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「エルピス」はなにがすごいのか?視聴者に問いかける“正しさ”の意味

「エルピス」第5話より
「エルピス」第5話より

 現在放送中のドラマ「エルピス-希望、あるいは災い-」(カンテレ・フジテレビ系にて毎週月曜よる10時~)が大きな驚きの声を呼んでいる。長澤まさみ眞栄田郷敦鈴木亮平という主演クラスの人気俳優が挑むのは、ラブストーリーではなく冤罪事件をめぐる社会派エンターテインメントだ。「攻めている」という一言では表し切れないほど社会正義に切り込んだドラマが語るのは、自らの“正しさ”に従うことの意味だった(以下、ネタバレを含みます)。

【画像】拓朗の行く末は…?「エルピス-希望、あるいは災い-」第7話の場面カット

 スキャンダルで降格され、摂食障害や睡眠障害に悩まされていた元人気アナウンサーの浅川恵那(長澤)は、深夜バラエティー番組の新人ディレクター岸本拓朗(眞栄田)から、松本良夫死刑囚(片岡正二郎)の冤罪を晴らしたいという話を持ち掛けられた。数々の矛盾点が残ったままの死刑判決に、恵那は無実を確信。冤罪を告発する特集企画は“上層部の意向”に反したものだったが、恵那が放送を強行した特集は評判を呼び、続報が作られることに。恵那と拓朗は自分たちが正しかったと確信したかに見えたが……。

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 警察権力による強硬な捜査と情報隠蔽、マスコミによる忖度と偏向報道。恵那は冤罪事件の報道にかつての自分も関わっていたのではないかと思いいたる。加熱した部分のみを執拗に報道したり、報じたニュースのその後の真実を追いかけることをしなかったりする、あまりテレビドラマでは正面から扱われないマスコミの体質が、次々と提示されていく。視聴率や反響がよければ掌を返す主体性のなさも示唆されている。テレビ局が自らの足元をすくうようなもので、「骨太な社会派」という言葉ではおさまらない衝撃的な内容といえる。実際、プロデューサーの佐野亜裕美は、脚本家の渡辺あやとこの企画を6年前に発案したというが、これまで実現しなかった。佐野は場所を変え、チャンスを狙い、ようやく放送にこぎつけたという。企画を通した関テレの英断といえよう。

 挑戦的な題材に果敢にチャレンジした渡辺は、映画・ドラマファンにはよく知られた存在だ。映画『ジョゼと虎と魚たち』(2003)や連続テレビ小説「カーネーション」(2011年度下半期)など、記憶に残る名作を数多く手掛け、「渡辺あやなら間違いない」と確信を持って推せる脚本家の一人だ。2021年の春には、松坂桃李ふんする元アナウンサーが名門大学の不祥事や隠ぺい事件に巻き込まれる姿を描いたドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」で印象を残した。自らの保身やメンツのために“正しさ”を封印する権力側の思考に、主人公らが対峙していくという点で、どこか本作に通じるテーマだ。佐野もドラマ「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」「17才の帝国」など、一癖も二癖もある話題作を手がけている。そこに「モテキ」の大根仁監督とくれば、一筋縄でいかない作品であることは自明の理だ。

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 人物配置やその多面性の魅せ方も絶妙だ。報道局のエース記者で恵那のスキャンダルの相手である斎藤正一は、幾重にも裏がありそうな佇まいを見せる。鈴木亮平の物憂げな表情には、近年の肉体派な役柄とはまったく異なった色気が満載だ。さらに眞栄田は、弁護士夫婦の息子で根拠のない自信を持っているイマドキの若者だが、強い目力を見せながらもどこかあやうい雰囲気を醸す拓朗を真摯に演じている。友を見殺しにしてまで勝ち組にこだわったと慟哭しながら告白した第4話での芝居は圧巻だった。何より、追い詰められ、いまにも糸が切れてしまいそうな緊張感を常に漂わせる長澤の、鋭い美しさと切れるような迫力には舌を巻く。

 そして、名優たちによって繰り広げられる物語から見えてくるのは、権力と報道の歪みだけではない。拓朗は、友を死なせたことを後悔して「正しいこと」を求め、世の中への危機感を抱く。恵那は、自身が飲み込んできた言葉の意味に気づき、「正しさ」に突っ走る。それはもしかしたら“暴走”と言われる行動なのかもしれないが、何を信じるのかを自らで考えることの重要性を、彼らは教えてくれる。

 汚染水や安倍元首相、東京オリンピック・パラリンピックといった実際の事象や政治家の映像が否定的な意味で流れたり、語られるエピソードが実際の事件に似ているということを問題視するむきもあるが、それこそが制作者の意図ではないか。「何が本当のことなのか」「それは本当に悪なのか」ということこそ視聴者に考えてほしいという、問題提起なのではないか。

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 番組で冤罪だと告発したいという恵那の希望を、テレビ局はためらいもなく却下する。冤罪なんてありえない、もう判決が出たと、事件の捜査にあたった警察官はかたくなに言い、冤罪かもしれないという拓朗の言葉に耳を傾けることもしない。権力の傘からはみ出しつつある恵那と拓朗は、そんな権力側の言い分に憤りつつ、自らの内面にあるそれに迎合してしまう弱さにも直面する。彼らなりの正義がこの先の展開でどうなっていくのか、しっかりと見届けたくなる作品だろう。

 マスコミ批判だけのドラマではない。権力の横暴を声高に糾弾するだけの物語でもない。これはすべての人に向けて、自らの目で真実を探すことに意味を見い出す必要を説く、自制と自戒の物語だ。(文・早川あゆみ)

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