映画『鋼の錬金術師』が全員日本人キャストになった意図
荒川弘による世界的人気コミックを実写化した映画『鋼の錬金術師』(12月1日公開)は、なぜ西洋風の世界観でありながら日本人キャストがそろえられたのか。そこにはある理由があった。原作の背景から研究し、本作を作り上げた曽利文彦監督がインタビューで明かした。(取材:編集部・井本早紀)
【画像】驚愕の仕上がりを見せたキャスト 実写『鋼の錬金術師』より
ーーまず映画公開が発表された際に、映画『鋼の錬金術師』が続編ありきでない1本の作品として発表されたことが印象的でした。
続編を作ることを考えていたかというと、全く考えていなかったというのが正直なところです。やはり一本の映画にしたいという気持ちがあって。なるべく原作に寄り添いたかったので、だいたい3分の1のエピソードを詰めるのが精いっぱいでしたけれども。
ーー原作の序盤だけではなく全体の要素も絶妙に織り交ぜたストーリーには、原作をもう一度読み返したくなるほどの衝撃を受けました。
もともと原作が好きでいろいろと見ていましたが、脚本を作るにあたってあらためてコミックスを読み直しましたね。大切な要素がいくつもあるので、なるべくテーマの部分や芯の部分をはずさないように気をつけました。ディテールは、出版社さんとやり取りをしながら詰めていきました。
ーー原作を知っているからこそ驚く展開もありましたね。
ただコミックスの“再現”をするという気持ちは全くありませんでした。原作に寄り添いつつも意外性や驚きを要所に含ませているので、ファンの方にもそうでない方にも2時間楽しんでいただけると思います。
ーー確かにキャラクターも原作の“再現”ではない、映画『鋼の錬金術師』の物語の人物として生き生きと動いているように感じました。
荒川先生が描いているテーマや芯の部分がズレていなければ、実写のオリジナリティーがあっても許していただけるのではないかと考えました。ですが、芯がブレてしまうと「鋼の錬金術師」ではなくなってしまう。
ーー監督が思う「鋼の錬金術師」の芯とは?
荒川先生のご実家が農業や酪農を営んでらっしゃって、幼少期からずっとそこに触れていたという背景があって、あの物語ができたと思うところがあるんです。命の向き合い方に対しても、荒川先生だからこそ踏み込んでいるところがある。それが一番のコアになっていると思います。自分たちには想像ができても理解できなかった部分も原作は、われわれでは迫れない視点から命を見つめている。
ーー原作が描かれた背景も考えられた上で、今作に至ったということですね。
そうですね。やっぱり再現するということではなく、作品そのものを描くというか。包括的に見て、作品の目指しているモノや日本の文化等を含めて描き切らなければならないと思っています。
ーー原作キャラクターは西洋ファンタジーのような出で立ちですが、日本人キャストで作り上げた理由もそこに?
例えばイギリスのような具体的な国名が出ていたら、イギリスなのに日本人“だけ”しかいないとなれば違和感しかないと思います。しかし今回は架空の国で何も制約がなかったというところが大きかった。コミックスは日本語で描かれているので、セリフ一つにしても英語で言われるとしっくりこない部分が出てくると思います。ましてや描かれている荒川先生自体が日本人なので、ルックはヨーロッパ調であっても、登場する文化や人間の関係性やソウルの部分が確実に日本なんですよね。それを映画化する際にルックだけ合わせに行っても、「鋼の錬金術師」にはならないと自分は思っています。日本人が演じることで、荒川先生が描こうとしたテーマやキャラクターの人間性・関係性を全くズレずに描けると思うんです。もし欧米の方が演じられたら、外見はよりパーフェクトなものになるかもしれませんが、ハートの部分やソウルの部分は明らかに違うものになる。日本人キャストで、日本人が本作を手掛ける意味はそこにあると思います。
ーー今回のキャストをそろえて、日本人が作ることに理由がある。
「鋼の錬金術師」には有名なセリフもありますけれども、日本人が気持ちを乗せて発したセリフが一番われわれに響くと思います。ルックはある程度寄せていけても、心の部分や文化の違いを寄せることは相当難しい。その面を考えると日本人キャストでよかったと思います。芯を捉えた「鋼の錬金術師」になったと自分は思いますね。
ーー確かに人気のセリフの一つ「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」を英語で聞いても、しっくりこない気がします。
こないですよね(笑)。日本語で聞きたいですし、あの気持ちは日本人だと思います。もちろんルックはいろんなご意見、ご批判あると思いますし、イメージに合う・合わないがあるかと思いますが、どちらを重要視するかですよね。でも映画ではストーリーを鑑みなければならない。そこに日本人で映画『鋼の錬金術師』を作る意味はあったと思います。