役所広司、サムライ姿で「峠」撮影中に小泉監督と会見
慶応4年(1868年)に鳥羽・伏見の戦いで火蓋を切った戊辰戦争から150年の節目を迎えた今年、越後長岡藩家老・河井継之助の視点から動乱期を描く映画『峠 最後のサムライ』(2020年公開)の撮影が、新潟を中心に行われている。
継之助役の役所広司は「継之助の地元・長岡の方に『違うなぁ』と言われるんじゃないかというプレッシャーはありますが、男として非常に魅力的ですので、この役を演じられて光栄です」とほどよい緊張感を楽しんでいる様子だった。
同作は司馬遼太郎「峠」が原作。継之助の生き方に惚れ込んだ司馬は、江戸に遊学に出た嘉永5年(1852年)から北越戦争に破れて福島県・塩沢村(現在の福島県只見町)で慶応4年(1868年)に生涯を終えるまでを、小説で上・中・下巻に渡って描ききった力作だ。ただ大作ゆえ映像化されるのは今回が初めてで、映画は継之助が指揮官を務めた北越戦争にフォーカスしている。
脚本も担当した小泉堯史監督は「原作と出会ったのは毎日新聞に連載されていた頃。継之助が常に太陽に向かって飛んでいくカラスが好きだったという部分に引かれて、いつか映画化したいと思っていました。しかし、なかなか企画として具現化するのが難しい。無理かなと思い役所さんに脚本を送ったら『是非』という非常に熱い文章が書かれたファックスをいただいた。そこから作品が動き始めました」と言う。
小泉監督とは『蜩ノ記(ひぐらしのき)』(2013)に続き2度目となる役所も「小泉組は他の現場と全く違う空気感があります。小泉さんは(助監督として付いていた)黒澤(明)さんから教わったことをそのままやっているとおっしゃってますけど、フィルム撮影の一発に賭ける緊張感があります。ただスタッフが高齢化してきて、自分はこの組にくるとまだまだ若手。フレッシュな気持ちで頑張ってます」と語り、取材陣の笑いを誘った。
この日の撮影は、継之助役の役所広司と長岡藩士・牧野雪堂(第11代藩主・牧野忠恭)役の仲代達矢が、戊辰戦争における藩としての方向性を再確認する重要なシーン。撮影場所に使われたのは、越後の大地主の豪邸を保存・管理している豪農の館「北方文化博物館」の、百畳にも及ぶ大広間。美しい庭園から差し込んでくる自然光を生かし、建物が刻んできた歴史をも取り込もうとするかのような撮影は、その場にいる者をも一気に幕末へと誘う荘厳さを醸し出していた。
地元での撮影について役所は「やはり地元の人たちの気持ちが土地に残っているように感じます。戊辰戦争を戦った時の魂や、悔しさを含めて今に生き続けているんじゃないんですかね」と語る。それを痛感したのが、県内で行われた戦争シーンだったそうで「エキストラは東軍と西軍に分かれて演じなければいけないのですが、どうしても西軍(官軍)は演じたくないと言う人もいたようです」と撮影秘話を明かした。
後半の、八丁沖の戦いのシーンでも会津出身だという船頭が、敗北した故郷への思いがそうさせたのか「ならぬことはならぬ」と撮影協力を拒否。小泉監督らスタッフの説得の末、最後は「この作品のためなら自分の節を曲げても漕ぎます」と撮影に力を貸してくれたという。
実際、地元の中には長岡藩を滅ぼした継之助に対してアンチ派がいるという。それを踏まえた上で役所は「継之助はなぜ長岡を焼け野原にしても自分の思いを貫いたのか。それが今回この映画で描きたいところです。アンチ派の方が見て『ひょっとしたらそうだったのか!?』と何か感じていただけたら大成功のような気がします」と本作にかける思いを語った。
小泉監督も「スタッフも高齢化しているし、フィルムで撮ることも含めて、この映画が最後かなと思っていますので、自分の集大成にしたい。(天国の)黒澤さんに報告したら、“良くやった”とは言われないだろうけど、“まぁ、いいか”ぐらいは言ってもらえるのではないかと思い、皆で頑張っています」と胸の内を明かした。
同作は新潟県内や山形などで11月下旬まで撮影を行う。(取材・文:中山治美)
『峠 最後のサムライ』は2020年公開