おいしい紅茶にすてきなサプライズ…“スローライフの母”ターシャ・テューダーさんの思い出
自然に寄り添った手作りの暮らしで“スローライフの母”と称される絵本作家ターシャ・テューダーさんのドキュメンタリーシリーズを企画し、その完全版というべき映画『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』を公開するに至った鈴木ゆかりプロデューサーが、ターシャさんとの思い出を振り返った。
鈴木プロデューサーが米バーモント州の山奥にある、ターシャさんの美しい庭と家を初めて訪ねたのは13年前の初夏。通常、海外取材に出る場合はコーディネーターに下見に行ってもらって事前にどういうものが撮れるのかを把握するそうだが、ターシャさんの場合は取材許可が出たはいいが詳しい状況が何もわからず、「とにかく一度行ってみよう」と松谷光絵監督、撮影監督の高野稔弘の三人でバーモント州を訪れることになったという。
ターシャさんの庭は有名だったがこれまでカメラが入ったことはほとんどなく、鈴木プロデューサーたちが近くの町に着いて初めて、「撮影は1日15分のみ」といった厳しい条件が課せられるかもしれないと判明した。「『ドキドキするね!』と言いながら町を出ようというその時に判明したので、ターシャの家までの30分の車中はすごくどんよりした空気で。やたらその時の車内の空気感というのが、記憶に残っています(笑)」。
家に着くとターシャさんの息子のセスさんが追い打ちをかけるように仏頂面で立っており、「15分しか撮影できないこともある」と淡々と告げられた。「今となってはもともとそういう顔でそういう話し方をするヒト、とわかるのですが(笑)、当時は『これはダメなんだな』と思いました。ターシャの庭を見せてもらって感動しながらも『これじゃ番組が成立しない。どうしよう』とごそごそしていたら、ターシャが自分の体くらいあるじょうろを持って中から出てきたんです。それで『今から水まくけど、撮影するの? しないの?』と言われて。うちのカメラマンがあんなに走ったのを見たのは初めてってくらいの勢いで、バーッといきなりいなくなって『カメラ取ってきます!』と(笑)。そして撮影が始まりました」。
15分、30分と過ぎても撮影を止められることはなく、ターシャさんに午後の予定を聞くと返ってきたのが「友達が来てお茶をするのよ」という言葉。もしかしたらそのシーンを撮らせくれるかもしれないと考え、「午後にまた伺います!」と昼食を食べに出たという。そして午後になって再びターシャさんの家を訪ねると、すてきな手作りのスコーンやゆで卵の黄身で作った軽食、おいしそうなアイスティーと、素晴らしいお茶の用意ができていた。しかしそこに友人の姿はなく「お友達はどちらですか?」と尋ねると、ターシャが腕を広げて指し示したのは鈴木プロデューサーたちだった。
「今、話していても泣きそうになりました(笑)。緊張して固まっている感じがわたしたちにもあったんでしょうし、本当に少ししか撮影できないかもしれないと思っていたので、監督もターシャが水をまいている時に『これは何の花ですか!』とか矢継早に質問したり(笑)。多分そうしたことが伝わったんでしょうね。お昼寝をするとおっしゃっていたんですけど、そんな用意をしてくれていて。ターシャはものすごく優しくて、ユーモアがある人なんです」。初めての訪問での滞在は3日間ほど。ターシャがとても元気だった季節で、この時に撮影した映像は本作の中でも大切に使われている。
また、美しい庭をゆったりと歩き回るターシャさんが本当にいい表情をしているのが印象的だが、そこには撮影監督の高野との関係性が色濃く反映されている。「カメラマンがターシャの前に回り、後ろ向きで歩きながら撮影している時、ターシャが一生懸命話し掛けているんですよ。『今年の日本のバラの咲き具合はどう?』とか。英語があまりわからないのと、そもそもカメラマンが答えられることでもないので、彼はただカメラを回しながらニコニコしていたんでしょうね。そうしたら『あらそう。よく咲いているの』と会話になっていて(笑)。通り道に枝がかかっていれば、ターシャが通れるように枝を上げてあげて『親切ね! ありがとう』みたいなことを言われていたり……。やはりカメラマンの存在というのが映像の世界ではすごく大きくて、彼が一生懸命撮影していい映像を撮るということで、信頼関係が生まれていったのだと思います」。
含蓄のある言葉の数々でも知られるターシャさん。今回の完全版というべき映画にはこれまで撮影が許されなかったターシャさんの部屋の映像も含まれているが、そこに彼女を形作ったものがあった。「すごく真面目で勉強家な方だったんです。今まで撮影できなかったところに入らせてもらったら、床から天井まで本だらけなんですよね。それを自分の中でちゃんと消化している方だったので、ご本人は『これ、わたしの言葉じゃないのよ』なんておっしゃるのですが、彼女が語ると、彼女の経験則に基づいた言葉として出てくるんです」。
そしてちょっとした世間話から、彼女の価値観を感じることも多かったという。「ターシャのお部屋を見せてもらって『すてきですねー! (普通だったら)絶対、家の中って余分なものとかあっちゃいますよね?』みたいな話をしていると、ものすごく不思議そうな顔をして『なぜ好きなものだけで統一しないの?』と言われたり(笑)。やっぱり“好きな物に囲まれて生きる努力”みたいなものは、普通の会話の流れの中でおっしゃっていました。結局、自分がそれで幸せになるんですからね。好きなことを見つけるとか、好きなことをして生きるためには努力や忍耐が必要だということは、わたしたちの何気ない愚痴とかに対して鋭く切り返してくる(笑)というようなところがあったと思います」。ターシャさんと過ごした濃厚な日々。鈴木プロデューサーからは、次から次へとターシャさんの思い出があふれ出してくるようだった。(編集部・市川遥)
映画『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』は公開中