お父さんだって頑張ってるんだ!父の日に観たい映画
今週末の6月17日は父の日。「母の日」に比べて「父の日」がもうひとつ盛り上がらないのは、母親に比べて日常のふれあいが少なく、父親の本当の姿が子どもからは見えにくいからかもしれない。ではいったいどんな父親なら、子どもに尊敬され、愛されるのか。映画からそのヒントを探してみた。(文:桑原恵美子)
“格好悪さ”から逃げない父親
『英国王のスピーチ』(2010)
誰だって、自分の父親には格好いいヒーローであってほしい。しかも、父が国王ならなおさらだ。だがエリザベス女王の父親であるヨーク公(後のジョージ6世/コリン・ファース)は、その真逆。幼い頃から吃音(きつおん)に悩み、スピーチを求められるたびに周囲を気まずい雰囲気にしていた。ようやく最新の手法を用いる専門家ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)に出会い、吃音が改善されていくが、その過程で原因も明らかになっていく。
幼い頃からの父親の厳格すぎる“しつけ”による心の傷。強い男であることが求められ、自分の弱さを誰にも知られてはいけないという抑圧。ある夜、ヨーク公は幼い娘たちには決して見せなかった繊細で傷つきやすい本当の自分を、泣きながらライオネルに打ち明ける。
その後、さまざまな事情から兄ではなく、ヨーク公がジョージ6世に即位。英国王として、第二次世界大戦への参戦を告げるため、全英国民に向けた緊急ラジオ放送でのスピーチを求められる。英国中が注目する空前絶後の緊張状態の中、見事に人々の心を打つ完璧なスピーチを行い、国民を鼓舞することに成功するジョージ6世。その傷つきやすさを知りひそかに危惧していた家族も、父が土壇場で見せた精神力にあらためて感嘆。最初から完璧なヒーローのような父親よりも、自分の弱さと向き合い、それに打ち勝った父親のほうが断然輝いて見える……そのことを、この映画は教えてくれる。
オタク愛を共有できる父親
『リアル・スティール』(2011)
「ガンコ親父」という言葉があるくらい、昔から父親といえば頭が固く、子どもの価値観を認めようとしないイメージが強い。その意味で、子どもと同じ趣味を持ち、先達としてさまざまなアドバイスを与えてくれる父親もまた、理想の父親といえそうだ。人間に代わり、格闘技ロボットたちがボクサーとして活躍する近未来。かつてボクサーだったチャーリー(ヒュー・ジャックマン)は今、さえないロボット格闘技の三流プロモーター。昔別れた妻が亡くなり、一時的に幼い息子マックス(ダコタ・ゴヨ)を預かることになる。
責任感も愛もお金もない父に失望を隠せないマックスだが、格闘技ロボットを見た瞬間からその競技の魅力の虜に……。格上の相手にも臆することなく立ち向かうチャーリーに一目置くようになる。スクラップ場から拾ってきた旧式のロボットを整備し、次々と試合を勝ち進む中、いつしか2人の気持ちはひとつに。だが、マックスへの愛情に目覚めたチャーリーは、それゆえ彼の将来を考え、別れを決意する。
2人で戦う最後の試合は、最先端ハイテクロボットが相手の頂上決戦。「ボロボロにやられるかもしれないが、カッコよく倒れようぜ」というチャーリーの言葉に、別れの悲しみも忘れ微笑むマックス。父親として尊敬されることは最後までなかったが、“最高のオタ友”として息子の心に残り続けるに違いない。「こんなにわかりあえる父親がほしい」そう思う人は多いだろう。
人にも自分にも“ごまかし”を許さない父親
『武士の家計簿』(2010)
見栄っぱりで、世間体ばかりを気にする親は多いし、そんな親のごまかしを見抜いて軽蔑したり、反発したりする子どももまた多い。江戸時代、実在の侍がつけていた家計簿を基にある家族の年代記を描いた映画『武士の家計簿』は、その真逆の生き方で、子どもに敬愛された男の物語だ。
同僚から“算盤(そろばん)バカ”と言われるほどマジメで潔癖な仕事ぶりで知られていた代々加賀藩の御算用者(経理係)の猪山家八代目・直之(堺雅人)。だが待望の息子を授かった後、親の代からの借金が膨らみ家計が危機的状況にあることに気づく。直之は「(お金がないのに)取り繕うほうが恥」と言い切り、ごくわずかの衣類と最小限の器を残して家財すべてを処分。借金を完済するまで徹底的な倹約生活をすると家族に宣言する。
新婚当時、豪華な弁当を同僚にうらやまれた時「奥の手作りでござるゆえ」と淡々とのろけた直之だが、倹約生活中の弁当の質素さを哀れむ同僚にも、全く同じセリフで答える。貧しくても卑屈にならず、堂々としている直之の姿が、むしろ格好よく見えてくるから不思議だ。自分にも他人にも“ごまかしのない生き方”を求めた直之は、家族にも見せかけでない真の愛情を注いだ。だからこそ息子も父の貧しさを恥じることなく、敬愛し続けたのだろう。父の美学を受け継ぎ成長した息子が、家を再興したことがわかるエンドロールが感動的だ。
ダメな部分を隠さない男
『ビッグゲーム 大統領と少年ハンター』(2014)
苦難を克服し成功した親は、できれば自分の背中を見て子どもも同じように強くなってほしいと願うもの。だが厳しく接することが、必ずしも子どもを強くするとは限らない。映画『ビッグゲーム 大統領と少年ハンター』の舞台はフィンランドの山奥の森。古くからの村の風習で、一人前の男であることを証明するため、たった一人で森に一泊し鹿狩りをする13歳の少年オスカリ(オンニ・トンミラ)が主人公だ。
ある夜、森の上空を飛んでいた大統領専用機がテロリストに攻撃され、アメリカ大統領(サミュエル・L・ジャクソン)が緊急脱出ポッドで森に落下。オスカリと出会う。男としての強さに固執するオスカリに痛ましさを感じ、「(たとえ弱くでも)強く見えることが大事」と、あえて偽悪的にふるまう大統領。そんな彼に失望しながらも、オスカリは森を知り尽くしていることを生かしてテロリストと懸命に戦う。だがいよいよテロリストが身近に迫った時、オスカリは大統領に告げる。「見せかけでなく、本当に強くなきゃ」。
この言葉は、偉大な狩人である父親の前で無理に強がっていた自分への言葉でもあった。「こんな頼りない大統領を守れるのは自分だけ」という強い使命感が、たった一夜でオスカリを大きく成長させたのだ。つい頑張りすぎて自分を追い詰めてしまいがちな人にとって、自分の弱さ、ダメなところをさらけ出してくれる優しさを持っている男も、ある意味で父親の理想像といえるかもしれない。