映画『Dr.コトー診療所』レビュー:16年たっても愛される理由がここに
映画『Dr.コトー診療所』が12月16日より公開される。風にそよぐ緑と美しい海にはさまれた一本道で、自転車をこぐコトー先生こと五島健助(吉岡秀隆)の姿に、主題歌「銀の龍の背に乗って」がかかれば、もうそれだけで涙ぐんでしまう。そんな視聴者も多いのではないだろうか。
2003年に始まったテレビドラマ「Dr.コトー診療所」は、都会の大学病院から絶海の孤島“志木那島(しきなじま・架空の島)”に赴任したひとりの医師が、多くの困難に直面しながらやがて人々に受け入れられ、そこで生きていく姿を描いた医療ヒューマンドラマだ。2006年の連続ドラマ第2期から16年のときを経て、キャストもスタッフもほぼそのまま、映画となって帰ってくる。
長く続くシリーズゆえの遊び心とだいご味
映画は、新キャストの生田絵梨花演じる島出身の看護師・西野那美と、高橋海人(King & Prince)ふんするへき地医療の研修に来た新米医師・織田判斗(はんと)が、島に渡ってくるところから始まる。島ではコトーが変わらず人々を診ており、妻となった看護師の彩佳(柴咲コウ)は妊娠7か月。お馴染みのあの人もこの人も、年はとっているものの元気そうだ。
古くからのファンは、まるで久しぶりに親戚に会ったような感覚になるだろう。さらに、判斗の目を通すことで新規の観客にも優しい作りになっており、脚本・吉田紀子&監督・中江功のベテランペアの技はさすが。意外な形で登場する人もいて、長く続くシリーズゆえの遊び心とだいご味を存分に味わえる。
だが、現在の日本の大きな問題である高齢化や過疎化は、離島ゆえにより深刻で、近隣諸島との医療統合の話が持ち上がっていた。コトーは島を去ることに……? さらに想像を超える巨大台風が襲来、急患が続出して診療所は野戦病院と化す。
医療を扱ったドラマではあるが、万能のスーパードクターが登場する物語ではない。確かにコトーは、ろくに設備のない島の診療所でむずかしい手術も成功させる腕を持つが、それ以上に彼は、命と向き合い続ける人だった。助けられなかった命も忘れず、その形見の象徴であるわら草履を(16年前と同じものではないだろうが)履き続けている。
また、豊かな自然と海に囲まれた島での純朴な暮らしを賛美する物語でもない。島民たちの身勝手さも、エゴも長所もしっかりと描かれており、美々しくない人間らしさが感じられる。さらにハッピーエンドで終わらないシビアさもある。
名優たちによる変わらぬ名演技
主人公に命を救われて医師を志した少年がいたら、ふつうのドラマならその夢はかなうだろう。だが、本作のタケヒロは、家庭の貧しさや本人の学力不足などでその夢を一時は断念しようとする。必ずしも順風満帆ではない現実に直面する彼らの姿は、まるでドキュメンタリーのよう。お涙ちょうだいの感動ストーリーではないのだ。
そして映画ではさらに、島民たちが見て見ぬふりをしてきた問題点を、異分子である判斗が正面から突きつける。彼は「たまたま五島先生みたいな人がいたからこの20年間、この島の医療は成り立っていた」と指摘、医師の献身がなければ成立しない離島医療はそもそも間違っているのではないか、と語るのだ。それは、本作の根幹となる大きな要素であり、コトーらがそこにどんな答えを出すのかは、映画の大きな注目ポイントだろう。
吉岡ら名優たちが誰一人欠けることなく集結し、俳優を引退していたタケヒロ役の富岡涼は映画のだめだけに復帰した。いかに制作陣が本作を大事に思っているかわかるだろう。彼らは変わらず名演技を披露している。さらに、ともすれば嫌味なキャラクターになってしまう判斗を真摯なたたずまいで魅力的に見せた高橋と、初々しさをまっすぐ表現した生田の奮闘は見事だ。
コトーはそれでもそこで生き、人のために尽くしている。温かくもシビアな目線でそれを描き続けた「Dr.コトー診療所」が、人々から愛され続けているのはなぜか、スクリーンで確認してほしい。それは、芯のぶれないエンターテインメントの神髄にも通じると感じられるはずだ。(早川あゆみ)