【追悼】日本アニメ界の巨匠・高畑監督の偉大な足跡
4月5日、82歳で亡くなった日本を代表するアニメーション監督・高畑勲さん。日常的な人間の姿を描き、現実に裏打ちされた作品によって、アニメーションを世代や年齢を超えた文化に高めた高畑監督の足跡を、その代表作によって振り返る。(文:金澤誠)
劇場用長編アニメ初監督作『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)
役職:演出
高畑監督の映画監督(演出)デビュー作。原案はアイヌ・ユーカラ(叙事詩)を題材にした「チキサニの太陽」だが、映画では舞台を北欧に移し替え、悪魔グルンワルドに少年ホルスが村人たちと共に立ち向かう骨太の群集ドラマになっている。東映動画に所属していた高畑監督は、組合活動を通して知り合った宮崎駿氏や大塚康生氏の手を借りて、中断を挟んで3年がかりでこの作品を作り上げた。ヒロイン・ヒルダの複雑な人物造形を始め、観客の対象年齢をそれまでの子供から青年層にまで拡大した、日本のアニメーション史上に残る画期的な作品である。
パンダ初来日を記念して公開『パンダコパンダ』(1972)
役職:演出
東映動画からAプロダクションに移籍した高畑監督(演出)が、宮崎駿氏の原案・脚本・画面設計・原画によって作り上げた劇場用中編アニメーション。中国から上野動物園へ初のパンダが送られたことで起こったパンダブームに乗って、作品が企画された。両親のいない少女ミミ子の家へ、パンとパパンダのパンダ親子がやってきて、一緒に生活し始める。彼らの日常を描きながら、やがてそれが大騒動になっていく展開は、高畑監督的リアリズムと宮崎監督的ファンタジーの融合といえる。姉妹編『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』(1973)も作られた。
心温まるハイジの物語を見事に描いた「アルプスの少女ハイジ」(1974)
役職:演出、絵コンテ
演出・高畑勲、場面設定と画面構成・宮崎駿、キャラクターデザインと作画監督・小田部羊一という、東映動画時代からの名トリオによる、ヨハンナ・スピリの児童文学を原作の“カルピスまんが劇場”(「世界名作劇場」シリーズの先駆けとなった)作品。テレビアニメで初めてレイアウトシステム(画面構成を基にアニメーションを制作)を導入し、その後の日本のアニメーションの製作法を一変させた。アルプスの自然の中で暮らす少女ハイジの生き生きとした姿を、日常描写を重視して映し出し、子供から大人までの心に響く繊細な人間ドラマを作り上げている。
少年マルコの波瀾万丈の旅行記「母をたずねて三千里」(1976)
役職:監督、絵コンテ
「アルプスの少女ハイジ」に続く高畑、宮崎、小田部トリオによるテレビ「世界名作劇場」シリーズの一つ。イタリアからアルゼンチンへ出稼ぎに行ったまま消息不明になった母親を探しに、小さな子ザルのアメディオと一緒に旅をする少年マルコの姿を描いている。原作はエドモンド・デ・アミーチスによる「クオレ」の一部に過ぎず、本にすれば30ページ程度のもの。それを1年間放送の物語にするため、高畑監督たちはマルコの旅をたどってイタリアから南米にロケハンし、その経験を生かしてリアルな人間ドラマを作り上げた。
高畑勲さんと宮崎駿氏がスタッフとして参加した最後の世界名作劇場「赤毛のアン」(1979)
役職:演出、脚本、絵コンテ
カナダのプリンスエドワード島を舞台に、赤い髪の少女アンの成長を描いたテレビ「世界名作劇場」作品。今回も舞台の島に現地ロケし、家の調度品からストーブの使い方まで徹底的に調べ上げて、高畑監督(演出)がアンの生活ぶりをリアルに描き出している。作画監督、キャラクターデザインを近藤喜文氏が担当。宮崎駿氏も当初は場面設定、画面構成で参加したが、この前年にテレビ「未来少年コナン」で監督デビューしていた宮崎氏は、自らの作品作りを模索して第15話で降板。彼は映画初監督作『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)に着手した。また2010年には第1話から第6話までを再編集した『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』(2010)が公開された。
関西の豪華お笑いスターが集結『じゃりン子チエ 劇場版』(1981)
役職:脚本(共同)、監督
はるき悦巳の人気漫画をアニメーション化した、高畑監督の長編映画としては監督第2作。大阪を舞台に、家業のホルモン焼き屋を一人で切り盛りする小学5年生のチエと、博打好きな遊び人の父親・テツの日常を描いた人情喜劇である。チエ役の中山千夏さんの他は、テツ役の西川のりお氏を始め関西のお笑い芸人を声に起用し、生き生きとしてバイタリティー溢れる大阪の人間たちを映し出している。また映画の半年後には同名のテレビシリーズも始まり、高畑監督はチーフディレクターとして関わった。
宮澤賢治の世界観を独自の解釈で表現『セロ弾きのゴーシュ』(1982)
役職:脚本、監督
宮沢賢治の小説をアニメーション化したオープロダクションの自主製作作品で、市民ホールなどで公開された。演奏のつたなさを楽長に指摘されたセロ(チェロ)奏者のゴーシュが、毎晩一人で練習しているときに動物たちの訪問を受けていく。人間と動物の触れ合いという宮沢賢治らしいファンタジー的な世界観と、ゴーシュの貧しい暮らしぶりや練習に打ち込む彼の肉体の躍動感を映し出した、高畑監督ならではの日常に根ざしたリアルな描写が見事に溶け合った作品。63分の作品ながら見どころ満載の1本だ。
福岡県柳川市に起きた事件を基にしたドキュメンタリー『柳川堀割物語』(1987)
役職:脚本、監督
高畑監督の初の実写監督作。当初は彼がプロデューサーを務めた宮崎駿氏の監督作『風の谷のナウシカ』(1984)の次回作として企画された、堀割で有名な福岡県柳川市を舞台にした高畑監督による青春物語だった。だが柳川のロケハンをするうちに、ゴミとヘドロで埋まった堀割を再生させた人々の活動が魅力的だということがわかり、堀割の歴史と再生の過程を描く記録映画として製作することになった。宮崎氏の個人事務所・二馬力の自主制作作品で、高畑監督のこだわりによってその完成までには企画から4年を要した。
幼い兄妹から平和の大切さを感じる『火垂るの墓』(1988)
役職:脚本、監督
野坂昭如の第58回直木賞受賞作を映画化した、監督としては高畑さん初のスタジオジブリ作品。太平洋戦争末期から終戦直後の神戸を舞台に、2人だけで生きようとした14歳の清太と4歳の節子という、兄妹がたどる運命を描いている。今や反戦映画の名作として世代を超えて親しまれている作品だが、その製作状況はスケジュール的にタイトで、公開初日に完成版が間に合わないというアクシデントもあった。しかし高畑監督がギリギリの段階まで粘って作り上げた、清太たちのリアルな生活のディテールは見事。併映作は宮崎駿監督の『となりのトトロ』(1988)だった。
20代の平凡なOLに焦点を当てた『おもひでぽろぽろ』(1991)
役職:脚本、監督、挿入歌訳詞
製作プロデューサーとしてクレジットされている宮崎駿氏が、同名の漫画を高畑監督作として企画。原作は1960年代の小学生を描いたものだったが、高畑監督はこれを27歳のOLになった現在のヒロインと、彼女が回想する小学生時代という2つの時代を描く内容に変えた。20代の普通の女性を主人公にしたアニメーションはそれまで例がなかったが、表情の微細な変化まで表現し、深みのある人間ドラマに仕上げた。徹底して本物と同じ作業工程を描いた紅花作りの場面など、高畑監督のリアルな表現がピークに達した作品といえる。
人間による環境破壊をテーマとした『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)
役職:原作、脚本、監督
企画は宮崎駿氏で、最初彼はある藩のお家騒動に狸が絡む「八百八狸」の話をイメージしたという。これを高畑監督は、東京・多摩丘陵の宅地造成によって、生活圏を奪われていく狸の話に変更。彼らは人間の開発に先祖伝来の“化学(ばけがく)”を駆使して対抗する。化ける狸は出てくるものの、多摩丘陵の開発に関しては全て現実に起こったことを基にしていて、ファンタジー的な要素を入れながら自然破壊へのメッセージを込めている。また語りの古今亭志ん朝さんをはじめ、声優として落語家を多く起用し、笑いの要素を強めた娯楽作にした。
ジブリ初のフルデジタル処理に挑戦『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)
役職:脚本、監督
原作は、新聞に連載されていたいしいひさいちの4コマ漫画。これをいくつかのテーマに分けたエピソードを作り、長編映画にしている。内容自体はある家族を主人公にしたコミカルなホームドラマだが、そこに現代日本の真実を見出した高畑監督は、ファンタジー作品全盛のアニメーション界の状況に挑戦する意味も込めて製作に乗り出した。原作のシンプルな描線を生かし、それにラフな水彩画調の色を付けた表現は、フルデジタルによる革新的な手法。セルアニメーションの制約から自由になろうとした、高畑監督の意欲がうかがえる野心作だ。
理想のアニメーションを実現した遺作『かぐや姫の物語』(2013)
役職:原案、脚本、監督
約14年ぶりの監督作で、高畑監督の遺作になった。企画自体は彼が半世紀前から考えていたもので、ジブリで企画が立ち上がってからも完成まで8年ほどかかっている。「竹取物語」に隠された疑問と謎。かぐや姫はなぜ地球に生まれて、月に帰らなければいけなかったのか。姫が犯した罪と罰とは何かを解き明かすことによって、従来にない生身の“かぐや姫”の物語を創造している。キャラクターと背景が分離して描かれるセルアニメーションとは違った、両者が一体化して共鳴する絵の表現を実現。高畑監督は、自分の理想とするアニメーションをここに作り上げたのである。