春馬さんにいつでも会える!出演作を上映し続ける地元・茨城の映画館
俳優・三浦春馬さん(享年30歳)がこの世を去ってから7月18日で1年を迎える。春馬さんの地元である茨城の映画館・土浦セントラルシネマズでは、今年1月から春馬さんの初主演映画『森の学校』(2002)と最後の主演映画『天外者(てんがらもん)』(2020)をロングラン上映中だ。館内には春馬さんが同館を訪れた際の秘蔵写真などを集めた展示コーナーも設けられており、寺内龍地館長は「彼の足跡を残したい」と年中無休で上映を続けている。
1957年に祇園セントラル映画劇場として創業し、1968年に現在の館名になった同館は、昔ながらの地方の映画館だが、こだわりのラインナップで映画ファンに知られた存在だ。寺内館長が片渕須直監督のアニメ『この世界の片隅に』(2016)に惚れ込み、2017年2月18日から連続上映すること1,035日。2019年12月20日からは完全版『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019)を引き続き上映中。ファンからは“聖地”と親しまれている。
そこに新たに“春馬さんの聖地”の称号が加わった。同館は春馬さんが当時所属していた地元児童劇団との縁で初主演映画『森の学校』の上映会を行い、春馬さんが舞台あいさつを行った場所。寺内館長は「かわいい子だなとは思ったけど、映画館の連絡通路で走り回っていたからウチの従業員が『コラっ!』ってしかり飛ばしたんだよ」と懐かしむ。さらに劇場前のショッピングセンター・モール505は、春馬さんが出演したゆずのMV「うまく言えない」のロケ地でもあり、ファンなら一度は訪れたい場所だ。
その後、土浦でロケが行われた映画『クローズZERO II』(2009)撮影時に同館に立ち寄ったのが寺内館長が春馬さんと会った最後となったが、活躍は常に目にしており、特にNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」(2017)で井伊直親を演じていた姿を観て「良い俳優になった」と目を細めていたという。それだけに早逝したことに居ても立ってもいられず、『森の学校』の西垣吉春監督に連絡を取り、上映を打診したという。
そして始まった春馬さんシフトの上映プログラム。『森の学校』に始まり、3月からは『天外者』も加わった。その情報がSNSなどを通じて広がると、春馬さんのファンから同館に感謝の手紙やプレゼントが届くようになった。その文面から春馬さんを追悼する機会や場所がなく、ファンが心の拠り所を求めていることを知った同館では、桜の花びら型のメッセージカードに思いの丈をつづって送ってほしいとSNSで呼びかけた。春馬さんが桜が咲く4月5日に生まれたことにちなんで、映画館入り口の壁を桜の花で満開にしようというアイデアだ。
その呼び掛けは大きな反響を呼び、桜の木はあっという間に満開に。即座に2本目を“植樹”し、さらにしだれ桜バージョン、7月には七夕も設けられ、いま、映画館中が春馬さんへの愛の言葉であふれている。寺内館長は「郵送で受け付けたら来るわ、来るわ。国内だけでなく、ニューヨークやハワイ、カナダ、中国からも送られてきました」と改めて春馬さんが世界中の人々を魅了させていたかを実感しているという。
そんな熱いファンのリクエストもあり、4月からは『東京公園』(2011)、『真夜中の五分前』(2014)と、他の出演作も順次上映中。本来同館は4スクリーンあるが、東日本大震災で被災して、以降は2スクリーンで運営。うち1スクリーンは現在メンテナンス中。つまり、1スクリーンを春馬さんと “この世界”のすずさんで回しているという例を見ない展開となっている。
寺内館長は「ウチが二番館だから組めるプログラム。こんなバカな人間が一人くらいいても良いじゃないですか」と語り、全国から訪れる春馬さんやすずさんのファンとの交流を楽しんでいるようだ。しかも、コロナ禍による影響で運営は決して安泰ではない。しかしファンの方が心配して「劇場まで足を運べないがチケットだけ買いたい」と申し出てくれたり、贈り物を届けてくれることもあり、それがスタッフの心の支えにもなっているようだ。
ただし7月18日の春馬さんの命日は、特別なことはしない。いつものように変わらず、春馬さんの作品を上映するという。今後も、茨城でも撮影が行われた『永遠の0』(2013)、春馬さんの舞台俳優としての魅力が開花した伝説の舞台の映像化『ゲキ×シネ「ZIPANG PUNK~五右衛門ロックIII」』(2014)、多部未華子と3度目の恋人役を演じた『アイネクライネナハトムジーク』(2019)とデジタル化されている作品を上映予定だという。
ちなみに同館は、6月18日に82歳で他界したギタリスト・寺内タケシさんの父親が経営していたもので、現在はタケシさんの弟である寺内館長が引き継いでいる。タケシさんが亡くなった際にも同館は休むことなく営業を続けた。寺内館長は「2008年の土浦映画まつりで兄が出演した『エレキの若大将』(1965)を上映した際、終映後に兄が出てきて演奏した時はカッコよかったですよ。自慢の兄でした」と故人をしのんだ。
茨城・土浦が育んだ2大スターはこの世を去ったが、芸術を、娯楽を愛した2人の魂は同館が受け継いでいく。(取材・文:中山治美)