錦戸亮、独立後も焦りはなし 「飄々と生きたい」
宮藤官九郎と2024年放送の大河ドラマ「光る君へ」が待機中の大石静、超実力派の二人の脚本家が、「池袋ウエストゲートパーク」「木更津キャッツアイ」のプロデューサー&演出家のもとでタッグを組んだNetflixシリーズ「離婚しようよ」(6月22日独占配信スタート)。本作で“色気ダダ漏れの自称アーティスト”を演じるのが錦戸亮。2019年に自身主宰のレーベル「NOMAD RECORDS」を設立し、ソロ活動をスタートさせた錦戸が、独立後の変化について語った。
「離婚しようよ」は国民的人気を誇る女優の黒澤ゆい(仲里依紗)と、まるでやる気のない世襲政治家の東海林大志(松坂桃李)が別れを決意するも、それぞれの事情でなかなか離婚できずに七転八倒するコメディー。そんな微妙な時期に、ゆいが出会うのが錦戸演じる加納恭二。錦戸は「お話をいただけるのはとても光栄なことで、しっかりと自分らしくできたらいいなと。とはいえ、それほど気負いがあったわけではありません」とオファーを受けたときを振り返る。
フリー転身後も『羊の木』の吉田大八監督と再び組んだ Amazon Music の短編映画『No Return』など「ちょこちょこやってはいた」という俳優業。NHK BSプレミアムのドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」(放送中)に続き、本作は視聴者が、俳優としての錦戸に触れる久しぶりのドラマ。けれど本人は「自転車って、しばらく乗ってなくても乗れますよね。演技もそんな感じなのかも」と、実に淡々としている。
錦戸にとって「離婚しようよ」のクランクインは仲里依紗とのシーンで、「出会ってすぐに中華料理を食べに行くんです。仲さんとは撮影前の本読みでお会いしていましたが、最初のシーンはやはり緊張してしまって。緊張していないふりをしましたけど」と苦笑い。
恭二は、ドラマのなかで強烈な存在感を放つキャラクターでもある。昼間からパチンコ屋に入り浸り、どんな仕事をしているのかも最初はよくわからない。なのにどこか自信たっぷりで、泰然としていて動じず、周囲から切り離された独自の時間を生きているように見える。ゆいと出会うなり離婚に揺れるゆいの心にスッと入り込み、底抜けに優しいかと思うと鋭利な刃物のように冷たかったりもする。一言でいえば女性にとってはめちゃくちゃぐっとくる男で、そんな恭二を錦戸はごくナチュラルにやってのける。恭二について、錦戸は「とてもいい大学を出ていて驚くような肩書を持っているけど、突拍子もないことをやる人っているじゃないですか。自分というものを強く持っていて、優先順位が高いんでしょうね。それでいて、誰かに理解してほしいとも思っていない。あんな風に生きられたら、と男としてはうらやましくなります。普通はもっと周りを気にしてしまいますから」と自身もどこか泰然とした様子で語る。
そんな錦戸だが、久しぶりの撮影を経て「何より楽しかったし、やっぱりお芝居するのが好きやなと思いました」と充実した表情を見せる。「別にいろいろな人生を歩めるから、とか明確な理由があるわけではまったくなくて」と前置きしつつ、「誰かが考えた脚本があって、それをスタッフみんなで考えて衣装を決めてメイクをして。僕はセリフを覚えていき、作品としてカタチになる。それを誰かが観て、面白いと思ってもらえたらうれしいと。それ以上でもそれ以下でもなく、感覚的なものですけど」と演じることの喜びを説明する。音楽と違って一人でつくるのではなく、「映像作品は共演者やスタッフと一緒につくるのが素敵やなと思います」と、ゆっくり言葉を選んでいく。
一方で出演作を客観的に観るのは難しいようで、「演技へのダメ出しはあっても誰にも言わないです(笑)。でもそのときに表現として出たもの、カメラにおさめられ、編集されたものが最善やったと思いたい」とも。作品としては、「早くみんなに観てほしいです。すごく面白い物語で、登場するのは愛すべきキャラクターばかり。ただの憎い奴、で終わる人もいなくて、そういうところが僕は好きです」と自信を見せる。
演技から遠ざかっていた期間はどんなふうに過ごしていたのだろう? 「何も変わっていません。映画やドラマを観なかった時期もなかったですし、作品を観ながら、僕も芝居がしたい! と特に思うこともなくて。そんなことを考えるのもおこがましいというか。そうでない道を選んだのは自分なので」とあくまで自然体。だからこそ、「独立する前にいただくオファーと、独立した後にいただくオファーとではちょっと意味合いが違う気がします。ほんまに僕やからこそ、という想いをより顕著に感じますから」と感謝をにじませる。
焦りがなかった理由についても、「僕の場合、“出たいと思っているのに、出演作がなくなっていった”というわけでなくて。自分が選んだことに対しての結果だったので、ネガティブな感覚は一切ありませんでした」と自分の選択に揺るぎはない。それでいてガツガツと前のめりになることもなく、「この先、一切お芝居が出来なくてもしゃあないな、と。それで、絶対次につなげるぞ! というのでもなく、まあがんばって、誰かの目に留まればまた次があるかもしれないね、くらいで」とあくまで肩の力が抜けている。「むしろお芝居しなくなったとしても、こういう仕事をしなくなったとしても、ごく普通に飄々と生きていきたいです」と語るさまは、どこか恭二と重なるようでもある。
独立してからの心境の変化を「走っている、からスキップしている感じに」と表現するのも印象的だ。「スキップって、意外と速いのにラクですよね。だから嫌いじゃないんですけど、それを何とか一生懸命に表現しようとして。以前も楽しむところは楽しんでいましたし、今でも苦しいところは苦しい。でも今、どういう道を行くかを決めるのはすべて自分です。だからこそ一つ一つの責任が自分にのしかかってきます。と同時に、自分が切り拓いているという確かな手応えもあって。以前とは、積み重ねる経験が明らかに変わりました。どちらがいいかは人それぞれですが、僕はこっちがいい。いや、いい! と言い切れるわけではありませんが、意地でもネガティブなことは言いたくないんです。だからもっと年月が経って、これまで歩んできた道を選んでよかったなと思えるような今日を、明日につないでいければいい。すると何かが見えてくるのかもしれない、そう思っているんですよね」と静かに、確信を持って語っていた。(取材・文:浅見祥子)