ウディ・アレンのワイルドな挑戦と失敗 Vol.2 誰よりも勇敢でチャレンジャー~ラジカル鈴木~
●人生は「悲惨」か「みじめ」かの、どちらか
『アニー・ホール』(1977年)でウディふんするアルビー・シンガーが、ダイアン・キートンのアニーに書店のシーンで言う人生訓のようなセリフですが、「悲惨というのはどうにもならない苦労を背負ってる人々。それ以外がみじめ。だからみじめは幸運なことで感謝すべきなんだ」。これ、今の自分にフィットするんですよね~。ま、生きてるだけでもうけもんですが。彼は「世のすべての人は負け犬。それが人生の本質的事実だと思う」とも言ってます。
そう、現実には完璧な勝者やヒーローなんていない。ウディ自身も大監督という名声をほしいままにしつつ、片やスキャンダルに巻き込まれ(火種は自らまいたのだろうけども)、成長した実子(もしくはフランク・シナトラの息子?)から非難されたり、波乱万丈な“みじめ”さをなめてます。かれこれ24年を経ていまだ憎悪をたぎらせているミア・ファローは映画より恐ろしい!! 僕は、彼が子供を虐待するような感性は持ち合わせていないと彼の作品から感じてます。恐らくはミアの子供への洗脳でしょうなあ。
いわく「人生には笑いが必要なのは当然だけど、ある程度の苦しみも必要だね。それが人生だと思う」とは大人の言葉ですね。苦しみがスパイスとなってプラスに転じれば、それはそれで意味があり、「ヨシ」というワケです。
●挑戦
ヒーローとは何か? ズバリ、勇気だと思います。守りでなくチャレンジしているかどうか。ウディほどチャレンジ精神旺盛な作家が映画界にどのくらいいるんでしょう? 彼は容姿のコンプレックス、人種のコンプレックスをさんざんネタにしてるけど、ということはつまり、実際はまったく気にしていない、ということにほかなりません。笑い飛ばしっちゃってるワケで、全てはそこからスタートしている。シリアスなテーマを扱っても、どこか重過ぎない。実はあれほど臆病で神経質なキャラばかり演じてきたウディが、ことクリエイティブに関しては誰よりも大胆で勇敢! なんですね。
彼はこう言っています。「情熱を感じる仕事で失敗するほうが、得意分野で無難に成功するより喜びは大きいよ。時々失敗をしないというのは、特に革新的なことをしていないということだね。挑戦し、失敗しても最善を尽くしたという実感があれば、それでいいんだ。僕はいつだって大きな賭けをしてきたから、失敗はまったく恐れない。そして、そのとおり失敗してきた」。
だから大きな成功も手にしているワケです。「時々失敗することができないなら、チャンスもない。人によって好き嫌いがあるのが映画だから、それでいい。まだ誰もやったことのない、不安に感じるようなものこそ、本当の価値がある」とも言っています。そういう魂で彼はずっと企画し、最終編集権をキープしながら作り続けてきた。「自分はこの業界でかなりの自由を維持しているけど、 運とペテンと過大評価の合作といったところかな、成功の80%は人を出し抜いた結果だ」とは、ご謙遜です。ユーアー・リアル・アメリカン・ヒーロー。
アメリカン・ニューシネマとして『アニー・ホール』がどれほどアナーキーですごいのか、とか、ああ、1本1本みっちり語りたい。大きな転機となったこの作品はアカデミー賞受賞作と広く知られていても、その本質が、特に日本で、ちゃんと理解されているんでしょうか? 何度観ても新鮮で、作ったのはホントに大きな挑戦だったと思います。そして見事成功したからこそ、一コメディアンにとどまらない現在の彼がある。「僕の映画は、数少ないファンのためのものなんだ」と彼。僕、ちょっと誤解されているモノほど好きなのかしらん。自分がその数少ないファンのほうだと思うと、うれしくなっちゃうんです。
●運
近年のウディ作品の大きなテーマのひとつが、「運」だと思います。彼は言います。「結局、生き残っていくためには運が必要なんだ。人生で起こることの90%は運に左右されている。運は恐ろしいほどの役割を担ってる。もし僕がアパッチインディアンに生まれてたら、コメディアンは必要とされないから失業してた。全ては運だ」と。う~ん、結局はその通りかも! 『ウディ・アレンの 重罪と軽罪』(1989年)、『マッチポイント』(2005年)は正面からそのテーマを扱ってました。
殺人という道徳的に許されない罪を犯している主人公が果たして逃げおおせるのか、逃げおおして良いのか? ウディは大学教授で哲学者で司祭だという人から「『マッチポイント』ほど無神論的な映画はありません」という手紙をもらったそうで、僕は、この人はあんまり分かっていないなーと思う。主人公のその後もあるワケで、一生罪の意識に苛まれて過ごすか、はたまた手に入れた成功もいつかは破たんしてしまうか、いつかツケは回ってくるかもしれない、回ってこないかもしれない。神様の審判はいつか来るかも。
こんなことで、こんな道徳観で、こんな世の中で良いのか、どう思う? と、観る人に委ねられている。ウディは言います「僕は作る映画が増えるにつれて、結論づけを避けた結末になってきた」。 神様はいないのかもしれないけれど、じゃあ、人としてどう生きるべきか? というのが大事なのかも。そうやって、あれやこれや考えさせるための予定調和でない結末なんですね。
かのチャールズ・チャップリンは、人生に必要なのは「愛と勇気とSome money(少々のお金)」と言いましたが、ウディなら何でしょう? 健康と運と、ユーモア? セックス? いやロマンス? モラルかな? あ、答えが書籍「ウディ・アレンの映画術」の中にありました。「まずは健康。教養は人生で2番目に大事なもの。3番目がお金だね」。なるほど、遠からずでした。
●知性と野生
その「教養」。彼はブルックリン出身のユダヤ系の労働者階級の出で、ちゃんとした学歴もなく、大学へ行くよりライターとして仕事をするほうが早かった。文化、芸術、精神世界、歴史などあらゆる知識を貪欲にそして自然に吸収していったのでしょう。知的で博識、しかしそれだけでこれほどたくさんの作品が作れるでしょうか? そこにはハート、エモーションがなければ成し得ません。
いわく「僕はニューヨークのインテリ層御用達の作家と思われることにもうウンザリなんだ」。また、『教授のおかしな妄想殺人』(2015年)では、「人間なんてしょせん動物と同じで、こんなもの。哲学などは生きていくためには何の役にも立たないと言いたい」と語っている。老いてますますワイルドなウディを見た気がしました。今の彼は野生がどんどん研ぎすまされています。「脳は過大評価されている器官だけど、ハートにはかなわない」とは『マンハッタン』の中のセリフ。
またこうも言っています。「頭で理解できることに価値はない。理解できない恋愛こそ本物だ。芸術作品というのは、頭で考えて作り出せるものじゃない。芸術は本能から生まれる。僕は自分で面白いと思ったことをしているだけで、それは100%直感的なものなんだ」。ここが彼の一番誤解されているところだと思います。決して理屈をこねくり回すヒトではないんです。あれはそういう輩(やから)をカリカチュアしているワケで、とてもシンプルな人だと思います。
野生(Wild)と言えば、彼の音楽活動を撮った『ワイルド・マン・ブルース』(1997年、バーバラ・コップル監督)というドキュメンタリー映画、僕は最高に好きなんですが、フィクションとはちょっと違う彼の実像が捉えられてます。クラリネット奏者としても知られるウディ率いるニューオーリンズ・ジャズ・バンドのヨーロッパツアーの模様。演じていない私生活の様子、マネージャー役の実の妹レッティ・アロンソンや妻のスン=イー・プレヴィンも出てきますが、やっぱり年中アイロニカル(皮肉っぽい)なギャグを言っている姿や、そしてエモーショナルなステージシーンは、ただただ純粋に興奮と感動。そうか彼の本質はミュージシャンなんだ、と観て納得がいきました。音楽を奏でるように映画も作っているんだ、と。
ウディは言います「人生は時に退屈で、そして時にとても悲劇的だ。人は生きててその二つの苦痛を経験する。でも、だから、それをなんとか克服しなくちゃならない」と。音楽も同じ目的のためにありますね。同じ時代に生きて、プリンス同様、その作品や生き様に触れられて無上の幸せです。ありがとう!!! 余談ですがプリンスが生前インタビューで、好きな監督として真っ先に挙げていたのがウディ・アレンでした。全てを自分でコントロールしているところが大好きなのだとか。
●集大成!新作『カフェ・ソサエティ(原題) / Cafe Society』
先日、今年の第69回カンヌ国際映画祭オープニング作品として上映されたこの新作の第1号試写を、雪の降るロマンチックな(?)銀座で観てきました。古き良き、きらびやかなハリウッドの内幕ドラマ、というイメージを抱いて行ったら……これは! 確かに『ラジオ・デイズ』(1987年)、『ブロードウェイと銃弾』(1994年)、『ミッドナイトイン・パリ』(2011年)的なウディの回顧趣味もあるけど、それだけでは全然なく、今までの作品で彼が追い続けたさまざまなテーマが見事にこなれ、説妙なバランスで“全部”入ってる集大成、と言っていい作品でした!!! こんなのを作ってしまったら彼はもうすぐ逝ってしまうんじゃ? と心配になります。けど、彼のお父さんも100才まで生きたし、まだまだ大丈夫でしょう!
ウディ作品には珍しく、血や暴力がマーティン・スコセッシばりにそのまま描かれていたりします。軽快な音楽と共に。そして……舞台は、ハリウッドのみならず、ニューヨーク!! そのロマンティックな魅力がしっかり盛り込まれていて、ウディがちょっと久しぶりにニューヨークに帰って来てくれて、何だかうれしかったです! 離れてみて、改めてその素晴らしさを描きたくなったのかも。主人公のセリフを一言抜粋、「人生はまさに喜劇だ。ときに残酷な展開をするけれどもね」。ズバリ言わせちゃった。
今年81歳になる人が、またこんなにフレッシュな映画を撮ってくれた! いつまでも元気で、我々を驚かせてください!!! See U Soon~!(文・イラスト:ラジカル鈴木)
『カフェ・ソサエティ(原題) / Cafe Society』
監督・脚本:ウディ・アレン
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、クリステン・スチュワート、ブレイク・ライヴリー、スティーヴ・カレル、パーカー・ポージー
参考文献:「ウディ・アレンの映画術」 エリック・ラックス著、井上一馬訳、清流出版刊
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ラジカル鈴木 イラストレーター。
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