「光る君へ」道長の男泣きは台本になかった チーフ演出が吉高&柄本、屈指の名シーン振り返る
吉高由里子が紫式部(まひろ)役で主演を務める大河ドラマ「光る君へ」(NHK総合・日曜午後8時~ほか)が15日、最終回を迎えた。本作では、平安時代に、のちに1000年の時を超えるベストセラーとなった「源氏物語」を書いた紫式部の生涯が、時の権力者・藤原道長(柄本佑)との深い関係を軸に描かれたが、チーフ演出の中島由貴が吉高と柄本の「想像を超える芝居」を見せた思い出深いシーンを振り返った。
大河ドラマ「功名が辻」(2006)や、社会現象を巻き起こした「セカンドバージン」(2010)、吉高と柄本が共演したドラマ「知らなくていいコト」(2020・日本テレビ系)などラブストーリーの名手としても知られる大石静がオリジナル脚本を手掛けた本作。前半では藤原兼家(段田安則)と円融天皇(坂東巳之助)と花山天皇(本郷奏多)、後半では藤原道長と一条天皇(塩野瑛久)、三条天皇(木村達成)を中心にした権力闘争を描きつつ、大きな反響を呼んだのがまひろと道長のラブストーリー。幼少期に出会って以来、身分の差を超えて惹かれ合った二人は離れようとしても偶然の再会を繰り返し、やがて互いに別の相手と結婚してからもその絆が絶たれることなく、まひろが道長の子を産むオリジナル展開も大きな反響を呼んだ。
吉高と柄本の演技について特に優れていたシーンは? と問うと「いっぱいあるので、なかなか絞るのは難しい」と前置きをしつつ、その一つとして第42回「川辺の誓い」を挙げた中島。ドラマで貫いてきた「思っていることと言っていることが必ずしもイコールではない複雑さ」が顕著に表れたシーンだともいう。
「宇治のエピソードは、まひろが『源氏物語』の『宇治十帖』(※光源氏の死後、源氏の子とされている薫君と源氏の孫・匂宮の物語)をどう書き始めるのかというのを考えて生まれたものです。大石さんと台本作りの際にロケに行けるのであれば、宇治川を想起するような川のシーンを作りたいと申し上げました。栃木の鬼怒川で撮影したのですが真夏でみな汗びっしょりの状態で、吉高さんも柄本さんも大変だったと思います。出来上がった映像はそんな暑さを感じさせない、もの哀しくも美しいシーンになったのではないでしょうか」
病に倒れ宇治で休養する道長を見舞うまひろ。この頃、道長と三条天皇の覇権争いが激化。道長は三男・顕信(百瀬朔)が突然出家、三条天皇は娘・妍子(倉沢杏菜)の元に渡らず……と心労が絶えない状況にあり、従者の百舌彦(本多力)が薬を運んでも口をつけようとせず、もはや生きる気力を失っているようだった。百舌彦に懇願され宇治にやってきたまひろは、弱った道長を見て言葉を失った様子。道長はまひろの姿を目にして驚くも、言葉を発さない。沈黙の中で二人のどんな思いが交わされているのか、視聴者の想像を掻き立てる名シーンだったが、中島はシーンの意図をこう語る。
「まひろは道長があんなに弱っている姿を見たことがなく、相当なショックを受けている状況です。私からお願いしたわけではないのですが、そんなまひろの想いを汲んでくださったのか、吉高さんは涙を流された。でも道長を元気づけるためにやってきたわけですから泣いたままの顔で会うわけにはいかないので、一回涙を拭って気持ちを落ち着かせて“そんなに心配してないですよ”みたいな顔で『道長さま……』と声をかける。道長は、まさか彼女が来るとは思っていなかったのでその驚きと、弱っている姿を見られてしまった羞恥、そう見られまいとする思いが交錯して、一瞬少しかっこつけるような素振りを見せる。そのことも多分まひろはわかっているので、“体は大丈夫?”みたいなことは言わずに『宇治はよいところでございますね』と。対して道長は『川風が心地よい』と答えたので、まだ彼にも元気が残っているんじゃないかと受け止め外に連れ出す。細かい指示はしていませんが2人の心の流れを確認しながらシーンを作っていきました」
幼少期に初めて出会った頃のように川辺に佇む二人。「誰のことも信じられぬ。己のことも……」といつになく弱音を吐く道長に、まひろは「もうよろしいのです。私との約束は。お忘れくださいませ」とその重責を慮るも、道長は「お前との約束を忘れれば、俺の命は終わる」と聞かない。そして「この川で2人流されてみません?」(まひろ)、 「お前は俺より先に死んではならん。死ぬな」 (道長)、「ならば道長さまも生きてくださいませ。道長さまが生きておられれば私も生きられます」(まひろ)とやりとりが続く。
中島いわく、ここでもまひろが思っていることと言葉が一致しているわけではなく、特に「この川で二人流されてみません?」という、心中をもちかけるような言葉は複雑な感情をはらんでいる。
「意図としては半分本気、ぐらいです。それを道長に対して、割と突き放すように言ってもらっています。このぐらい言わないと、この人は死んでしまうんじゃないかと。あえて悪い方向に持っていくことで、生き延びさせようとする。だけど、まひろ自身もあの時点で「源氏物語」を書き終えて書くことを一度やめていて、自分もやり終えた、もう命を終えてもいいという気持ちがあるんです。『この川で2人流されてみません?』と明るく言った後にまひろの表情が変わるのですが、これは吉高さんが自然とそうなったのではないでしょうか。一方、道長もまひろの言葉をそのまま受け取っているわけじゃなくて“こういう言い方をする女なんだな”とか、本心を感じ合える関係として描いています」
本シーンで特に反響を呼んだのが、道長がまひろの言葉に号泣するくだりだったが、台本には「涙を見せる」とは書かれておらず、中島が吉高、柄本とシーンについて話し合ううちにそうした流れになったという。
「最初のドライ(リハーサル)の段階では泣くような感じじゃなかったんですよ。だけど、道長は弱っているし、もし『2人で流されてみません?』っていうまひろに『そうだな』と言ったら、本当にまひろは自分と共に命を絶ってしまうかもしれなくて、彼女を死なせるわけにはいかないので『死ぬな』という風になっていく。道長は精神的にも肉体的にもギリギリのところにいるので『生きてください』と言われたら、きっと(思いが)溢れるよねみたいな話をして。柄本さん、どこまでいくかなあ、と思いながらモニターを見ていました」
もう一つのポイントが、まひろが道長に寄り添わないところだ。「総じて道長がまひろに甘えて、まひろがリアクションすることが多く、これまでだと道長が弱っていたら、まひろは寄り添っていたと思います。それで吉高さんも『(道長が泣き始めたらそばに)行きますか?』とおっしゃってくれたのですが私は『行かなくていい』と。なぜなら、二人がもう寄り添う次元ではなくなっているから。二人が支え合わずに立っていることに意味がある。『流されてみません?』と言ったまひろに対して、道長は『死ぬな』と言っていて、1人で、自分の足で立つこと、生きていくということは、自分の人生を自分で引き受けることだ、と思ったので、まひろが道長を甘えさせるように寄り添うべきではないと考えました」
まひろと道長のラブストーリーが視聴者を魅了した理由の一つは、間違いなく「思っていることと言っていることが必ずしもイコールではない複雑さ」を重視した演出であり、中島は吉高と柄本に「このドラマは無言のシーンも多いのですが、吉高さん、柄本さんは全然、言葉なんかいらない。表情などから本当に細かいニュアンスまで伝わってくる芝居ができる」と惜しみない賛辞を贈っていた。(取材・文:編集部 石井百合子)