~第14回 2009年12月~
INTERVIEW@big apple
今月は第47回ニューヨーク映画祭、ヒラリー・スワンクが女性飛行士を演じた伝記映画『アメリア』(原題)、そしてオスカー最有力候補の映画『プレシャス:ベイスド・オン・ザ・ノベル・プッシュ・バイ・サファイア』(原題)を紹介します。
第47回ニューヨーク映画祭出展作品
世界18か国から、ニューヨーク映画祭に出品された作品は全部で29作品。日本からは、SABU監督の映画『蟹工船』が出品され、さらにカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した映画『ザ・ホワイト・リボン』(英題)、デンマークの鬼才ラース・フォン・トリアー監督の映画『アンチクライスト』(原題)、スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の映画『ブロークン・エンブレス』(原題)などが参加した。
ミヒャエル・ハネケ監督、ラース・フォン・トリアー監督、ペドロ・アルモドバル監督、ペネロペ・クルス、アラン・レネ監督、SABU監督、トッド・ソロンズ監督
今年のニューヨーク映画祭のラインナップを初めて見たときは自分の目を疑った! なぜならばスターが出演している目玉の作品が皆無だったから。例年通り、質の高い海外作品が選ばれているのはいいが、映画祭の宣伝となる目玉作品がないと、映画祭を開く意味がないではないか。しかし選考委員を知って納得。ニューヨーク映画祭のディレクターであるリチャード・ペーニャを除いて、ほとんどがヴィレッジ・ヴォイス誌(ニューヨークの若者に支持されている週刊誌)の記者であったからだ。このヴィレッジ・ヴォイス誌は、やたらとアート系のエンターテインメント作品を紹介することで有名で、彼らの好みが今年の映画祭に反映されているのだ。
映画中心の記者ならばこの選考でも問題はないが、エンターテインメント全般を扱っている記者にとってはスター不在の映画祭はネタにしづらいだろうと思う。さらにヒドかったのは、オープニング作品が、フランスの巨匠アラン・レネ監督の映画『ワイルド・グラス』(原題)だったこと。レネ監督はフランスのヌーベル・バーグ時代に秀作を発表してきた名匠ではあるが、今回の新作は少々キツい。今回のオープニングの選考は、明らかにレネ監督の功労賞に近い選考だったのが明確だ。残念ながら、今年のニューヨーク映画祭には消化不良という印象が残ってしまった。
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1932年に女性として初めて大西洋単独横断飛行を成し遂げたアメリア・イアハート(ヒラリー・スワンク)の輝かしい飛行経歴と、夫であるジョージ・プットナム(リチャード・ギア)や愛人のジーン・ヴィダル(ユアン・マクレガー)との関係を交錯させながら描いた伝記映画。
配給会社フォックス・サーチライトからメールで、取材現場がニュージャージー州のフェアフィールドにある飛行場になるとの連絡があった。ごくたまにある、市内を飛び出した楽しい取材と言いたいところだが、同じ日にオスカー最有力候補の映画『プレシャス:ベイスド・オン・ザ・ノベル・プッシュ・バイ・サファイア』(原題)の取材があったのだ。二つの映画の取材時間がかぶらないよう、事前に『アメリア』(原題)の担当者に連絡はしたのだが、取材日3日前まで具体的な取材時間が設定されず、連絡ももらえなかった。
『アメリア』(原題)の取材は午前中にあるとだけ知らされていた僕は、もう片方の取材を午後に設定してもらった。しかし取材日直前になって『アメリア』(原題)の取材終了後に出るバスの時間が13:30に設定されていることを知らされたのだ。取材がある飛行場からマンハッタンまでは45分くらいかかるだろう。焦った僕は『アメリア』(原題)担当者に電話で抗議。それでもバス出発の時間が変更されることはなく、一か八かで両方の取材に挑戦しようと決めた。遠足気分でバスに乗り、取材地である飛行場に向かった僕ら記者たち。記者会見場にはアメリアが1929年に設立した女性だけのパイロット団体のメンバーが大勢出席していたり、アメリアが実際に乗った飛行機が展示されるなど豪華なものだった。
映画『プレシャス:ベイスド・オン・ザ・ノベル・プッシュ・バイ・サファイア』(原題)
1980年代のニューヨークのハーレムを舞台に、16歳の少女(ガボリー・シディベ)が、家族から虐待を受けながらも、教師(ポーラ・パットン)やソーシャルワーカー(マライア・キャリー)の助けを得て、人生の希望を見出していく感動作品。
リー・ダニエルズ監督、ガボリー・シディベ
飛行場取材を終え、バスでニューヨークに戻って来た取材記者のうち、何人かは映画『プレシャス:ベイスド・オン・ザ・ノベル・プッシュ・バイ・サファイア』(原題)の取材に向かうことに。しかしバスが着いたのは、マンハッタンの外れ。残り10分で次の取材現場に直行せねばならない僕は、何人か取材仲間を集めてタクシーを呼ぼうとした。しかし僕らの前には別の記者グループが手を挙げてタクシーを待っている。さらにこの日はあいにくの雨で、ただでさえタクシーが止まりにくい状況だ。僕は仲間と離れて、別のグループの前に移動してタクシーを捕まえようとした。
しかし別のグループも僕のさらに前に行って手を挙げるなど、しばらくタクシー争奪戦が巻き起こった。仕方なく僕らは別の道でタクシーを捕まえ、この争奪戦を抜け出すことに。取材開始まで残りわずか。本来なら10分で到着できるところが、ニューヨークの大渋滞にはまってしまい、到着まで20分もかかってしまった。急いで取材現場に駆け付けるも、すでにリー・ダニエルズ監督のインタビューは始まっていた。遅れた数人の記者とともに僕も席について取材に入ろうとしたものの、映画の題材のせいもあってか、会場内は黒人の記者たちで埋め尽くされていた。さらに彼らは質問をする前に映画を観た感想を述べるために時間を浪費したり、薄っぺらい質問ばかりが目立っていた。遅れてきたものの、これではまずいと僕も積極的に質問し、無事にダニエルズ監督とガボリー・シディベのインタビューを終えたのだった。