【年末特集企画】東日本大震災後映画監督が東北で出会った人、文化、そして歴史 No.1
東日本大震災以降、多くの映像作家たちがカメラを片手に現地に入り、その記憶と感情を後世に伝えるべく無数の映像作品が誕生した。中には、東北に縁もゆかりもなかった監督が足しげく通ううちに新たな魅力に気付き、震災関連以外の作品も生まれ始めている。今回はその中から、福島県南相馬市に残る老舗映画館の思い出を記録した『ASAHIZA』の藤井光、同市の伝統行事「相馬野馬追」の馬の歴史をひもといた『祭の馬』の松林要樹、東北で語り継がれる民話に着目した『うたうひと』の酒井耕・濱口竜介の4監督に、創作の軌跡を語ってもらった。(取材・文:中山治美)
■映画『ASAHIZA』 監督 藤井光
1923年(大正12年)に芝居・活動小写真小屋として開館し、福島県南相馬市ある映画館「朝日座」。朝日座を通して、この土地の人々の記憶から、社会的な意味と価値を見つめると同時に、震災との関わり描いた。監督は藤井光。2014年公開予定。
■映画『祭の馬』 監督 松林要樹
東日本大震災を生き延びた牡馬をめぐるドキュメンタリー。福島県南相馬市で津波から生還するも、その際に局部にけがをして腫れたままになった元競馬馬ミラーズクエストがたどる数奇な運命を追い掛けていく。松林要樹監督。シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中。
■映画『うたうひと』 監督 酒井耕・濱口竜介
酒井耕の濱口竜介の両監督による「東北映画三部作」の最終章で民話に焦点を絞る。広島・横川シネマ「濱口竜介プロスペクティヴin広島」内にて2014年1月3日まで公開中(全国順次公開)。
No.1 関わりの違いが作品に表れる
――東北に関わることになった理由は?
藤井光監督(以下、藤井監督):僕は2010年にせんだいメディアテークの開館10周年事業で「いま、バリアとはなにか」と題した大規模な展示を行ったので、その準備のために結構通っていたんです。その縁もあって震災3週間後ぐらいにメディアテークの方から非公式に「アートで何かできないか、一緒に考えませんか?」と声を掛けられたのがきっかけです。消極的に聞こえてしまうけど、これは震災前からの自分のスタンスで、映像を必要としている状況があり、誰かに依頼されてから撮影をします。
濱口竜介監督(以下、濱口監督):僕たちは母校の東京藝術大学から、藤井さんとはせんだいメディアテークの震災を記録する別の、プロジェクト「3がつ11にちをわすれないためにセンター」に参加するように依頼されて、僕が2011年5月に、酒井が同年7月に入りました。
――酒井監督は車を持っていたので呼ばれたのとか(笑)。
濱口監督:車がないと何もできなくて(苦笑)。
酒井耕監督(以下、酒井監督):移動範囲が広くて、東北とひとくくりするには大き過ぎると肌で感じましたよ。
松林要樹監督(以下、松林監督):僕は、旅行程度で山形などへ行ったことはあるけど、東北ツアーは震災直後にプロデューサーの安岡卓治さんたちと入ったのが初めて(※その記録はドキュメンタリー映画『311』になった)。でも、安岡さんの取材方法では何もできないなと思って、帰京した翌日に支援物資を届ける友人と福島へ。
藤井監督:翌日だったんですか。
松林監督:カメラ1台だけ持って。明確に作品を作ろうと思ったわけではないんです。福島、宮城、岩手と3県回ったとき、福島だけ違うと思った。原発です。沿岸部だけじゃなく、内陸部の人たちも「農業もできないし、どうしたらいいか?」と避難所で言われて、それがずっと心に残っていた。
――使命感ですか?
松林監督:使命というとカッコよすぎるし、興味本位といえばそう。
濱口監督:今思えば、僕も興味本位だったと思います。でも先に言ったように車がなければ動けず、それで時間が過ぎてしまいました。もう、お金もどんどんなくなって……。
酒井監督:生活費ってこんなに掛かるんだと。
藤井監督:寝泊まりは幸い、最初はメディアテークの職員の家に居候し、のちにレジデンスみたいなスペースに移りました。職員の方が阪神・淡路大震災を経験していて、いずれ仙台を拠点に多くの作家たちが来ると読んでいた。
濱口監督:われわれもそこに。
酒井監督:藤井さんとは別の場所だったのですが、近所だったのでよく食事を一緒にしました。
松林監督:僕は最初、避難所に泊まり込んでいました。その後、2011年5月ぐらいから『祭の馬』にも登場する馬事施設に手伝いしながら泊まっていた。滞在費は一回も払ったことないです。図々しいといえば図々しい。
酒井監督:スゴイなあ。
――それぞれのスタンスの違いが、作品の違いにそのまま表われていますか?
濱口監督:全くその通り。
酒井監督:隠せないものだと思いました。
濱口監督:僕たちは怖がりなアプローチをしましたね。なかなか取材対象者に近づけなかった。
酒井監督:僕らは撮影場所を用意して。そこに被災体験を語っていただく方に来てもらった。松林さんのように。取材対象者を背中から映すなんて映像は一切撮っていないわけです。
松林監督:たぶん早い時期に現地に入ったことが大きいと思うんです。救援物資を届けたことで、感謝されたことも。それが、『相馬看花(そうまかんか) -第一部 奪われた土地の記憶-』完成後は、「もう来るな!」と言われて(苦笑)。地元で上映したときなんて『何だ!? 田中京子(出演者で市議会議員)と夫・久治の映画じゃねぇか』と10人ぐらいがバッと退席してしまった。
藤井監督:朝日座での上映ですね。
松林監督:まさに(苦笑)。僕の映画のために、田中さん夫妻が嫌な目に遭うのが嫌だなと。
濱口監督:僕らも考えました。その土地で上映するか? 否か? 中には「今はまだ地元でやってほしくない」という人もいます。
酒井監督:映画で取り上げたことでその人がヒーローのようになって、本来なかった力バランスができてしまう。それを気にする方もいて、出演依頼をすると「わたしが語ることが良いことなのか?」と言われる方も。この問題は、もう少し時間がかかるのかな。
濱口監督:そんな中、藤井さんは朝日座で撮った映像を朝日座で上映し、その様子まで映画の中に取り込んでしまうとは。
藤井監督:これはスタンスの話だと思うんです。これまでも僕は、あるコミュニティーの中で映画を作って、彼らが共有できる作品を作っている。皆で楽しむ祭的なものではなく、自分たちの中で相対的に見たり、自己批評する作り方なんです。なので、朝日座で作ってそこで上映するのは最初から組み込まれていた。彼らにとって、今の朝日座はどう見えるのか? 映像をメディアとして議論できるような内側に向いた製作をしているから……。まぁ、上映できますよね。
(一同爆笑)
【映画監督が東北で出会った! 人、文化、そして歴史】
No.1 かかわりの違いが作品に表れる
No.2 歴史への関心、深まる人との距離
No.3 東北の水を飲んだ者は、東北と向き合い続ける