サードシーズン2008年9月
私的映画宣言
今年の夏の思い出は、『釣りキチ三平』の現場取材で秋田に何度か呼んでいただいたこと。ワラぶき屋根の三平の家に感激し、携帯なんて当然、圏外の大自然に癒されまくった。極めつけは日本酒! 一口目で「何も言えねぇ」おいしさ!
『アイアンマン』のロバート・ダウニー・Jrを取材。初日だったせいか異常なほどハイテンションだった。が、翌日は体調不良だったそう。東京にあふれ返る『セックス・アンド・ザ・シティ』サラ・ジェシカ・パーカーの広告の嵐に酔ってしまったのではと邪推。
『ウォンテッド』のマカヴォイに吹き替え版を担当したDAIGOのロック・ポーズをキメさせ、『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』の来日記者会見では兵馬俑の前で黒瀬真奈美にテーマ曲を披露させちゃう東宝東和のセンス! もう大好きです。
ザ・フー初の単独来日公演が近づき、ワクワクしている今日このごろ。4年前のフェスでの来日時は泣きそうになったが、フルセットの公演ともなればもっと感激するんだろうな。映画『ザ・フー:アメイジング・ジャーニー』も観なきゃ、だ!
翻訳家デビュー作となる、ガンズ・アンド・ローゼズの伝記本が完成間近。そしてこの記事がアップされるころには、心の故郷ニューヨークに帰省中。毎晩ライブを観て、心身共に癒されてくる所存です。
アイアンマン
自分の肉体で敵を倒す。そのために、自らの頭脳を使って武器を発明する。これって、少年期からオヤジに至るまで多くの男子に潜んでいる究極の夢じゃないか? 本作はその夢を現実化することに集中した姿勢に、あきれるほどノックアウトされた。パワードスーツに悪戦苦闘する失敗エピソードに共感し、戦いへの爽快(そうかい)感へ至るのはヒーロー映画の常道だが、映画ファンにはその道程がロバート・ダウニー・Jr復活と重なって、さらに涙モノ。セレブ社長絡みの小ネタも楽しい!
ロバート・ダウニー・Jrがアメコミヒーローなんてもったいないと思っていたら、意外とハマリ役だった。ヒーローものの心の葛藤(かっとう)は彼ほどの演技派が演じてこそ、描けるのだろう。しかも本作のダウニーは超ゴージャス。本人をほうふつさせるクールな会話術や中年ならではの落ち着いたスーツの着こなしにほれぼれ。さらにマッチョ過ぎない適度に筋肉のついた体にもしびれまくりだ。アメコミ原作ものとはいえ、これなら大人の女性が観ても、十分楽しめるはず。
上映時間の半分ぐらいトニー・スタークが着るパワードスーツの開発に費やしているのではないかと思うほど、メカ好きウケしそうなアメコミ映画。その因果か、アイアンマンの活躍シーンが減っていて、壮大な前フリ映画のような位置づけとも解釈可能だが、同様に、苦悩や葛藤(かっとう)などを重く見せることもないので、軽く楽しめる仕上がりが好印象。今後の“Avengers”やテレンス・ハワードの活躍(思わせぶりなシーンはアリ)にも期待。
アメコミ界の戦うセレブ社長といえばバットマンことブルース・ウェインと、このトニー・スターク。とはいえ『ダークナイト』とはある意味対照的な、陽性の方向に『アイアンマン』は展開する。装着感のあるヒーロー像はガンダム世代でなくても楽しめるし、大気圏を突破したり、戦闘機とチェイスしたりなどのときめく見せ場もイイ。何より、気取ったセレブと工学オタクの二面性を持つトニーのキャラクターがイイ。ロバート・ダウニー・Jrの妙演も含めて、買いだ!
これはいわゆるスーパーヒーローものとは違い、生身の人間が自分の知能と技術を注いで作り上げたパワードスーツに身を包み悪と対峙(たいじ)する! という点でも、大変共感度の高いリアリスティックなヒーローものではなかろうか。なので、アメコミ映画特有のくさみが感じられず、妙にストレートなエンタテインメント大作に仕上がっている。本作の主人公である天才社長を演じるために生まれてきたに違いない! と確信してしまうほどのハマりっぷりで映画に異常なまでの説得力を持たせたロバート・ダウニー・Jrの貢献度は高いが、監督ジョン・ファヴローの男気あふれながらもコミカルな演出がさえた痛快な一本。
ホームレス中学生
ネタとしては、すでに旬を過ぎた感のある原作を小池徹平が主演したことで“さわやか系青春映画”の香りを漂わせたのは正解。前半の公園生活は少々モタつく展開で、中盤は大人たちの優しさでドラマチックに盛り返したと思ったら、後半は田村少年の屈折や反抗心が、観ていてちょっぴり気恥ずかしくなった。そのドラマ曲線がちょっと残念かな。みそ汁やごはんなどのおいしそうな映像が作品のテーマにフィットし、このあたりの演出は素直で気持ちいい。
前半、小池徹平一人の場面では気にならないのだが、後半、兄弟そろってからがしっくりこない。さすがに小池も中学生には見えず、兄たちへの幼稚な態度に違和感を覚えたのだと思う。彼と兄・キングコングの西野亮廣(演技は少々堅めだが)、姉・池脇千鶴とのやり取りがテンポ良く、呼吸が合っていただけに少々残念。小池の中学生は無理があったが、全体的な配役は絶妙。なかでも田中裕子やいしだあゆみが大阪のおばちゃん然としているのは、ほほ笑ましかった。
原作未読を前置きしたうえで言うと、人情を推すわりに、主人公とそれ以外の人々が、あたかも彼の人生を通り抜けていくように、深く交わらないような描かれ方だった気がしたが、そのペラッとした感じの理由がラストでわかって納得。あと、ホームレス生活の原因を作った父親に対する怒りが描かれず、若干の違和感を感じずにはいられないが、こんなオヤジじゃ仕方がねぇと思わせてしまうイッセー尾形の好演には目を見張るものがある。。
前半のウ●コ・ネタの多さ、個人的には楽しいのだが“女子にはどうよ!?”と感じつつも、最後まで観てみると意外に人情味のある感動作。子ども時代の母親との回想シーンは音楽が大げさで、あざとさが鼻につかないでもないが、大阪ムービーの気取りのない庶民感覚がそれを救っている。とりわけ生粋の大阪娘、池脇千鶴の肩の力が抜けた演技は絶品。ちょっと気になったのは、真夏に公園に寝泊りし続けて髪の毛もゴワゴワにならず、臭気さえ感じさせない主人公の描写。ウ●コまで出しているんだから、そこまでやっていいんじゃない!?
過酷でハードコアなホームレス生活を送る中学生の波瀾万丈なサバイバルに焦点を合わせたドラマ性の高い作品なのかしらん? と思いきや、公園での孤独なホームレス生活を決断した主人公のその動機も不明瞭(めいりょう)なまま、気が付けば早々に脱ホームレスし、兄姉との共同生活がスタート。一気に安易な感動(でも決して泣けない)家族ドラマに突入という、何とも戦犯級のタイトルであり内容だ。主人公が全然お笑いの才能がなさそうなところも、原作者とのギャップがすご過ぎて衝撃的。
アキレスと亀
ここ数作の北野武作品の中では最もわかりやすい物語で、それだけでも好印象。本作の主人公の場合は絵を描くことだが、何かに本能的に突っ走れる人生って、ホントに幸せなんだと、つくづくうらやましいと思ってしまった。家族にまつわる悲しく切ないドラマで感動路線強調と見せかけ、やっぱりインパクトを残すのは、登場人物らの妙にかみ合わない会話や、創作時のハチャメチャ行為といった笑い部分。そこらに監督の照れが見え、いとおしさが増すんだよね~。
前2作に続き、映画とは芸術とは何かを模索する内容。だが比べ物にならないほどわかりやすく面白い。特に樋口可南子が新鮮。これまでのイメージを覆すコメディエンヌっぷりが愛らしい。彼女の新たな才能をうまく引き出した北野監督も、素直にその演出に従った樋口の柔軟性も素晴らしいと思う。北野監督にはどんどんいろんな人と組んでもらいたい。カウリスマキ作品みたいに同じ人を使うことで妙なおかしみが生まれるのかもしれないけど。
過去のどの監督作よりも、監督本人の気持ちが分かりやすく伝わるおそろしくパーソナルな作品で、代償は払うけれども、それでも自分の道を行く主人公はまさしくたけしそのもの。特に前2作であらわにしていた映画監督としての迷いや苦しみが吹っ飛び、「オイラは映画を撮ってもいいんだ……」ってようやく思えた安堵(あんど)が、ラストシーンにジンワリと出ていて感慨深い。監督本人に聞いていないので推測の域を出ないですが。
芸術がフツーの生活と共存し得ないものなのかどうかは知らないが、その距離感を図る目安として興味深く観た。アーティスト・北野武の姿勢が、主人公にどこまで投影されているのか考えるのもファンにとっては面白いし、画商の言いなりになって作風がコロコロ変わる主人公のいい加減さなど笑いの点も彼らしい。実りなき創作活動に、一児の母となり、なお真剣に付き合う嫁なんてありえねーという気はしないでもないが、ダメ人間のファンタジーと思えば納得。ただ、ラストの“アキレスと亀”に関するテロップは不要では!?
自分の世界に生きるアーティストでありアウトサイダー(社会不適合者)の悲痛な生きざまは終始一貫としている。アートだけが自分のアイデンティティーであり、そのために社会と折り合いを付けることもできない。しかも、彼と波長の合った妻の出現のせいで、彼の狂気は加速していく。家族や友人、彼がかかわる人間はみな命を失っていく、まるで死神のような男。全体的にその暴走ぶりが喜劇タッチで描かれていることもあり重苦しくはないが、決して笑えない。希望を感じさせるラストも収まりはいいが、きっと彼は何も変わらないだろう。ああ、何たるペシミズム。