残酷なセクシズム…犬猿の仲だった二大女優の伝説「フュード/確執」評
厳選!ハマる海外ドラマ
『黒蘭の女』(1938)ほかで2度のオスカーに輝くベティ・デイヴィスと、『ミルドレッド・ピアース』(1945)でオスカーを受賞したジョーン・クロフォード。サイレント期から活躍する銀幕スターで不仲でも知られていたが、キャリアが落ち込んでいた1950年代で初共演を果たした異色サスペンス『何がジェーンに起ったか?』(1962)が大当たりして、再び脚光を浴びた。もっとも、それはハリウッド映画史に残る壮絶バトルの始まりに過ぎず、2人の確執(=Feud)は1962年のアカデミー賞授賞式の惨劇を頂点とし、生涯にわたって続いた。一体、2人の間に何があったのか? 因縁の共演映画の舞台裏から始まる「フュード/確執 ベティvsジョーン」(全8話)は、現代のドキュメンタリーの制作スタッフが当時の彼女たちを知る関係者に話を聞くスタイルをとりながら、1977年にクロフォードが亡くなるまでの2人の確執の本質に迫る秀作ドラマだ。
ごく簡単にデイヴィスとクロフォードの背景を書いておくと、「フィルムのファーストレディ」とも呼ばれるデイヴィスは映画史に名を残す演技派で、同業者からも大変リスペクトされていた。一方のクロフォードはダンサーとして注目を集め、セックスシンボルから演技派としての地位を大変な苦労をしてつかんだ。共に強烈な個性の持ち主で、本作で描かれる時代以前にも数々の逸話を持つ猛者たちである。一時は人気も名声も欲しいままにした2人だが、「26歳で女優を続けるなら(顔や体を)いじれ」(劇中ではグロテスクなエピソードも登場)と言われる時代に、50代半ばのデイヴィスとクロフォードに居場所はないのは推して知るべし。そのデイヴィスを演じるのがスーザン・サランドン、クロフォードを演じるのがジェシカ・ラング。共にオスカー女優がオスカー女優を演じるという贅沢さである。
ラングといえば、本作のショウランナーであるライアン・マーフィー(「Glee」「アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件」)によるヒット番組「アメリカン・ホラー・ストーリー」の怪演で、近年気を吐いている。そんな彼女が、今作では女を武器にし、アルコール依存症気味で美貌にこだわり続けるクロフォードを演じる。一方のサランドンも、チェーンスモーカーで口をへの字に結び、大きな瞳をギョロつかせ、ストレートな物言いのデイヴィスにぴたりとハマる。もうこのキャスティングだけで新手の「アメホラ」なのかとニヤリとしてしまうほど、言い方は悪いが色物感が漂い興味をそそられる人も多いのでは。この辺のマーフィーの視聴者を誘導する仕掛けの巧みさにはいつも舌を巻く。
実際に、実話に基づく物語はゴシップの要素が色濃い。嫌々ながらも再起をかけてタッグを組んだ『何がジェーンに起こったか?』の現場は大荒れ。大仰に自己主張するデイヴィスとクロフォードのいがみ合いは、ほとんどコメディーのよう。プライドが高くて扱いにくい女優は厄介だねえなんて、つい思ってしまう。一方で、プロダクションデザイナーのジュディ・ベッカー(映画『キャロル』『ジョイ』)による完璧に再現されたセットは目を見張るほど素晴らしく、コスチュームも見事。モノクロ映画の名シーンを完コピするくだりなんて、映画ファンなら小躍りしたくなるほど。
そもそも、『何がジェーンに起ったか?』自体がおどろおどろしい怪作。かつて子役スターだったが、演技の才能がなく落ちぶれて酒浸りのジェーン(デイヴィス)と、その姉で才能豊かな映画スターだったが、交通事故で下半身不随になってしまった姉ブランチ(クロフォード)。閉じられた屋敷の中で、妹による姉いびりが熾烈を極めるのだが、実は……というさらなる恐ろしい真実がラストで明かされる。この映画の役柄とテーマは、実際のデイヴィスとクロフォード自身を反映するものがあるのだが、ラングとサランドン自身のキャリアもまたクロフォードとデイヴィスに重ね合わせることができるのが、本作の醍醐味。さらに、対照的なデイヴィスとクロフォードの、女優としてのあり方から母親としての苦悩や結婚生活、生い立ちなどが呼応するように描かれる。この合わせ鏡のような多重構造から浮かび上がってくるのはゴシップ的な面白さではなく、女優を取り巻く厳しい状況=映画産業にはびこるセクシズム(女性差別)。本作は「ハリウッドが彼女たちに何をしたのか」を大きなテーマとしているのだ。
セクシズムを象徴する存在として描かれるのが、『何がジェーンに起ったか?』を配給するワーナー・ブラザースのジャック・ワーナー(スタンリー・トゥッチ)。口を開けば、スター女優たちの誰と関係を持ったのかという話ばかりで、監督のロバート・アルドリッチに対しても「2人と寝たか?」とくるから呆れる。もっとも悪気もなく女優たちを商品として扱うワーナーは、別段当時の状況から考えて特別悪人というわけでもないのだろう(トゥッチがうまい)。「テレビに苦しめられて映画はどれもダメ」と嘆いてみせるが、誰であろう、彼が、アルドリッチが難色を示してもクロフォードとデイヴィスを仲違いさせて映画を盛り上げろと命じる張本人なのだ。話題作りでチケットを売るために、女優たちの精神的に弱い部分につけ込み利用した例は、これが初でも最後でもないだろう。映画が成功した後も監督にも女優たちにも一切の敬意も示さず、作品は二大女優の渾身の演技の賜物であるにもかかわらず「ババ路線」などと名付ける。いくら単純化されたキャラクター造形とはいえ、一貫したクズっぷりに作り手のマーフィー自身の、ある種の怨念ともいうべきごりごりとした業界批判も感じられる。
俳優や監督の立場の弱さには、ハリウッドのスタジオシステムが大きく関係している(1950年代後半に終焉を迎えた)。俳優たちはスタジオに雇われており、仮に5本の契約をしたらどんな役かも期間もわからぬまま5本に出演しなければならなかった。デイヴィスや、その親友として本作にも登場する『風と共に去りぬ』(1939)のメラニー役で有名なオリヴィア・デ・ハヴィランド(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は、システムに抗い、勝利を勝ち取ってきた女優たちだ。彼女たちからすれば、クロフォードは男性社会に迎合し、色仕掛け専門に見えたのかもしれないが、クロフォードは彼女なりの意地と努力で実ある役を勝ち取ってきた。デイヴィスもクロフォードもプロデューサーとして自ら演じたい役、作りたい作品を手掛けることに挑戦する気骨のある人物であり、明らかに目指すものは同じだったことがドラマを観ればわかるはず。2人は紛れもなく女優であり、やりがいのある役を演じることこそが生きがいであったのだ。
それを阻んだものの一つとして、マーフィーはヘッダ・ホッパー(ジュディ・デイヴィス)が象徴するマスコミの存在も強調している。言葉巧みにスターたちに近づいては、事実を拡大解釈して面白おかしく騒ぎ立てる。マスコミが多くのスターを作ったことも確かだろうが、くだらない中傷記事とそれを喜ぶ民衆の図は、今も変わらない。そして、映画の成功がもたらしたさらなる確執と悲劇は、ハリウッド全体がデイヴィス派かクロフォード派かに二分されてしまったことで、お互いが引くに引けない状況に陥ってしまったようにもドラマからは読み取れる。
デイヴィスもクロフォードも自ら道を切り開き、強く生きた女性だ。作品をよいものにするためには、あるいはハリウッドで年をとった女優がサバイブするためには連帯することがベストな選択だということを頭ではわかっていたとも思う。劇中、何度となく距離が縮まりながらも彼女たちの同盟を阻止したもの。それはワーナーであり、同情の余地はあるがアルドリッチであり、マスコミであり、そしてセクシズムに痛めつけられ歪められてしまったデイヴィスとクロフォード自身である点が最も痛ましい。ドラマの冒頭でハヴィランドが一言で表しているように、「確執(フュード)」の本質とは「痛み(Pain)」なのだ。
ハリウッドという“夢の工場”では、女優は40歳になると仕事が激減すると言われ続けてうん十年。2016年にメリル・ストリープが主演作『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』のプロモーションで来日した際に「40歳になったら依頼がくるのは魔女の役ばかり」と語っていた(ストリープでさえも)。今年のエミー賞授賞式では、50歳のニコール・キッドマンが「女性にもっとやりがいのある役を!」と訴えた(キッドマンでさえ不満があるのだ)。ハリウッドの何が変わって、何が変わっていないのか。クロフォードとデイヴィスが味わった屈辱と悲劇は、決して過去の話ではないのだ。
本作の放送局は、近年マーフィーや「FARGO/ファーゴ」のノア・ホーリーなど、突出した才能を持つクリエイターのヒット作で勢いづくケーブル局FX。作り手にビジョンを徹底して追求させる姿勢が魅力的な局だ。マーフィーは刺激的で個性の強い作風で知られており、しばしばグロテスクな表現や世界観を好む。本作でもグロテスクさはあるし、FどころかCワードまで飛び出す過激さも。一方で、いつになくメロドラマ的な面も目立つ。それはマーフィー自身のハリウッドへの愛、そして女優たちへのリスペクトと愛によるものだと思う。本作のグラマラスで、芝居がかった俳優の演技も含めてハリウッド黄金期のクラシック映画を思わせる。また、同性愛者からの人気が高いことでも知られるデイヴィスとクロフォードだが、とりわけマーフィー(同性愛者を公言している)のクロフォードへの思い入れは、最終話の死の直前の、作り手の想像として描かれるとして描かれるシーンに強く感じられる。わたしはここで涙腺が崩壊して、泣けて泣けて仕方がなかった。
もちろんマーフィーは昔を懐かしんでいるだけではない。「アメリカン・ホラー・ストーリー」でラングに大胆な役を演じさせて一躍ブームを巻き起こし、キャシー・ベイツ、アンジェラ・バセットといった女優たちに“誰かのグランマ”的役ではなく、言って見れば“魔女”的イメージを逆手にとって充実した役柄を作り出し、高齢女優たちの才能を世に知らしめている。「フュード」もしかり。ラングは68歳、サランドンは70歳。本作の役柄は彼女たちのキャリアにふさわしいものだろう。また、最も女性の進出が少ない分野の一つである監督には、計6人のうち意図して3人は女性を起用している(うち一人はオスカー俳優のヘレン・ハント)。マーフィーもまたハリウッドという巨大産業の中でセクシズムと闘う一人なのだ。
「フュード/確執 ベティvsジョーン」(原題:Feud : Bette and Joan)
94点
社会派 ★★★★☆
サスペンス ★★★☆☆
恋愛 ★★☆☆☆
視聴方法:
BS10 スターチャンネルにて9月29日より毎週金曜よる11:00ほか日本独占放送
(日本語吹替版も10月4日より毎週水曜よる11:30ほか放送※10月4日は第1話無料放送)
今祥枝(いま・さちえ)映画・海外ドラマライター。「BAILA(バイラ)」「日経エンタテインメント!」ほかで執筆。著書に「海外ドラマ10年史」(日経BP社)。当サイトでは「名画プレイバック」を担当。作品のセレクトは5点満点で3点以上が目安にしています。Twitter @SachieIma