石井岳龍&笠松則通、『爆裂都市』を振り返る「皆、僕に死ねと思っていたんじゃないか」
1980年に公開され、いまだカルトな人気を誇っているSFアクション映画『爆裂都市 BURST CITY』のブルーレイ化作業現場で、石井岳龍(当時は石井聰亙)監督と笠松則通撮影監督が、映画さながらに過酷だったその舞台裏を明かした。
【写真】1980年代の伝説のインディーズ映画『爆裂都市 BURST CITY』劇場パンフレットビジュアル
狂気と退廃が支配する近未来の街・破怒流地区を舞台に、ロックとレースに明け暮れる住人たちが、私欲のため原発を推進するギャングや警官隊と激突する本作。製作費約5,000万円を東映が出資したインディーズ映画だが、激しいロックのリズムに乗せ、全編に暴力と怒号が飛び交うパワフルな作品だ。「常に心がけているのは、その時代を映すこと。この映画にも、当時の混沌とした空気が出ていると思う。めちゃくちゃな映画だけど、狙って作ったというよりも、暴動とエネルギーを撮ろうとした結果こうなったという感じはします」と石井監督は語る。
街の撮影が行われたのは、主に埼玉県川口市の廃工場。何棟も工場棟が並ぶ敷地内に色を塗り、電飾を付けてマーケットやストリートが作られた。笠松は「夜通し撮って、夜が明けると現場で仮眠して昼からまた撮影をする感じ」と当時を振り返る。石井監督は「スタッフは交代で仮眠できるけど、俺と笠松カメラマンはほとんど寝られなかった。おまけに公害問題で潰れた工場の跡地だったから、衛生面でも最悪の環境だった」と明かす。
荒々しいテイストを出すために、映像にはあえて粒子感を出している。笠松によると「狙ったのは、『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973)で北大路欣也が自殺するラストのざらつき感。今の若い人はノイズって呼ぶけど、ノイズじゃなく粒子なんだよね」という。加えて石井監督は、8ミリフィルムも使ったと語る。「限界まで乱暴な画にするため、8ミリでも撮っています。画は粗いけど、キャメラマンがしっかり撮っているからちゃんと映っている」
石井監督自ら「あえてセオリーを無視して、カオス状態を作り出した」と語るように、映画はハイテンションなシーンの連続。しかし厳しい現場では、スタッフとの軋轢も生まれていたという。「何も考えず、とにかく限界を突破することだけに集中していた。スタッフに対しては、ひどいことをしているなと思っていました。怒って途中で帰った人もいたけど、その感覚の方が正常でしょうね」と石井監督。「たぶんみんなあきれ返って“死ね”って思っていたんじゃないですかね」と笑うが、そんな現場が生み出した疾走感やパワーこそ、本作が時代を超えて観る者を魅了し続けている理由なのだろう。
今回、石井監督&笠松撮影監督の立ち会いのもと製作されたHDマスター版は、発色や明暗の調整が従来よりも幅広くなされ、粒子感の強い画質となりフィルムで撮影した作品の特徴をより強調したものとなっている。(取材・文:神武団四郎)
『爆裂都市 BURST CITY』ブルーレイ(価格:4,700円+税)は2016年1月6日発売(販売元:東映/発売元:東映ビデオ)