『すずめの戸締まり』新海誠の集大成!希望の光が降り注ぐ究極の映像体験
『君の名は。』『天気の子』の新海誠監督による最新作、アニメーション映画『すずめの戸締まり』が公開された。平凡な高校生の岩戸鈴芽が「扉を探している」という謎の青年・宗像草太と出会い、扉の向こうの世界からこちら側へ暴れ出ようとする災いを阻止しようと“扉を締める旅”に出るという冒険の物語。それはあまりに力強く、希望の光のシャワーを浴びるような映像体験をもたらす。新海誠監督の集大成という言葉にふさわしい力作だ。
声の演技が観客の喜怒哀楽を引き出す
『すずめの戸締まり』は緑がかかった鮮やかな青空のような、満月の照らす朝焼けが近い星空のような、不思議な美しさの空に始まる。陸に打ち上げられた船が草木に飲み込まれた廃墟の見える誰もいない草原で、少女が泣きながら母親を探している。それは映画のヒロインである鈴芽が見ている夢だった──。
鈴芽は九州の静かな町に叔母と二人で暮らす高校生。明るくハツラツとした普通の女の子で、キャラ弁をせっせとつくってくれる叔母とはごく自然に軽口を言い合う良好な関係を築いている。でも表面には見えないところで孤独を抱えているはずの、大人手前の思春期真っただ中にいる。
演じるのは、オーディションで選ばれた原菜乃華。『君の名は。』の上白石萌音、『天気の子』の森七菜と、新海作品でヒロインを誰が演じるかはニューヒロイン誕生! の知らせに近い。原は子役出身で女優としての確かなキャリアはあるものの、声優は今回が初めて。草太役の松村北斗も同じくオーディションで選ばれて声優には初挑戦だったが、二人の必死な奮闘は画面越しにも伝わる。原はまるで巧みなボーカリストにように「ここで声がこんな風に響いたら気持ちがいい」というタイミングをピタリと捉えて声を響かせる。松村もまた声までイケメンである上に、アクションシーンでの息遣いのバリエーションなんてプロ並み。それでいて俳優としての奥行ある表現力を惜しみなく発揮する。
その他、草太の一見チャラい友人に、『君の名は。』ほかで声優としてのキャリアも豊富な神木隆之介、鈴芽と草太が旅先で出会うシングルマザーのスナックのママに、実写版があっても彼女で! と思わせるハマり役の伊藤沙莉と隅々まで手抜かりはない。それは新海作品では声の表現が重要なことの表れでもある。
新海は監督デビュー作となった2002年の『ほしのこえ』では自ら主要キャラを演じ、今回もボイスキャストにはあらかじめ、自ら声をふきこんだVコンテ(動きのついた絵コンテ)を渡した。つまり、求める声での演技にはトーンやスピード、セリフを区切るタイミングなどが感覚的に「これでなくては」という正解があったのだろう。それが映画全体の緩急、観客の喜怒哀楽を引き出すことへとつながっているよう。そして『君の名は。』で手に入れたエンタメ性は今回、ある極限にまで達する。
ファンタジーを武器に現実と真っ向から向き合う
『君の名は。』以前の新海誠は“知る人ぞ知る”という形容がぴったりのアニメーション作家だった。デビュー作の『ほしのこえ』は監督・脚本・演出・作画・美術・編集のほとんどを一人で手掛けた25分のフルデジタルアニメーション。つまり新海が描きたいものを描きたいように、1ミリのブレもなくコツコツと構築したもの。
大人手前のミカコとノボルというナイーブで内省的で孤独な登場人物、彼らによる淡々と語られるモノローグ、まるで静止画のように表情の読み取れない人物描写。「ねえ私たち、宇宙と地球に引き裂かれる恋人みたいだね」なんてセリフが登場する遠距離恋愛モノでもあって、メールでやりとりする二人の想いは宇宙規模でどんどん遠のき、変わっていないはずの想いはすれ違っていく。この、切なさ。手触りは間違いなくナイーブな恋愛を描く青春映画なのに、宇宙でのロボットによる戦闘シーンはまさにSFアニメの格好よさ。両者の融合が新鮮だった。その世界観、新海誠という人のつむぐストーリーのリズムや質感がツボにハマった人が続出した。
その後はスタッフも増え、SFの要素が濃くなったり、よりファンタジーに寄ったストーリーを手掛けたり、作り手としての紆余曲折を繰り返す。そして『秒速5センチメートル』(2007)、『言の葉の庭』(2013)で一つの頂点を見る。
静止画のようでその表情が読み取りにくい登場人物の心の動きは、声の演技で表現される。手紙のやりとりやモノローグはまるで小説の一節。想い合うのに心がすれ違う男女、生きづらさを抱えて孤独に落ちる年上の女性に十代らしい必死さで想いを伝えようとする男子ら、切ないすれ違いが見る者の心をとらえる。このタイミングにこの曲が流れなければならない! と思わせる音楽使い、散りゆく桜や降り続く雨の美しい描写と、その世界を構成するすべてを緻密に構築できるアニメーションだからできることを独特のやり方で極めていた。
そして『君の名は。』が爆発的なヒット。『天気の子』を経て完成された『すずめの戸締り』はアニメーション映画の枠を超え、映画の持つパワーを知らしめる。まず映画の早い段階で、草太は謎の猫ダイジンによって木製の小さなイスに姿を変えられてしまう。だから、これはイケメンとの恋の予感アリアリな旅ではなく、てけてけと自走するイスが画面にコミカルな要素を加える、17歳の女の子のロードムービーに焦点があてられる。
それでいて、これは壮大なスケールのファンタジーでもある。草太は災いの入口である扉を締める「閉じ師」で、日本のあちこちにある廃墟を巡りながら扉を締めて災いを阻止しようとする。そのあたり、アクションやらアドベンチャーやらの要素もたっぷりでエンタメ性はMAX。美しい風景の描写、旅先で出会う人びととの交流、懐メロでの遊びまであって、それぞれが計算通りの化学反応を起こす。
そんな映画を観ながら、なぜか新海監督が、暗闇にたった一人で現実に立ち向かう姿が浮かんだ。エンドロールは永遠か? と思えるほどのスタッフのクレジットが続き、たった一人でつくり上げた『ほしのこえ』とは制作体制からしてまったく違うだろう。でも監督のやりたいこと描きたいものが隅々まで一部のブレもなく浸透しているように思えた。
大きな地震やコロナ禍や戦争と信じがたい現実を全然飲み込めずに、ただ呆然と生きてるみたいな日々。画面からは終始明るくキラキラした、言葉にすれば希望とかそんなもの、心の底から信じられるようなそれに触れられたらどんなにいいだろう? と思えるものがシャワーのように降り注ぐ。大げさかもしれないが、映画の中心で新海監督が「生きろ!」とか「みんな映画館に来て、この映画を観てくれっ」と叫ぶ声が聞こえるようだった。
現実と真っ向から向き合い、ファンタジーを武器にそれと戦い、すべてをひっくるめてエンタメ性の中に描く。映画ってスゴイ! わけのわからないパワーが自分の中にみなぎるのを感じながら、そんな単純なことを思った。(文・浅見祥子)