば登場するホテルのクラブのピアノ弾きの存在にも、それは見て取れる。このピアノ弾きクリケットを演じるのは、名曲「スターダスト」の作曲者として有名なピアニストで歌手のホーギー・カーマイケル。ハリーが見つめる前でジャズのスタンダード「Am I Blue?」を、独特の発声法によるハスキーヴォイスのバコールとデュエットする場面の粋なことと言ったら! 当初は吹き替えにする予定だったが、バコール本人が「始まりは偶然~」と歌い出すソロナンバー「How Little We Know」も素晴らしく、こちらはカーマイケル作曲、ジョニー・マーサー作詞による異国情緒も魅力的な楽曲となっている。
『カサブランカ』路線を狙ったものの、およそ異なる趣の仕上がりであることは、監督がホークスであったことに加えてボギーの相手役がバコールという、ヒロイン像の違いに最大の理由があると思う。本作で映画デビューを果たしたバコールは、当時、なんと19歳だったというから驚く。上目づかいに相手をにらみ付ける、三白眼とも言える挑むような眼差しがトレードマークで、「The Look」と呼ばれ彼女のニックネームのもとにもなったが、ひたと相手を見据える瞳の艶っぽさはどうだと言わんばかりである。年齢に似つかわしくない堂々とした物腰と、クールな表情の中にも時折ふっと甘えたような、茶目っ気や少女らしさが感じられてギャップ萌え。この映画で彼女を観た瞬間、その魅力にひれ伏した観客はごまんといたことは容易に想像できる。
それはボギーにとっても同じことだった。過去に1度会ったことがあるだけのモデルが、『脱出』で女優として目の前に現れたとき恋に落ちたボギーは、映画公開の翌年に4度目にして最愛の伴侶を得て57歳で亡くなるまで添い遂げた。映画出演時、40代半ばだったボギーとバコールの年の差は25歳。だが、スクリーンに2人が一緒に映ったときのケミストリーは誰もが息をのむほどで、渇いた雰囲気のボギーにバコールのクールな美貌、そして際立つ個性は、コテコテの個性の持ち主ボギーにも劣らない。『脱出』のアメリカ公開時のトレーラーにもあるように、「この男にはこの女しかいない」的なマッチングは役柄を超えたものがあったのだ。映画を頭からそういう視点で観ていくと、マリー=バコールの表情の一つ一つに、時事刻々とハリー=ボギーに心が傾いていくさまが表れているよう。ラストのカメラ越しにいるハリーに向かって、マリーがクリケットの演奏に合わせて腰を振りながら近づいていくときの表情は、もう完全に恋する女性のそれなのである。
私にとってボギーは憧れの銀幕スターの筆頭だが、その作品を追う過程で『脱出』を観て、バコールを発見したときの感動もまた忘れがたい。セミロングの髪が肩のあたりで波打ち、ハスキーヴォイスでタフガイ=ボギーと対等に渡り合う女スリの流れ者マリー。陰影の強いモノクロームの映像美に映えるシャープな顔立ち、モデル出身のスレンダーな立ち姿、タバコをくゆらす姿もグラスを傾ける姿も、有名なセリフの一つで「マッチある?(Anybody got a match?)」と挑発的な視線をハリーに送る彼女の一挙手一投足は、今観てもぞくぞくするほどかっこいい。ちなみに、これがバコールの初のセリフのある撮影シーンで、緊張で震えが止まらないバコールを落ち着かせるためにボギーが首をすくめて押さえつけ、顎を引き、上目遣いで撮影を乗り切ったことが、その後の彼女のトレードマークにつながったという(メイキング映像より)。そして何より、キスが未遂に終わったハリーに対して、自ら部屋に乗り込み、2度のキスを交わした後、「味気ないのね」と言った去り際に「口笛の吹き方知ってるわよね~(You know how to whistle, don't you, Steve?)」の有名な台詞に伴う一連のシーンは、何度観てもしびれる。こんな女性だからボギーが恋に落ちたのも当然だとひとり納得し、映画と現実を重ね合わせながら観たものだった。
映画には、昔からゴシッピィな楽しみがあったのだ。ボギーとバコールのオフスクリーンでのロマンスが、本作のヒットを後押ししたことは言うまでもない。が、結果として主演ふたりのリアルな感情がスクリーンに反映されたことが良い効果を生み、ハリーとマリーのラブストーリーが映画の最大の魅力と成り得た点が重要なのだ。