作品に罪はあるのか?俳優不祥事による映画公開中止はなぜ
強制性交の疑いで起訴された俳優・新井浩文(40)に続き、昨日12日には俳優のピエール瀧(51)が麻薬取締法違反容疑で逮捕され、二人の実力派俳優の逮捕は現在、日本映画界に大きな衝撃を与えている。彼らの逮捕を受け、出演作品の関係者たちは苦渋の決断を強いられることとなっているからだ。(取材・文:森田真帆)
ピエールの場合、「いだてん」放映中のNHKは協議中だというが、新井の場合は2本の映画が公開中止、もしくは延期という結果となっており、今なお二人の出演した過去作品がどうなるかは予想がつかない部分も多い。映画の上映においては、公開中止も公開延期も各作品が下した結果にSNS上でもさまざまな意見が飛び交った。
現在のところ、日本の映画業界には「出演した俳優が不祥事を起こした映画の公開中止や延期を決定するためのガイドラインというものは存在しない。公開中止、延期、それぞれの判断を一体誰が、どのように下すのか。そして、今後の課題を、日本映画の現場で働くプロデューサーや監督に意見を聞いてみた。
関わった人間すべての努力が水の泡となる現実
ここで、新井が出演した作品群が現在どのような状況になっているかをもう一度整理する。映画『台風家族』は公開延期、主演映画『善悪の屑』は公開中止が決定。昨年公開された映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』『泣き虫しょったんの奇跡』のブルーレイ、DVD版は発売延期。NHKで「真田丸」の配信中止を発端にオンデマンドサービスでも出演作の配信を自粛している。また、日本テレビは、新井被告がゲスト出演したドラマ「今日から俺は!!」の3月1日以降の動画配信とDVD(発売未定)で代役を立てて撮り直したと発表した。
新井といえば、個性的な演技でバイプレイヤーとして活躍していたのは周知の事実。少しのシーンでの出演をカウントしていくと、本当に数多くの日本映画の名作が今後、観られなくなってしまう可能性も高い。
一本の作品には何十人以上もの沢山のスタッフや俳優が関わっており、彼らの努力が集結して映画は完成する。こと監督に関しては、何年も前から企画を練り、準備をし、ようやく撮影が終わっても、編集作業を経てやっと上映の機会が巡ってくる。とてつもない時間と労働がかけられていることは間違いない。
その努力が、たった一人の役者の不祥事で全て水の泡になる。被害者感情はもちろん尊重すべきなのは言うまでもない。だが、つい「役者の責任は当たり前だが、作品に罪はないのではないだろうか?」という思いが頭をよぎる。最新作から過去作まで、ここまで多くの作品が「自粛」の形を取るのは何故なのだろうか。
日本独自の製作委員会システムとの関係とは?
一人の俳優が不祥事を起こした場合、一体誰がどんな話し合いを経て公開の延期を決めているのか。もちろん、映画を公開してはいけないという法律はないが、映画関係者に話を聞いていくと、プロデューサー、そして映画の宣伝担当のほかそこには日本映画界独特の「製作委員会方式」も関わっていることが分かってきた。
現代の日本映画界で、すべての映画に当てはまるわけではないが商業映画のだいたいは映画を作るときに、複数の投資家が資金を出し合って「製作委員会」を作るしくみになっている。多くの製作委員会は、主に制作会社、広告代理店、テレビ局、興行、芸能事務所などで成り立っており、公開中止や延期の決定には「製作委員会」が大きく関わってくる。劇場が上映しても客が来ないと判断した場合や、テレビ局のイメージダウン、たとえ所属俳優ではなかったにしても、もし出資している芸能事務所があれば共演者のイメージダウンにまでつながるリスクも考慮される。ある映画関係者は、「今の時代だからどうしてもネガティブな意見を尊重するんです。この映画をかけるな! と劇場が苦情を言われたら、とか事務所のイメージが落ちるとか。委員会が満場一致で公開しよう!という方向へとならない限り、公開はほぼ無理です」という。
ネガティブな意見に振り回される
海の向こうのハリウッドでは、#Me Too運動で告発されたケヴィン・スペイシーの主演ドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」がケヴィンの降板を発表したが、これまでの放映分は今まで通り配信されており、もちろん彼の過去作も消えることなく残っている。この違いはなんなのか。取材した映画プロデューサーは「映画では役者本人が積み上げてきたものが説得力を生む。でもそれが真逆のことをしてしまった場合、観客は騙されたと思ってしまい、そこから作品自体が嘘になってしまうんです。劇場にクレームの電話が来たり、SNSで叩かれれば正義はそこに作られてしまうのが現実です。最近はSNSのマイナスの言葉に引っ張られるようになっている傾向はますます強くなっています。被害者感情はもちろん大切だが、映画には観る、観ないの選択肢ができるコンテンツだからこそ、なんとか作品を残したいという気持ちは声に出せずとも誰もが持っていると思います。海外の映画業界は映画の文化的な価値が優先されますが、日本では、世論や体裁へのプライオリティがクリエイティブ面よりも高いんです」と話す。海外では、個人的な問題として対処されることも、日本は一人の責任は映画全体の責任になってしまうのが現状なのだ。
執念で追撮を敢行したケース
作品の完成前に、不祥事が起きた場合は、ほとんどが撮影中止の事態に追い込まれることとなる。撮影中に出演俳優が逮捕されるという前代未聞の事態となり、1年をかけて再撮影をして昨年ついに公開へ繋がった映画『青の帰り道』はプロデューサーの「執念」で出来上がった映画といっても過言ではない。逮捕のとき、すでに7割が撮影済みで「いい画が撮れていたことは確信していた」という伊藤主税プロデューサーは、がっくりと肩を落とす監督の藤井道人に「必ず撮り直そう」と誓ったという。「約束はしましたが、本当にしんどい時期でした。ビジネスの面で考えれば、再撮影はリスクが非常に高い。それでもやろうと思えたのは、監督、キャスト、スタッフとの友情と、出来上がった作品が観たいという気持ちだけです」と伊藤は当時を振り返る。
しかし、その決断に支払うことになった代償は大きかった。すべての出資者に会いに行き追加の出資を願う。もし一人でも出資者が追加の出資を決めると、出資比率も変わるためその度に全員のアプルーバルを取らなければならず、かかる時間は膨大となる。約1年の歳月をかけ、美術、衣装、全てを再現して追撮を実現した。だがこのケースはかなり稀で代役を立てて最初から撮り直すことなど大きな予算の作品であればあるほど厳しくなることは容易に想像ができる。
スキャンダル作戦金銭面への補償制度は
金銭面で、再撮影などを試みる場合、そこには多額の追加予算が必要となることはいうまでもない。映画が完成するまでの間に予測不能な事態が起きた時に、補償がおりる撮影保険というものがあるにはある。
だが、撮影中の事故に対しては補償されるが、一連の出来事のような役者やスタッフが不祥事を起こしてしまった場合に補償はされない。ある映画関係者は「でも、もしあったとしても、キャスティングの時点で「あいつは何かを起こしそうだ」と予測できると思いますか? 誰もそんなこと起こると思わないでしょう。刑事事件にまで至らなくても、不倫問題などのスキャンダラスな一発のニュースで全てが飛ぶ恐ろしさは十分ある。みんなビクビクしながら映画を作っているのが現状です」と話す。
クリエイティブへの価値観を改めて考える
最後に考えるべきなのは、日本におけるクリエイティブへの価値観だ。ハリウッドがなぜ、作品重視でいられるかというと成功報酬や俳優の権利が守られていることが日本との大きな差になっている。日本は、映画の予算が低い分、俳優はCMなどのギャランティが収入の大きな割合を占めることとなる。もしもスキャンダルな映画に出演した場合、イメージが悪くなることでCMの仕事に影響する。共演者がどんなに公開を望んでいたとしても、事務所としても厳しい決断を下すことになってしまう。映画の製作費や俳優の成功報酬が上がり、権利も守られるようになれば、イメージを考えずに映画に集中できるが、現状、日本の俳優たちはイメージに囚われながら仕事をしていくしかないのが現状だ。何か起きた時のガイドラインや補償はもちろん、業界全体の変革も今後の課題だ。
新井浩文の逮捕は、日本映画界に大きな打撃を与えたが、その分、問題点も浮き彫りになった。多くの日本映画関係者が改めてシステムを見つめ直し、変革を始める機会になることに期待したい。