『ルパン三世 カリオストロの城』は何がスゴかったのか?
宮崎駿の長編初監督映画『ルパン三世 カリオストロの城』(以下、『カリ城』)が、5日に日本テレビ系「金曜ロードショー」で放映される。1979年に劇場公開され、翌年以降から度々テレビ放映されてきたが、宮崎作品としても、「ルパン三世」シリーズとしても、そして日本映画としても屈指の名作の本作は、何度見ても面白い。その魅力はさまざまに語られてきているが、あらためて面白さやスゴさに注目してみた。
1977年に放送開始した「ルパン三世」のテレビアニメ第2シリーズの高視聴率を受けて製作された劇場版第1作『ルパン三世 ルパンVS複製人間(クローン)』は、1978年12月16日に公開されて大ヒット。翌1979年12月15日に公開されたのが、劇場版第2作『カリ城』だった。いまや世界的巨匠の宮崎だが、『カリ城』制作当時は知る人ぞ知る存在で、一般的にはほぼ無名。当時は1974年放送のテレビアニメを再編集した1977年公開の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットによりアニメブームに火が点き、翌1978年にはアニメ専門誌の草分け的存在である「アニメージュ」(徳間書店)が創刊。クリエイターにスポットを当てた同誌などによりアニメスタッフが注目され始めたが、アニメファンにとっても『機動戦士ガンダム』(1979~1980)の富野喜幸(現・富野由悠季)や安彦良和などに比べると、宮崎や高畑勲はまだ通好みの存在だった(当時の宮崎・高畑に特に注目したのが「アニメージュ」の編集者だった鈴木敏夫)。
宮崎は、別名義で途中参加した1971~1972年放送の「ルパン三世」のテレビアニメ第1シリーズでも各話演出を務めてはいたが、テレビアニメシリーズ全話の演出を務めたのは、1978年の「未来少年コナン」が初めて。同作後、1979年に高畑が演出したテレビアニメ「赤毛のアン」に場面設定・画面構成として参加していたが、16話以降は降板。それは『カリ城』を手掛けるためだった。テレビアニメ第1シリーズでキャラクターデザインや作画監督を務めた大塚康生の著書「作画汗まみれ」(徳間書店)によると、「ルパン三世」劇場版第2作の監督依頼を受けていた大塚は当初用意された脚本を気に入らず、書き直しやスタッフ編成などに悩んでいたところ、東映動画時代の後輩で「未来少年コナン」でも組んだ宮崎から「ルパンの演出をやるの?」と電話があったため「一緒に考えてくれない?」と頼むと、宮崎が「僕がやろうか……」と言ってくれたのだという。公開約7か月前から制作に参加した宮崎。実質的な制作期間は約4か月半という、驚くほどの短期間で制作された。大塚は「恐らくその質の高さ/制作期間比では『カリオストロの城』は日本の長編アニメーション史上最短制作期間記録をマークしているのでは」と著書に書いている。
『カリ城』の魅力は、もちろん物語の面白さにもあるが、今回特に注目したいのは、アニメーションならではの絵と動きの面白さについて。デジタル技術のなかった当時、アニメはすべて手描きで、着色まで人力で行われていた。『カリ城』は時間のない中でもアニメーターとしての宮崎の力が存分に発揮されており、省力化する部分は省力化しながらも、動かす場面は作画枚数を費やし、漫画映画としての面白さを存分に見せてくれ、日本のアニメーション技術の高さを知る上でも重要な作品の一つといえる。モナコの国営カジノから大金を盗んで逃げるルパンと次元の息のあった逃走シーンから始まり、クラリスを追うカーチェイスやカリオストロ城の屋根の大ジャンプなど、誇張した漫画的な動きで楽しませる名シーンがいっぱい。これらは宮崎や大塚にとっては、新しい表現を考える時間がなく、過去作で実験済の表現の再利用だったり、後輩アニメーターに東映動画時代から培ってきたアニメーション技法を伝授するためだったりもしたようだが、面白い表現や成功した表現を詰め込んだ集大成やベスト盤ともいえる。
実は当時の制作会社テレコム・アニメーションフィルムで動画を手掛けたのは新人ばかりだったそうだが、原画スタッフは作画監督の大塚を筆頭に精鋭がそろっていた。主にクラリスの作画を担当した篠原征子、冒頭のカーチェイスシーンなどを担当した友永和秀、ルパンと次元がミートボールパスタを奪い合って食べるシーンなどを担当した田中敦子、水越しに歪む銭形など主にコミカルシーンを担当した山内昇寿郎、主に伯爵のシーンを担当した河内日出夫のほか、富沢信雄、丹内司など、『カリ城』以前・以降の宮崎・高畑作品を支え続けた名アニメーターたち総計11人が原画を務めている。どのシーンも宮崎の克明な絵コンテに書かれた演技指示を踏まえた上で原画が描かれ、そこに作画監督の大塚や宮崎の修正も加わって完成に至っているが、それぞれのアニメーターの個性や感性も活かされている。CGなどによる緻密さやリアルさとは違う、人にしか描けないアニメーションならではの漫画的な動きの面白さを堪能できる。
また、公開に間に合わなくなるために後半は削除・変更したシーンも多いそうだが、だからこそ100分という尺の中で一気に見せ切るテンポの良い娯楽活劇になったのかもしれない。宮崎自身はあまりに過酷すぎて体力の限界も知ったそうだし、その出来には満足していないようだが、若い宮崎の熱気や勢いにあふれ、当時の宮崎が考える面白いものを詰め込んだともいえる『カリ城』。公開直後は作品も宮崎も不遇な扱いを受けた時期はあったが、過酷な制作スケジュールの詳細を知れば知るほど、完成したのが驚きで、そんな作品が後の宮崎にとっても、「ルパン三世」シリーズにとっても大きなターニングポイントとなったのは、奇跡としか思えない。しかし、それも宮崎を始めとしたスタッフ全員が、限られた制作期間の中で最大限に努力したからこそ。物語自体は知っている人も多いだけに、緻密さとは違うアニメーション表現としての絵や動きの面白さに注目して見ると、改めて『カリ城』の魅力が再発見でき、何度みても飽きない理由の一端にも気づくことだろう。(文・天本伸一郎)