第13回 ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭の魅力に迫る!
ぐるっと!世界の映画祭
大学の卒業制作『くじらのまち』が2012年にぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞した、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域在学中の鶴岡慧子監督。以降、映画は釜山、ベルリン、フランスのドーヴィルなどでも上映され、南米アルゼンチンにも上陸。そんな鶴岡監督が、第15回ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭(2013年4月10日~21日)の様子をレポートします。
音楽部門があるのが特徴
南米のインディペンデント映画を活性化させるべく1999年にスタート。インターナショナルやアルゼンチン映画のコンペ部門の他、音楽が生活に根差した国らしくミュージック部門も設けられている。第15回は長・短編計437作品が上映され、37万人が来場した。日本からは、世界の話題作を集めたパノラマ部門で小林政広監督『日本の悲劇』、今泉力哉監督『こっぴどい猫』などが上映。また韓国のホン・サンス監督特集も行われた。
「インディペンデントと聞いて小規模な映画祭かと思いきや、大学生が団体で訪れるなど若い観客が多く、活気がありました。そして日本映画の話題で必ず名前が挙がるのが河瀬直美監督や北野武監督。世界中で愛されているのだなと実感しました」(鶴岡監督)。
きっかけはベルリン
鶴岡監督『くじらのまち』は、新人監督を対象としたインターナショナル・コンペティション部門で選出された。ベルリン国際映画祭フォーラム部門で上映された際、観に来ていたブエノスアイレスのディレクターが上映を即決したという。上映はショッピングモール内の映画館で行われた。
「上映後のQ&Aでは、ベルリンや釜山と異なり、今回は映画を勉強しているであろう若い観客も多く、リハーサルや演出など、ストーリーよりも作り方に興味があったようです」(鶴岡監督)。なお、上映はスペイン語字幕が必須で映画祭側が付けてくれたという。そのおかげもあり、引き続き第11回クエンカ国際映画祭(エクアドル)に出品し、片野翠が主演男優賞を受賞した。
日本人参加者はたった一人
日本から距離も遠く同映画祭に日本人が参加することは少なく、今回も鶴岡監督たった一人。その分、他の参加者と交流する機会が増えたようだ。『くじらのまち』を観に来てくれたスペイン人のマルカル・フォレス監督からは、「僕の映画も観に来てよ」と声を掛けられて映画『アニマルズ(原題) / Animals』を観賞することに。
以降は、スペイン語がわからない鶴岡監督のために、他の参加者たちとの橋渡し役を買って出てくれたという。また、コンペ部門の審査員を務めていたカンヌ国際映画祭監督週間の元ディレクター、マリ=ピエール・マシアとは食事を共にした。鶴岡監督は惜しくも賞は逃したが、マリ=ピエールから「ぜひ次回作を観せてください」と声を掛けてもらったという。
日系移民の街を実感
映画祭会場は山の手のレコレータ地区が中心。上映の合間、映画祭事務局隣にあるレコレータ墓地や、現代美術館など積極的にアルゼンチンの文化に触れた。またアルゼンチンは日系移民が多いことで知られるが、期間中も通訳として鶴岡監督をサポートしてくれたり、上映会場にも多数来場してくれたりしたという。
「現地で活躍中の日系俳優と出会いもありました。ただ彼らと話していると、日本の情報はあまり届いてないように感じました。ある方からは『わたしたちが映画を学ぶとしたら米国を目指すが、今回、こうして日本の学校で映画を撮っている人がいるのだということを初めて知りました』と言われたのは驚きでした。まだまだ日本映画のアピールが必要ですね」(鶴岡監督)。
ドバイ経由で約30時間
コンペ部門参加だった鶴岡監督の渡航費と5泊分の宿泊費は、映画祭側の招待。エミレーツ航空でドバイからリオデジャネイロを経由し、約30時間かけてブエノスアイレス入りした。治安について、白昼は問題ないが、夜間の外出は気を付けるよう通訳から言われたという。食事はステーキなどの肉料理が中心。「おいしいけど、代わり映えしないのでさすがに飽きてしまって。おみそ汁が恋しくなりました」(鶴岡監督)。
「ある意味プレッシャーです」
大学の卒業制作だった『くじらのまち』でいきなり世界から脚光を浴びる存在となった鶴岡監督。現在、東京藝大に在籍し、次回作が期待される存在となったが「ある意味プレッシャーです」と苦笑いする。「でも映画祭でいろいろな世界を知り、自分の作品がどんなふうに観られるのかを知るのは良い経験になりました」と鶴岡監督。新作は、ロシアのイワン・ツルゲーネフ原作の『はつ恋』に挑む。
レポート・写真:鶴岡慧子
編集・文:中山治美