村上春樹も「仮面ライダー」も!わたしがNIPPONを偏愛するワケ~『ディーバ』ベネックス監督来日記念インタビュー~
第29回東京国際映画祭
実際のオペラ歌手をヒロインに起用し、カリスマ的オペラ歌手の歌声を“盗んだ”青年の数奇な運命を描いた長編デビュー作『ディーバ』(1981)、ベアトリス・ダル&ジャン=ユーグ・アングラードというフランスの二大スターを主演に迎えた恋愛映画の金字塔『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(1986)などの名作で知られるフランスの巨匠ジャン=ジャック・ベネックス。寡作ながら、日本で熱狂的なファンに支持される彼が第29回東京国際映画祭の審査委員長として来日。自身の作品がコンペティション部門に出品された際の映画祭の思い出から、名優イヴ・モンタンさんの遺作『IP5/愛を探す旅人たち』(1992)の誕生秘話、日本カルチャーへの偏愛、『青い夢の女』からの空白の16年までを明かした。(取材・文:編集部 石井百合子 撮影:丹澤祥太)
名優イヴ・モンタンの遺作は東京国際映画祭がきっかけ
Q:東京国際映画祭では1989年の第3回に『ロザリンとライオン』、1992年の第5回では『IP5/愛を探す旅人たち』がコンペティション部門に出品されました。第3回では今は亡き名優イヴ・モンタンさんが審査委員長を務め、故テオ・アンゲロプロス監督やニキータ・ミハルコフらそうそうたる顔ぶれが名を連ねていましたが、印象に残っているエピソードは?
『ロザリンとライオン』はわたしにとって、とても特別な作品なんだ。実は、このTIFFでのイヴ・モンタンとの出会いが『IP5/愛を探す旅人たち』につながったんだ。そのときには、まさかそれが彼の遺作になるとは思っていなかった。
Q:TIFFがモンタンさんとの交流のきっかけになったわけですね。
幼いころから彼の大ファンで、わたしにとって偉大な俳優。東京で彼が歌手として舞台を踏んでいるときにも観ていた。それに、モンタンがシャーリー・マクレーンと共演した『青い目の蝶々さん』(1961)という映画があるんだけど、それもインパクトが大きかった。だからわたしと日本とイヴ・モンタンは何かによってつながっているんだ。
Q:今回は映画祭に審査委員長として参加することになったわけですね。
今回、依頼をいただいたときに何も考えずにすぐ「イエス」と返事をした。なぜなら日本はわたしにとって第2の故郷と言えるぐらい、自分の文化、インスピレーションの源でもある。わたしの心の一部は日本とさえ、思っているよ。
村上春樹から園子温、「仮面ライダー」まで、日本のカルチャーを偏愛
Q:1994年には『オタク(原題)/ OTAKU』というドキュメンタリーを撮られているように、日本への思い入れは相当深いようですが、日本の文化のどのようなところに興味があるのでしょうか。
フランスでは一部の人々が日本に対して愚かなことを言っているが、それが自然の美しさ、庭であろうと花であろうと、人の生き方であろうと、日本はわたしにとっては偉大な国だ。そして、常にわたしたちを驚かせてくれる国でもある。
Q:具体的にクリエイターの名前を挙げるとしたら……?
そうだね……リストアップするのはなかなか難しいんだが、小説家だと村上春樹の本は全部読んでいるし、大江健三郎に関しては彼の著書を脚色したくなったぐらいだ。それに川端康成、三島由紀夫……。最近もカズオ・イシグロ(日系イギリス人作家)の本を読んでいるよ。映画監督では、小津安二郎、溝口健二、黒澤明、若手だと園子温。園の作品は素晴らしい。それこそ、わたしの家は日本尽くしだ。「仮面ライダー」のフィギュアもあるんだよ!
富士山登頂のあくなき執念
Q:富士山がお好きなようですね。
1回目のは女優のイザベル・パスコー(『ロザリンとライオン』の主演女優)と一緒に登ったんだ。そのとき登頂の記念にもらった記念のハンコも大事に保管しているよ。『オタク(原題)/ OTAKU』で来日したときにもトライしたんだけど、そのときは台風13号に遭遇して三合付近で3日間足止めをくらった。今朝、箱根に行ったんだけど運よく天気が良かったから富士山が見えてうれしかったなあ。もう70歳だけど、どうしてももう一回富士山に登りたいと思っている。
空白の16年のワケ
Q:『青い夢の女』(2000)以来、劇映画からドキュメンタリーにシフトされているようですが、その理由は?
それを答えるにはとても長い時間が必要だ……。わたしはアーティストとして要求することがとても多い。自分が本当にしたいことをできる作品をつくりたい。だけど今はなかなかそういうシチュエーションがなくてね。でも決して、あきらめたわけではないんだよ。いつかは最後の1本を撮りたい。もしかしたら3本になるかもしれないし、1本は是非、日本でつくりたいと思っているよ。