「どうする家康」秀吉の“最期の一言”はムロツヨシ本人の提案 チーフ演出・村橋直樹が裏側明かす
15日放送の松本潤主演による大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)第39回では、ムロツヨシ演じる豊臣秀吉(羽柴秀吉)の最期が描かれた。本エピソードでは死を直前にした秀吉が家康(松本)を呼び出すシーンがあったが、演出を務めた村橋直樹によると、秀吉が最期につぶやいた一言はムロ本人が提案し、取り入れたものだったという。
ムロ演じる秀吉は、1月29日放送の第4回から登場(名は木下藤吉郎)。家康が松平元康と名乗っていた頃、秀吉は織田信長(岡田准一)の下男として働き、早口でまくしたてるひょうきん者キャラだった。柴田勝家(吉原光夫)に足蹴にされた時も笑顔でやり過ごしていたが、ネット上では“目が笑っていない”“不気味”と戦慄の声が上がっていた。
信長の死後、瞬く間に天下人に上り詰めた秀吉だが、村橋はムロが演じた秀吉を「登場時から天下人に駆け上がるまで徹頭徹尾、『底が知れない』『何を考えているのかわからない』という今回の秀吉像を独特なリズム感で体現してくださっていたムロさん。クスリと笑える柔らかい表現から、一気に背筋を凍らせる冷たい表情まで、温度差とその急激な乱高下で、家康を翻弄させ続けてくれました」と振り返り、第39回「太閤、くたばる」での演技について「この39回においては、変幻自在に他者を翻弄してきた秀吉が、ある意味、老いというものに自分自身も翻弄されているさまが、ムロさんによって絶妙な塩梅で表現されています」と語る。
例として挙げたのが、秀吉が第二次朝鮮出兵を決めるシーン。「『この頭には無限に策が詰まっている。ワシに任せとけばいいんじゃ』といいながら、家康に背を向けて主座に帰っていく瞬間の秀吉の表情は、少し虚ろで、自分が放った言葉に驚き混乱しているようにも見えます。稀代の人たらしとして他者をコントロールしてきた男が、自分のコントロールができなくなっている。しかし地頭が回るが故に、場はコントロールできてしまう権力者の悲哀を、見事に画面に焼き付けてくれました。演技の表現としては一瞬ですが、このカット以降、いまこの秀吉は正気なのか、呆けているのか、真剣なのか、嘘なのか、見ているこちらもわからず、目が離せなくなります」と目を見張る。
秀吉が死の直前に家康を呼び出し、天下を託すシーンでは、ムロの提案によって付け加えた一言があったという。「天下をメチャクチャにしたまま家康に放り投げる、という流れのシーンでしたが、最期に『すまんのう』とボソリとつぶやきます。いくら呆けていてもこれは嘘ではないとわかる真剣で誠実な表情で。これは、ムロさんが一言だけ足したい、と提案してくれたものでした。自由に芝居をやっているように見えて、実は台本のセリフを大切にしてくれるムロさんが、珍しく足した言葉。これが、のちのち強く効いてきます」
そして、秀吉の側室・茶々(北川景子)とのシーンでは、秀吉の意表を突くリアクションが見ものだったと村橋。「茶々に看取られながら血を吐いて死んでいくなか、茶々は『あとはわたしに任せよ、サル』と天下人を引き継ぐ覚悟を、秀吉に宣言します。そのときのムロ秀吉はなんと、笑うのです。茶々という戦国の怪物の誕生を寿ぐように。ついさっき天下を家康に託したばかりなのに……。これこそがまさに、このドラマにおける秀吉なのです」
村橋は、ムロが演じた秀吉を“トリックスター”と表現。第39回の撮影に臨むにあたり、ムロは“最期まで(このドラマの)秀吉でいたい”と話していたと言い、その言葉を受け村橋は「いままでも、そして晩年も、ムロ秀吉の言う言葉はすべてが嘘のようで、すべてが本音のようです。その対極にあるものを内包することが、このドラマの秀吉像の底知れぬ気持ち悪さであったのでしょう。まさにトリックスターとして、物語をかき回し、牽引してきてくれたムロ秀吉。ドラマにありがちな、死の間際に急に善人になるのではなく、清濁併せ呑んだ英傑として強烈な印象と、物語における大きな火種を残す、素晴らしい退場劇でした」と惜しみない賛辞を送った。(編集部・石井百合子)
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